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きっと100年以上脈々と受け継がれていた
『人に迷惑をかけていはいけません。』
親からこう、教えられた人は少なくないのではないでしょうか。
私もその一人で、人に迷惑をかけないように、真面目に、慎重に生きて来ました。
私の場合、この言葉は主に父親からかけられていたようで、私の人格形成に大きな影響を及ぼしていたと気づいたのは、最近のことです。
私の父親は50年以上、同じ会社で働いています。
70歳を超えた今でも会社側に請われて、アルバイトで週に3回仕事に出かけます。
真面目一直線。
定年を迎えるまでは、夜勤と日勤を繰り返していました。
本当に頭が下がります。
この父の事は以前にもnoteに書いたのですが、本当に『文句いい』(文句ばっかり言う人)なのです。
車を運転していると、他の運転手の悪態をつきます。
私の母(父から見ると妻)が父の思い通りに動いてくれないと声を荒げます。
そして父の子である私も、もれなく文句が多かった💦
2011年の東日本大地震が起こった時、私は関西にいましたが、原発事故の映像は衝撃的なものでした。
恐怖と共に、今まで何の気無しに使っていた電気は、こんな危険な物で出来ていたのかと驚愕しました。
迷惑をかけずに生きてきたつもりだったのに、人間は生まれた時からあらゆるところに迷惑をかけて生きていたんだ。
なんと罪深いのか。
迷惑をかけずに生きていくことなんて元から出来てなかったじゃないかとショックを受けました。
私はあの時、明日が来ないかもしれないという恐怖を初めて実感しました。
一日一日は当たり前なようで、当たり前ではないのだと。
私は『人に迷惑をかけてはいけない病』に囚われ、自分の好きよりも、人の目を気にする人生を歩んで来ました。
自分の好きを通したら、わがままだとか、勝手な奴と陰口を叩かれるのではないかとビクビクしていました。
中学生の息子は私とは正反対で、小さい頃から、嫌な事をなぜしないといけないのか!と私に言って来るような子です。
嫌な事でも決められた事はしなくてはいけない。みんなやってる事を自分だけしない事は許されない。
何度も息子に言い続けて来ましたが、言いながらも、息子のなぜ?に答えられていない自分に気付きました。
変わるのは息子ではない。
変わるのは私だと決めた時から、今までとは違った見方が増えていきました。
中1になった息子が不登校になりました。
紆余曲折を経て、学校に行っても行かなくても、息子が幸せであるなら、それが一番だと思えるようになりました。
夫は不登校の息子の姿をみて、
『人に迷惑をかけるな!』
と怒った事もありました。
私の父は、同調圧力に屈せず自分の意思を持っている孫に、それでいい、と🆗を出しています。
それは母親の私が、息子の状態を説明し、大丈夫を出しているからだとも思います。
父が孫に言いたい事があると言いました。
『人に迷惑をかける生き方をしなければ、それでいい。言いたいのはそれだけ。』
どうしても孫に伝えたい一言が
『人に迷惑をかけてはいけない』
その瞬間、父は70年、ずっとその言葉に縛られて生きて来たのだと分かりました。
そしてその呪縛に囚われていることに、本人は気づいていないということを。
『人に迷惑をかけてはいけない』の呪縛は、誰かが迷惑をかけている事をしていると判断すると、人を攻撃的にするのです。
父にその言葉をいつ誰に聞いたのか聞くと、やはり父の母でした。
私の祖母は96歳まで生きた明治生まれの女性です。
祖母はとても優しい人でした。
嫁である母の口からも、嫌な人だったという話は聞きません。
子どもたちが結婚した後も子どもたち同士の関係や周囲の人達に気を遣う人だったようです。
そんな祖母の教えが
『人に迷惑をかけてはいけません。』
きっと子どもたちのことを思って伝えた言葉なのだと思います。
そして祖母自身も忠実に守ったのだと思います。
言葉は一人歩きして、時代が進むごとに違う意味を含んでいったのかもしれません。
100年以上、脈々と受け継がれていた『人に迷惑をかけてはいけない』教え。
村や家などの集団が色濃く、和を重んじていた頃の精神が、令和の時代に歪んだ形で残っている場合があるような気がします。
おばあちゃん、ありがとう。
私はここで手放します。