「ケチ」は世界を救う。
皆さんの周りに「ケチな人」はいるだろうか。
そして皆さんはそういう人に対してどのような印象を持つだろうか。
よく耳にするのは、
『あの人お金持ちなのにケチだよね』
って言葉。
ではなぜこのような言葉が発されるのだろうか。
ケチだと言う側の心理
ケチだと言う側の心理として、
『お金があるんだから払ってよ』
とか
『お金いっぱいあるんだからお金を使うのが当たり前だ』
といったことが挙げられる。
ただこれはおかしな話ではないだろうか?
そもそも自分で稼いだお金は自分で使い道を決めれる権限があるわけで、
他人がどうこう言うものではない。
では「ケチ」となんなのだろう。
辞書で「ケチ」の意味を調べてみた
「ケチ」とはなにか、チャットGPTに聞いてみると、
とのこと。
ほう。
ではナゼお金を出し惜しむのか考えたことはあるだろうか。
本当のお金持ちはお金の使い方を知っている
よく言われるのは、
「真のお金持ち」
とは
「お金の使い方を知っている人」
のことだとよく言われている。
例えば、一獲千金をしたとして、
高級ブランドばかりを身に着けて高級車に乗ってタワマンに住んで…
といった人はその一時だけはお金持ちかもしれない。
ただ、仮にそれで稼いだお金を全て使ったとしたらその人は真のお金持ちと言えるだろうか。
本当のお金持ちは「これで十分」という基準を知っており、ムダなものは買わず、投資などを行って他人のためにお金を使う人が多い。
そして僕は、ケチな人に対してどのようなイメージがあるかというと、
ケチな人は、見方を変えれば
「お金の価値を知っている人」
だと認識している。
だからこそ、Aさんとデートしたときに、そのデート自体が楽しくなかったら『このデートはお金を払う価値がないから奢るのはやめよう』といったような思考になるのではないだろうか。
皆さんはどう思う?
奢る奢られ論争
例えば、初対面の男女がデートに行ったとする。
そこで仮に彼が女の子に奢らなかったとしたら、その女の子はどう思うだろうか?
ケチ?心が狭い?もう二度と会いたくない?
果たしてその感情は正しいのだろうか。
僕が思うに、その彼には「彼なりのお金に対する考え方」があり、
その金額がデートの満足度に見合っていなかったのではないかと思う。
要はそのお金に見合う経験ではなかったからお金を払わないという選択をした。その結果、「ケチ」と言われてしまう。
ケチと言われるような状況を細分化すると上記のような構図になり得る。
つまりケチとは
「ケチな人が悪い」とは一概に言えず、その状況を生み出した周りにも責任があるということ。結局は自責ですね。
そして、「ケチ」と言われる人はお金の価値を知っているからこそ「自分がお金を使うべきだ」と思うことには躊躇なく投資したり、時には奢ったりする。
もちろん自分のことしか考えていないケチもいるかもしれないが、仮に震災等で復興支援が必要となったときなどにいちはやく募金したりするのはあなたの近くの「ケチ」な人かもしれない、、、
だからこそ、真のケチが世界を救うのだ。
以上、「ケチ」は世界を救う。 でした。
皆さんの周りにもケチと言われる人がいたら、少し見方を変えてみると面白いかもしれないですね☺
同じような考えの方や、『それは違うだろ!』という意見がある方は是非コメント欄でお待ちしてます☺