記憶の中の映画たち
突然ですが、
これまで観てきた映画を振り返って、
いろいろ書いてみたくなり、今回投稿してみました。
以下、私の独断と偏見、そして主観にもとづく記事でございます。
何卒ご容赦のほどお願いいたします。
2023年8月14日 石本克彦
#ネタバレ注意
ストリートオブファイヤー(Street of fire)/1984年/アメリカ/主演マイケルパレ、ダイアンレイン ~ この作品は映画館で観たかった(1)
1970年生まれの私がちょうど中学生ぐらいの頃でしたでしょうか。
レンタルビデオ屋さんができたのは。
そして高校ぐらいになると、
もう近所に何軒かできるほど普及してました。
おかげで、全国ロードショー級のヒット作から、
それほど話題にならなかったけど、
内容や役者の演技で評価が高く、
年末年始の深夜映画特集とかでしか観れなかった作品とか、
いろんな映画が観られるようになりました。
あと劇場で公開されてはいたのですが、
あまり関心なく、
その時は目の前を素通りしていった作品が、
たまたまレンタルビデオで借りて観たところ、
これは映画館で観るべきだった・・・と大いに悔やんだ作品は、
映画好きの方なら幾つかあるはずですよね。
さてさてこの「ストリートオブファイヤー」ですが、
知る人ぞ知るこの名作・・ハマった方は同世代には、
結構いるのではないでしょうか・・。
この作品が公開された1984年は、
まだ今みたいな大型商業施設に
付属しているシネコンなどもちろんなく、
私の地元広島でも駅裏とか商店街にある
いわゆる街の映画館での上映で、
他の洋画と併せて2本か3本だての公開だったと思います。
作品を公開しているのは知っていましたが、
映画館に足を運ぶほど作品に関心がなく、
しかし後に自宅でレンタルビデオで観て大興奮!
その時、劇場での鑑賞しなかったことを、大変悔いた作品です。
物語はいたって単純、
いつかどこか(Another time another place)の街で
その街の人気女性ロック歌手が公演中に
モーターサイクルギャングのボンバーズに連れ去られ、
知らせをうけて街へ戻ってきたかつての恋人が、ボンバーズの根城へ
乗り込んで壮絶な闘いを繰り広げて彼女を助け出す、
西部劇タッチの痛快アクション作品です。
オープニングは、ダイアン・レイン扮する人気歌手エレンが、
ステージで熱唱する(もちろん吹替ですが)ノリノリの曲で始まり、
エレンが連れ去られ、ボンバーズの暴力が過ぎ去った街に、
ふらりと戻ってきた昔の恋人トム。
このトム役のマイケル・パレが、
どこかしら飄々とした雰囲気を醸し出しながら、
妹のダイナーでいきがる街のチンピラを
いともたやすく叩きのめす登場の仕方は、
昔の西部劇で主人公で凄腕の拳銃使いが、
砂埃舞う西部の田舎街の酒場に登場するシーンみたいな・・
そんな感じでしょうか・・。
さてエレンを助け出すべく行動を開始したトム。
ひょんな事から助っ人を買って出た元兵隊上がりで女戦士のマッコイも、
救出チームに加わることになり、ボンバーズのアジトへ乗り込みます。
西部劇チックなショットガンを駆使して
ボンバーズの手下たちを蹴散らし、エレンを救出し街に戻るも、
そのままで済むわけではなく、彼らは再び街に来襲してきます。
そしてウイリアム・デフォーが扮するボンバーズの頭目レイバンと、
トムの一騎打ちの死闘が繰り広げられ、トムはレイバンに打ち勝ちます。
そして街の住人も徹底抗戦する勢いに怯んだボンバーズは、
ついに街から立ち去って行きました。
平和を取り戻した街はその夜、
久しぶりのエレンのライブで沸き返ってます。
舞台袖で自分の出番を待つエレンのもとに、
トムが現れ別れを告げます。
"I know you're gonna be going places with your singing and stuff.
But then I'm not the kind of guy to be carrying your guitars around for you.
But if you ever need me for something, I'll be there"
私なりの意訳ですと
「お前はこれからも歌い続ける。でも俺はそんな君の
マネージャーがつとまる男じゃない。
でもまた何か俺が必要なときは、俺はそこにいるよ」
トムはそうエレンに告げると、そのまま去って行きます。
気障だと思う人もいるかも知れませんが、
肩をゆらしながら消えて行くトムの後ろ姿は、やっぱりしびれます・・。
やがてメインイベントで舞台に登場したエレンは、
「今夜は青春(Tonight is what it means to be young )」を熱唱します。
物語の最後を飾るこの名曲ですが、歌詞がなんだが戯曲みたいで
内容がちょっと私には難解ですが、サビの部分を過ぎたあたりの
"Say a player in the darkness for the magic to come"のところが
とても好きです。
エレンのパフォーマンスでステージは盛り上がる中、
客席の端からエレンを見守っていたトムは、そっと立ち去ります。
エレンもそれに気付いたかのように一瞬目を閉じる仕草が
とても印象的です。
ロングコート姿で、両手に荷物を持ったまま劇場を後にするトムに、
女戦士マッコイが運転する車が近づいてきます。
その車はエレンを取り戻すべく、ボンバーズのアジトへ乗り込むときに
使ったもので、途中訳あって乗り捨てたのでした。
物語の締めくくりで、マッコイとトムのやりとりが
なにか粋な感じで心地良いです。
マッコイ「どう?これオイラの新しい車だよ・・
道の真ん中にあったよ・・誰か捨てたんだ
見つけたもの勝ちだよ・・わかるか」
トム「誰か連れがほしいんじゃないか?」
マッコイ「まぁな・・乗せてやってもいいぞ」
トム「やっと口説けるチャンスだな」
マッコイ「落ち着きな・・前にも言ったろ・・あんたは
オイラのタイプじゃないって・・」
トム「・・・・・」(苦笑)
二人乗った車が街を去りながら、エンドロールへと移っていきます。
この作品を監督したウォルターヒルは、
75年以降もっぱらアクション作品を中心に
数多くの映画を手掛けている方のようで、
「ザ・ドライバー」(主演 ライアンオニール)、
「48時間」(主演 ニックノルティ、エディマーフィー)、
「レッドブル」(主演 アーノルドシュワルツェネッガー)
以上三作品は、レンタルビデオですが、鑑賞しました。
この映画の副題が「A Rock & Roll Fable」とあるように、
作品全編にわたってノリのいいロックやバラードをはさみながら、
テンポよくストーリーが展開していく、
ちょっとミュージカルっぽい感じもする作品なので、
劇場の大きなスクリーンと大音響の中で、
臨場感を満喫しながら鑑賞したかった作品です。
(いろいろ検索してみたら、2018年になんとデジタルリマスター版が、全国で再上映されていたみたいでした・・・つくつぐ縁のない自分が悲しいです・・・。)
#ストリートオブファイヤー
#ロック
#西部劇
#映画感想文
愛と哀しみの果て(Out of Africa)/1985年/アメリカ/主演 ロバートレッドフォード、メリルストリープ ~ この作品は映画館で観たかった(2)
レンタルビデオで感動、劇場での鑑賞見逃しを悔いた作品の2つ目が
この作品です。
1985年のアメリカ映画。
20世紀初頭、デンマークの資産家の女性が、
当時英国領だったアフリカ、ケニアのナイロビへ移住して
体験する希望と挫折、出会いと恋、そして別離の物語で、
翌年のアカデミー作品賞をはじめ、その他6部門を受賞した
2時間41分の大作です。
物語は、メリルストリープ扮する資産家の女性カレンの
アフリカでの往時を回想する場面から始まります。
夢と希望を抱いて移り住んだ新天地で、次々と降りかかる波瀾の中でも、
自らを失わず強く生きる様を、雄大なサバンナの大自然をバックに、
力強く描いています。
そのカレンと恋に落ちる相手役で、
ハンターのデニスを演じるロバートレッドフォードは、
薫風が体中をさーっと吹き抜けているような雰囲気で、
風のように現れ、そして通り過ぎ、
最後は広大なアフリカの大地の一部となる。
ロバートレッドフォードは、
今まで彼が他の出演作品で演じた役や、
自身が監督をつとめた「リバーランズスルーイット」の
ビラッドピットが演じたポール役などから
「美しくも儚い生き方への憧憬」みたいなものが
彼にはあるように私は感じるのですが、
この作品のデニスも、ちょうどそんな役どころです。
この2時間41分の物語は、デニスとの絡み以外でも、
アフリカへ渡った後、
第一次世界大戦の余波を受けながら、
彼女の財産にしか関心が無く、
他の女性と浮気を繰り返す不誠実な夫ブロルとのいきさつと、
彼のために梅毒に罹患し一時帰国を余儀なくされ、
さらに子供を産めない体になってアフリカへ戻るも、
軌道に乗りかけたコーヒー農園が火災で壊滅状態の憂き目に合い、
あえなく彼女は破産、失意のまま帰国の途につくまでを、
ゆったりとした時間の流れと共に描かれています。
この作品は、遠望でのぞむサバンナの大平原や丘陵の風景をバックに、
その中でたたずんでいる人や動物、一本の木などに焦点をあわせて、
コントラストを際立たせ、それらの映像を物語のところどころに挿入して、観るものに臨場感を感じさせる演出がとても素晴らしいですよね。
物語の後半、
小型プロペラ機に乗ったデニスがカレンの農場に現れて、
カレンと束の間の遊覧飛行に出かけるシーン。
この作品が好きな映画ファンの方々にとっては、
おそらくお馴染みの場面かと思いますが、
どこまでも果てしなく広がるアフリカの大自然の風景をバックにして、
この作品でアカデミー作曲賞を受賞した、
イギリスの作曲家ジョンバリー氏の雄大な音楽が流れる中、
デニスの操縦する飛行機で空を遊泳しながら、
最後に二人で手をとりあうところは、
開放感にあふれてつい二人に、
感情移入してしまいそうになる感動的なシーンです。
この場面は、劇場の大きなスクリーンと音響で体験したら、
映画の中の二人と同じ空間を共有できたような・・
そんな気がして、本当に劇場で鑑賞しなかったことを悔やんでます。
火災により農園を消失、万策尽きてしまったカレンは、
家財道具を売払い、帰国にむけて身の回りの整理をしているときに、
そんな彼女のもとにデニスが現れます。
かつて二人は、カレンが夫と別れた後、
一時期、愛し合うようになり、共に暮らしていましたが、
カレンがデニスに望むものは、
デニスにとっては自らの自由への侵害ととらえて、
二人は決別してしまったのす。
デニスは、帰国するカレンが最初に向かうモンバサまで、
同行させてほしいと打ち明け、
自分のプロペラ機に同乗するよう誘いました。
快諾したカレンは、その週の金曜日に落ち合う約束をしました。
しかしデニスが再び彼女の前に現れることはありませんでした。
後日、別れた夫のブロルがやって来て、
デニスが操縦するプロペラ機が墜落し炎上、
デニスは帰らぬ人となったと告げました。
カレンは、少し言葉を交わした後、
ブロルを見据えたまま、黙り込んでしまいました。
突然の悲報に内心の動揺を隠し切れなくとも、
懸命に感情を表情から消そうとする、
メリルストリープの演技がとても素晴らしいです。
またちょうどこのシーンの少し前、
庭先から遠くを眺めていたカレンが、
突然、何かに気づいたかのように振り返り、
それに同じよう遠くを見つめていた
信頼する執事のファラーも反応するのですが、
これがデニスの死の予感を暗示させているようで、
その細かな演出がとても印象に残っています。
物語の最後にカレンのナレーションで、
アフリカの大地へ帰ったデニスへの想いを、
二匹のライオンにまつわるエピソード通じて語られます。
そして「1934年、彼女はIsak Dinesenの名で最初の著作を発表。
彼女はアフリカへ戻ることはなかった」とテロップが画面に流れます。
人生の移ろいと儚さのようなもの感じさせる、
そんな物語の終わり方です。
ここでちょっと作品の舞台となったアフリカに絡んで、
話が横道にそれますが、この作品が公開された前の年の1984年、
アフリカエチオピアの飢餓救済を目的として、
多くの英国ミュージシャンが参加した「BAND AID」による
チャリティーソング、”DO THEY KNOW IT'S CHRISTMAS ?" が
話題を呼びました。
これは翌年の米国ミュージシャンによる「USA FOR AFRICA」の
"WE ARE THE WORLD"へと続き、さらにその年7月、英米合同の
チャリティーコンサート「LIVE AID」が行われました。
これらのチャリティーは主にエチオピアや
その他アフリカが抱える飢餓の問題に焦点があてられましたが、
その一方で当時の南アフリカでは、長い間国際的に非難を浴びていた
人種隔離政策「アパルトヘイト」が依然として強固に存続していました。
このアパルトヘイトに対しても、
85年にARTIST UNITED AGAINST APARTHEIDによる
プロテストソングの"SUN CITY"が話題になりました 。
その後87年に、反アパルトヘイトへの抵抗運動を主導しながらも、
警官の殴打による傷がもとで死亡した黒人活動家の
スティーブビコをとりあげた「遠い夜明け」
(Cry Freedom / 英国/リチャードアッテンボロー監督
/出演デンゼルワシントン)が公開されました。
こうしてみますと「愛と哀しみの果て」が公開された年は、
英米その他先進国で、アフリカが抱える深刻な問題に、
ちょうど関心が高まっていた時期みたいです。
コーヒー農園主で主人であるカレンが、
使用人として、また農場の作業員として働く地元のキクユ族と、
学校の建設や医療の提供を通じて、交流を深めようとするところを
ことさら描いているあたり、時代の空気みたいなものが
反映されていたりするのかと、今更ながら思ったりもします。
「アフリカを舞台にした映画」とネットで検索してみると、
ちょうど30作品をランキング付けにしているサイトがありました。
そのほとんどが、2000年代に制作されたもので、内戦と貧困や
アパルトヘイトを撤廃する前と後の南アをテーマにした作品でした。
歴史的な部族間同士の対立や、
ダイヤモンドなどの鉱物資源の所有を巡る争いが暗い影を落とし、
植民地時代の旧宗主国や戦後冷戦下における米ソ両国の思惑も絡んで、
「愛と哀しみの果て」が公開された85年以降のアフリカは、
情勢はより一層複雑混沌とし、
一部は繁栄を享受するも、
他の多くは内戦による流血が続いて、
貧困や飢餓の問題は改善されないまま、
90年代を経て現在に至っています。
綺麗事だけではない現実の歴史を、
色濃く反映させる作品が多く作られたのも、
必然的な流れなのかもしれません。
私にとっては決して色褪せることのない
この名作「愛と悲しみの果て」が、
劇場にてリバイバル上映されることを切に願う次第です。
#愛と哀しみの果て
#アフリカ
#ロバートレッドフォート
#メリルストリープ
#アパルトヘイト
#リバイバル上映
#映画感想文
ウォール街(Wall street)/1987年/アメリカ/主演 チャーリーシーン、マイケルダグラス〜私にとっては、マイケルダグラス最高のハマり役は「ゴードンゲッコー」
この作品が公開された1987年は、
日本は俗に言う「バブル」の最も華やかなりし頃。
多くの人が大金稼ぎに狂奔していた時代、
大金稼げれば(業績を上げれば)、違法すれすれの手段だろうがなんだろうが
"向こう傷は問われない"と経営トップもうそぶいていた時代。
またその頃は、みんながブランドに憧れていた時代。
ブランドの大学へ行って、ブランドの一流企業へ入れば、
ブランドの服、車、マンション、ブランドな人生が
手に入いると思われていた時代。
チャーリーシーン扮する主人公バドフォックスも、
そんな時代、海の向こうアメリカ、ニューヨークの
ウォール街の証券会社で、大金を稼いで、ペントハウスに住み、
リッチな生活を夢見るている若者。
この作品はそんな野心あふれる若者の成功と転落を軸に、
マネーゲームに狂奔する時代を描いた経済映画です。
この作品には、いくつか私がとても好きなシーンがあります。
まずは、作品の前半、バドフォックスが、
マイケルダグラス扮する大物投資家ゴードンゲッコーの誕生日に、
彼のオフィスをアポなしで訪問、受付嬢をなんとか口説いて、
念願のお目通りがかなうシーンです。
とても広々としたオフィスの中、多くの端末に囲まれ、
敏腕投資家として多忙な中にいながらも、
ゴードンゲッコーは対面したバドフォックスに
「こいつが59回も電話をよこしてきたガキだ」とからかい、
バドから貰った誕生日ギフトのキューバ産の葉巻が、
空港の売店で買ったものだと聞いて苦笑しつつ、
「それで今日は何しに来た」とやにわに要件を問いかけます。
そこでここぞとばかりに立ち上がって、
売り込みをかけるバドフォックスですが、
いくつかのとっておきのネタも、
即座にゴードン曰く「It's a dog」(役に立たない)と一蹴されます。
しかし最後にバドがつぶやいたとある航空会社の名を聞いた途端、
ゴードンの表情が変わります。
この時のマイケルダグラスの表情の演技がとても素晴らしく、
ウォール街に旋風を巻き起こしている気鋭の投資家ならではの、
嗅覚の鋭さをみたいなものを感じさせます。
この航空会社は、
バドフォックスの父親がが整備士として働いていて、
先日も、この父のもとに生活費の無心をするために訪れた際、
父から以前起きた事故にかんして、
当初は機体の整備不良が原因と疑われていたが、
事故調査委員会のその後の調査で、
航空会社側には過失はなかったことが判明、
近々その旨が公表されるという話を聞くに及んで、
そこは証券会社社員、
航空会社の株価上昇が見込めると胸にしまっていたこのネタを
思い切ってゲッコーに伝えると、彼は興味を示してきます。
この時も、最初は半信半疑な表情から、次第に口角を下げながら
いささか下卑た笑い顔をするマイケルダグラスの演技がとてもいいです。
因みにこのバドフォックスの父親役は、チャーリーシーンの実父である
マーチンシーンが演じています。
次に二つ目に好きなシーンですが、
父の勤める航空会社のインサイダー情報をもとにした株取引で、
ゲッコーに利益をもたらしたバドフォックスは、
ゲッコーからランチに招待されます。
場所はニューヨークマンハッタンにある老舗高級レストランの
「21クラブ」。
先に一人でテーブル席に座っていたゲッコーは、
バドが到着するなりさっそく
「タルタルステーキを食ってみな。メニューには載ってない料理なんだ」
と懇意にしている給仕に注文します。
高級レストランでは、
メニューに載っていない料理を注文できるのが、
セレブ常連客の特権だそうですが、
さらにゲッコーは上着のポケットから100万ドルの小切手を取り出して、
バドフォックスに渡し運用を託します。
お礼を言うバドフォックスに、
ゲッコーは
「もっといいスーツを着ろ。そんな身なりじゃこんな場所には来れないんだぞ」と言って、そのあと馴染みのテーラ―を紹介します。
先に勘定書にサインして立ち上がったゲッコーは、
去り際バドに向かって
「俺はなによりも損失が嫌いだ。
損失ほど俺の一日を台無しにするものはない。
うまくやりな。そうすればいいことがたくさんあるぞ」
とささやきます。
そしてゲッコーが去った後テーブルに、
生卵が真ん中にのせてあるタルタルステーキが運ばれてきます。
(今までてっきりハンバーグだと思っていたのですが、
調べてみたら、全部生肉を固めただけで火が通ってない、
こちらで言う「ユッケ」みたいな料理なんですね)
ゲッコーの覚えめでたく、
パートナーとして認められたバドフォックスは、
やがて自身の会社でトップセールスマンとして、
秘書付きの個室をあてがわれる地位まで昇格しました。
マンハッタン、イーストサイドのペントハウスに居を構え、
金髪の美女で絵画収集家のダリアンも手に入れ、
(しかし彼女はかつてゲッコーの情婦だった)
夢にまでみた生活を手に入れました。
しかしその実態はゲッコーにたきつけられるがままに、
あらゆる違法な手段を使って入手した、
企業のインサイダー情報をもとにした株取引によるもので、
いずれは露見して司直の手にかかる運命でした。
一枚岩かに思えたゲッコーとバドフォックスの関係も、
かつて二人をつなぐきっかけとなった、
バドの父が勤める航空会社の経営の再建に、
関与し始めたあたりから綻びが生じ始めます。
整備士の父やバドも旧知の労働組合の仲間のことも慮って、
再建を模索するバドの思いとは裏腹に、
ゲッコーは表向きは、
共に航空会社の再建に携わる素振りを示すものの、
密かに会社を解体し、資産を処分して、
その売却益で大儲けすることが狙いでした。
やがてゲッコーの意図を知ったバドフォックスは激昂し、
オフィスへの乗り込んでゲッコーへ詰め寄るも、
彼の資本の論理に言いくるめられてしまいます。
そして心労で倒れた父を目の当たりにして、
父や組合の仲間、そして航空会社を救うため行動を起こします。
かつてゲッコーの仇敵であり、先の製鉄所買収の際、
ゲッコーに煮え湯を飲まされた英国人投資家で
乗っ取り屋ワイルドマンを味方につけ、彼の資金を使って、
ゲッコーの航空会社解体を阻止する仕手戦を展開します。
結局、バドフォックスの目論見通り
ワイルドマンが航空会社の筆頭株主となり、
所有していた株を安値で放出する羽目になったゲッコーは、
大きな損失を被りました。
そして航空会社はあやうく解体の危機を脱したのですが、
一方でバドは、以前から密かに彼を内偵していた証券取引委員会によって、
証券詐欺とインサイダー取引の容疑で逮捕されてしまいます。
このあとのバドフォックスとゴードンゲッコーの
別離のシーンがあるのですが、これが三つ目の好きなシーンです。
その後しばらくして、
弱い雨が降るセントラルパークをバドフォックスが訪れます。
そこには芝生の上に一人でたたずんでいるゲッコーの姿がありました。
バドフォックスを見て、ゲッコーは笑いを浮かべながら
「まったく航空会社の件ではえらい目にあったよ」と語りかけるや否や、
バドを殴りつけます。
さらに、2,3発殴りながらゲッコーは
バドフォックスをこう罵ります。
「お前一人だけの力で、
こんなに早くここまでたどりつけたとでも思っているのか!
お前なんかがダリアンみたいな女をモノにできるわけないだろう!
普通なら今頃お前はせいぜい未亡人や歯医者相手に
クズ株を売りあるいているぐらいが関の山だ、
俺がお前を引き上げてやったんだ!
お前のために扉を開けてやったんだ、ダリアンをくれてやった!
お前を男にしてやった!ずべてをくれてやったんだ!
そのお返しがこれか!このクソ野郎!」
と最後に大きく殴りつけます。
ゲッコーは、ハンカチを取り出し、
殴られて地面に倒れこんでいるバドに、
血を拭えと言わんばかりに投げつけます。
そして最後に穏やかな口調でバドに語りかけます。
「お前を見ていると、俺はそこにかつての自分を見た・・
なんで裏切った?・・」
それに対してバドフォックスは答えます
「さあね・・
ただわかったのは俺はあくまでもバドフォックスだってことだよ・・
たとえいくらあんたのようになろうとしたところで、
俺はずっとバドフォックスだってことさ・・」
バドフォックスは、ゲッコーの足下に拭ったハンカチを投げつけます・・。
今更あんたなんかに情をかけられる謂れはない・・
という意思表示でしょうか・・。
そして二人は、それぞれ別の方角に歩き、そのまま別れます。
ある程度は自分の功名心や野心が入ってはいても、
父や旧知の仲間のために、会社を再建しようとする、
純粋なバドフォックスの気持ちを、
ゲッコーはどの程度理解していたのでしょうか。
バドフォックスが気付かない間に、航空会社を整理売却して、
後にその既成事実と大金をつかませておけば問題ないだろうと、
タカをくくったことが、ゲッコーの躓きであり、
彼の人間性の限界だったのではないでしょうか。
このシーンで、ゲッコーが放った罵詈雑言は、
二人の邂逅、
ある程度打算に裏打ちされてはいるもののそれなりの友情、
そして別離に至ったこれまでの短い歴史が凝縮されていて、
その裏にある人間の業の深さを、観ていて感じざるをえません。
そしてこのシーンの、マイケルダグラスの迫真の演技が
とても素晴らしいと思います。
このあとバドフォックスは、
近くで待機していた証券取引委員会の連邦捜査官に、
身体に仕組んであった盗聴テープを手渡します。
それはゲッコー自身にも、
捜査の手が及んでいることを意味するものでした。
この作品で、ゴードンゲッコーを演じたマイケルダグラスは
アカデミー主演男優賞を受賞しました。
彼の俳優として、一番油がのりきっていた頃なのではないでしょうか。
同時期の彼の作品では、翌88年に公開された「ローズ家の戦争」での
弁護士の役もとても好きです。
この「ウォール街」は、2011年に続編として
「ウォールストリート」(Wall Street : Money never sleep)
というタイトルで公開されました。
こちらは正直なところ私の評価は・・・・・
フランシスコッポラの「ゴッドファーザー Part III」を思い起こさせる、
厳しい言い方をすれば、秀作である前作を汚してしまいかなないような
そんな出来栄え・・とまで言ったら言い過ぎかもしれませんが、
これについてはまた今度書いてみたいと思ってます・・。
#ウォール街
#マイケルダグラス
#チャーリーシーン
#映画感想文
スカーフェイス(Scarface)/1983年/アメリカ/主演 アルパチーノ~オリバーストーンが一番伝えたかったこと・・
この「スカーフェイス」は、かつて1932年に公開された
禁酒法時代のギャング抗争を描いた作品「暗黒街の顔役」をもとに、
時代を1980年代に設定し直してリメイクした作品です。
監督は、この後に「アンタッチャブル」、「ミッションインポッシブル」
などの話題作を手掛けたブライアンデパルマ。
主演は当時、作品に恵まれず鳴かず飛ばずの状態だったアルパチーノ。
この二人は後にヒスパニック系のギャング抗争を描いた
「カリートの道」(1993年)でふたたびコンビを組みます。
物語は1980年、反体制主義者の烙印を押され、
カストロ率いるキューバ政府から追放された
難民集団の乗った船にまぎれこんで、フロリダ、マイアミへ上陸した
強盗の犯罪歴があるキューバ人、トニーモンタナ(アルパチーノ)と
相棒のマニー(スティーブンバウアー)が、
幾多の抗争をくぐり抜け、やがて地元のボスを倒し、
コカイン王へとのし上がっていくというもので、
アルパチーノの抑揚の激しい演技や電動ノコギリを使った残虐なシーン、
そして作品終盤の迫力満点の銃撃戦のシーンが話題となりました。
この作品は、当初の構想では、1932年のオリジナル版に近い、
ノワール的な要素をふんだんに取り入れた作風を志向していたところ、
二転三転した後、コカインを作品の主要なテーマとすることになり、
1978年に「ミッドナイトエクスプレス」でアカデミー脚色賞を受賞した
オリバーストーンが脚本を担当しました。
オリバーストーンは、この当時、自身もコカインを常用しており、
その依存症から抜け出そうともがいていた最中に、
この「スカーフェイス」の脚本執筆のオファーがきたそうです。
経験からくるコカインに対する"造詣の深さ"も 、
彼に白羽の矢が立った理由のひとつだそうです。
オリバーストーンは、前掲の監督作品「ウォール街」以外でも、
「プラトーン」(1986年)、「7月4日に生まれて」(1989年)、
「JFK」(1991年)、「ナチュラルボーンキラー」(1994年)、
「ニクソン」(1995年)などの多くの話題作を
監督として手掛けて世に送り出してきました。
証券会社の営業マンだったユダヤ系の父とフランス人の母の間に生まれ、
ニューヨークのマンハッタンで幼少期を過ごします。
18歳のとき、名門エール大学へ入学するもすぐに休学し、
当時の南ベトナム、サイゴンで英語教師をしたり、
アメリカ船籍の商船に下級船員として乗船して、
太平洋航路の航海に従事するなどした後、
再びエール大学へ復学するも結局退学してしまいます。
その後、1967年から約1年間自ら志願して陸軍へ入隊、
戦闘部隊へ配属され、折から激化していたベトナム戦争へ従軍して、
その間、多くの勲章を授かるほどのめざましい働きをしたようです。
一方、最前線の苛烈な戦況からくるストレスなのか、
ドラッグに手を染めたのも恐らくこの頃で、
ちょうど二十歳前後の多感な時期に、
大国アメリカが反共の名の下に、
その巨大な経済力と軍事力を使って、他国の内政に介入、
その国の人々を蹂躙して、多くの惨禍をもたらした現実を
目の当たりにしたことが、
後のオリバーストーンの作品や著作などでよく描かれている
ー米国の他国への横暴に対する強い戒め、
左寄りで、リベラルな政権に期待する虐げられた人たちへの理解 ー
といった彼の世界観を形成するきっかけとなったのではないでしょうか。
この物語の中盤あたりで、
ソーサというボリビアのコカイン密輸組織のボスが登場します。
流暢な英語を話す紳士風のこの男は、
コチャバンバというボリビアの地方都市の大地主ですが、
コカインを精製する工場を所有する別な顔も持っています。
トニーモンタナ(アルパチーノ)と、
彼のマイアミのボス、フランクの腹心であるオマーの二人は、
将来的なコカインの安定供給を目論んで、
ボリビアのソーサのもとを訪れます。
その商談の席で、ソーサにいたく気に入られたトニーは、
フランクに相談もせず大口の取引を引き受けます。
そんなトニーの独断にいらだつオマーですが、
過去に警察の密告者であった過去がソーサに露見してしまい、
その場でソーサの手下によって惨殺されてしまいます。
「一度だけしか言わない・・決して私を裏切るな」
とソーサに釘をさされながら、
マイアミ経由の密輸ルート確立を引き受けたトニー。
フロリダへ戻ったトニーは、ボスのフランクへ事の次第を説明するも、
トニーの独断に激怒したフランクは、
トニーを始末すべく殺し屋を差し向けます。
辛くも危機一髪のところ難を逃れたトニーは、
フランクのオフィスで、命乞いをする彼を射殺。
この後、早暁の空を飛ぶ飛行船に映し出される
「World is yours 」(世界はおまえのモノ)を
虚ろな表情で見つめるトニー・・。
こうしてトニーは、マイアミのコカイン利権を手中に収め、
ソーサから安定したコカインの供給を背景に、
麻薬王へとのし上がっていきます。
コカインの取引で、巨額の富を手に入れ、
大豪邸で贅の限りをつくすトニーですが、
連邦捜査局の手が密かに伸びており、
やがてマネーロンダリングの現場を押さえられ、
その場にいたトニーは逮捕されてしまいます。
大物弁護士を雇い、保釈はかなうも
脱税の罪による収監が避けられない状況となったとき、
トニーはボリビアのソーサから彼のコチャバンバの邸宅へ招かれます。
ソーサの邸宅に着くと、応接間にはすでに先客が待っていました。
それぞれボリビアの政財界、軍部の要人で、
さらにもう一人は「ワシントンの友人」と紹介された
アメリカ政府関係者らしき人物でした。
ソーサはさっそく本題に入ります。
ソーサは、トニーが窮地に立たされていることは既に把握していましたが、一方でソーサの側も深刻な問題を抱えていたのです。
それは、ボリビアの学者で反体制活動家が、
アメリカの報道番組に出演して、
ボリビア政府が行っている反体制派への弾圧行為の現状と、
アメリカとのコカイン取引からあがる収益が、
国内の反体制派を取り締まる際の武器を調達する資金源として使われ、
またそれらが政府や軍部の要人による
不正蓄財の温床になっている事実を、
ソーサを含めた関係者の実名と写真をつけて公表し、
その内容が世界各国で放映されるというものでした。
それを何としてでも阻止すべくソーサは、
この反体制活動家が滞在しているニューヨークへ、
自らの腹心を殺し屋として送り込み、
この活動家がテレビへ出演する前に殺害する計画を
トニーへ説明します。
そしてソーサはトニーに対して
脱税罪に対する莫大な罰金は払うはめになるが、収監は免れる。
その条件として、ソーサの腹心が反体制活動家を
ニューヨークで殺害する計画を実行、完了するまで
その身辺を保護してほしいと要請され、トニーは引き受けます。
このソーサ邸の応接間でのやり取りの中で、
オリバーストーンが暗に意味を込めたかったのは、
「この活動家を未然に始末して、テレビ放映を中止できれば、
脱税による収監が免れるようアメリカ合衆国政府は協力する。
なぜなら、この活動家の主張が世界各国で放映された場合、
ボリビア国内の左翼勢力による反政府活動を勢いづかせ、
ボリビア国内の政情不安、ひいては現親米政権の転覆という
最悪のシナリオの遠因にもなりかねない。
それは他の南米の親米政権への今後の帰趨にも
大きな影響を及ぼす可能性もある。
つまりこれはボリビア国内の問題にとどまらず、
アメリカの国家安全保障にとっても重大な問題なのだ」
という当時冷戦下で顕著だったアメリカの反共外交政策で
その論理からすればマイアミの一麻薬王の収監問題など、
たとえそれでコカインルートが温存されたとしても、
また、ボリビア政府内での腐敗が蔓延し続けたとしても、
国家安全保障の観点からすれば、些末なことにすぎない・・
という事になります。
ソーサ邸の応接間いた客で、
「ワシントンの友人」というのは恐らくCIAの南米担当で、
ソーサや他のボリビア政府関係者、軍の要人の意図を十分に汲んだことを、暗に言わんとするために同席していたのでしょう。
この作品が公開された1983年は、3月にレーガン大統領が、
議会での一般教書演説で、当時のソ連を「悪の帝国」と罵り、
9月には大韓航空機撃墜事件が発生して、
米ソ関係は緊迫した状況でした。
リメイク作品としてこの「スカーフェイス」は1980年に、
実際に発生したキューバからの大量難民発生事件から物語が始まり、
マイアミでのギャング抗争よりも、
コカインの供給先であるボリビアの支配階級に属し、
政財界と軍部にも強い影響力をもつ人物を登場させて、
親米政権の暗部に光をあてているあたり、
あくまで禁酒法時代のシカゴを舞台にギャング同士の抗争に焦点をあてた1932年のオリジナル版「暗黒街の顔役」と大きく内容を異にしています。
ソーサがトニーに依頼した事の背景にある、
国際政治的な利害と密接に結びついているボリビア国内の
利権構造の深淵さを理解できなかったトニー。
ニューヨークで暗殺計画を実行すべく行動していた最中に、
ちょっとした行き違いから自らソーサの腹心を殺す失態を演じ、
そのトニーの背信行為に激怒したソーサは、
暗殺部隊を送り込んで、トニーを殺害します。
贅を極めたその豪邸の入り口におかれ、地球を形どった彫刻に刻まれた
「World is yours 」(世界はおまえのモノ)だけが虚しく光っています。
冷戦時代はリベラル勢力、左翼勢力の伸長に対して
それを力で抑え込もうとする政権・軍部との争いが永く続いた国では、
この作品に登場するソーサのような一握りの人間が
広大な土地や富を一手に所有して、非合法な経済活動にも手を染め、
政権や軍部と深いつながりを持ついわば黒幕もしくは政商として、
裏で様々に暗躍して、それを告発し抗おうとする人々は、
反共と治安維持の名目で警察や軍に徹底的に弾圧され殺害されました。
人権擁護や崇高な理想主義で標榜しながらも
世界中に展開する自国企業の経済活動や利権、
そして自国の安全保障に重大な影響が出ない限り、
その国の圧政を黙認または間接的に支援するという
この時代のアメリカの外交政策の本質を、
オリバーストーンはやんわりと主張したかったように思えてなりません。
この「スカーフェイス」は、後の彼の作品で描かれた彼の世界観の
一端が垣間見えたように思います。
最後にこの作品でアルパチーノが演じたトニーモンタナは、
「ゴッドファーザー」のマイケル、「狼たちの午後」のソニーと並ぶ、
三大「熱演」キャラクターの一つだと私は思うのですが・・
ただし、これらはあくまで「熱演」です。
「名演」となるとアルパチーノは、他の作品で演じた準主役とかの
演技も含めると数限りなくあると思われます。
#アルパチーノ
#オリバーストーン
#コカイン
#スカーフェイス
#南米
#ボリビア
#映画感想文
グッドフェローズ(Goodfellas)/1990年/アメリカ/出演 レイリオッタ、ロバートデニーロ、ジョーぺシ ~ ロバートデニーロの真骨頂(1)
それにしても、この人は本当に多くの作品に出演している俳優さんですね。ウィキペディアで彼のフィルモグラフィを見てみると、
1990年以降はほぼ毎年2~3作品のペースで出演しているみたいで、
2013年などは御年70歳ながらなんと6作品に出演してます。
あまりご自身の俳優としてのイメージとかみたいなものにこだわらない、
依頼がきた役ならなんでも引き受けましょうみたいな方なのでしょうか。
まさにカメレオン俳優と言われる所以で、
その演技にかけるバイタリティー感服いたします。
このウィキペディアの出演作品リストから、
私がこれまで鑑賞したことのある作品を、年代順に列記してみました。
「ミーンストリート」1973年
「ゴッドファーザーPART II」1974年
「タクシードライバー」1976年
「ディアハンター」1978年
「レイジングブル」1980年
「キングオブコメディ」1983年
「ワンスアポンアタイムインアメリカ」1984年
「恋に落ちて」1984年
「ミッション」1986年
「エンゼルハート」1987年
「アンタッチャブル」1987年
「ミッドナイトラン」1988年
「ジャックナイフ」1989年
「俺たちは天使じゃない」1989年
「アイリスへの手紙」1990年
「グッドフェローズ」1990年
「レナードの朝」1990年
「ケープフィアー」1991年
「ボーイズライフ」1993年
「カジノ」1995年
「ヒート」1995年
「ザファン」1996年
「スリーパーズ」1996年
「コップランド」1997年
「噂の真相/ワグザドッグ」1997年
「ジャッキーブラウン」1997年
「アナライズミー」1999年
「アナライズユー」2002年
「ニューイヤーズイブ」2011年
「マイインターン」2015年
さて、このこれまで観てきたデニーロ出演作品で、
私が思う彼の真骨頂ともいえる作品の一つ目が
この「グッドフェローズ」です。
監督をつとめたマーティンスコセッシはこれ以外でも、
いわゆるマフィアものとされている作品をいくつか手掛けていますが、
その中でも1990年に公開されたこの「グッドフェローズ」を
一番最初に持ってくるファンの人も多いのではないでしょうか。
ストーンズやその時代の名曲を場面ごとにBGMとして流して、
物語の展開に弾みをつけるスコセッシ節が全編にわたって冴えています。
ニューヨークのブルックリンとJFK空港周辺の街を
縄張りとするマフィアの元構成員で、
後々さまざまな経緯でFBIに寝返って証人となり、
証言台に立って、かつての仲間を刑務所に送り込んだ
元構成員ヘンリーヒルの自叙伝を映画化したもので、
この作品でロバートデニーロは、計画性と実行力を兼ね備え、
かつその冷酷さで仲間からも恐れられている強奪のプロ
ジミーコンウェイ役を演じています。
物語自体は、レイリオッタが扮する
主役のヘンリーを軸に進んでいきますが、
話の重要な局面でジミーは必ず登場し、
同じ仲間で小柄ながらもひとたびキレると
手がつけられないジョーぺシ演じるトミーとともに、
強烈な存在感で作品を盛り上げています。
ロバートデニーロはこの作品の時は、
ちょうど47歳で、役者としてまさに脂がのりきっている時期でした。
作品の中で、相好を崩しても決して目は笑ってなく
不気味な光を放っている、彼独特の表情は、
このジミーコンウェイ役はうってつけで、
見事に役にはまっています。
物語の中盤、ジミーとその一味は
JFK空港内のルフトハンザ航空の倉庫に
保管されてある大金の強奪に成功しますが、
その分け前を再三要求してくる仲間の執拗さに業を煮やした彼は
その強奪に関わった仲間達を粛清する事を決意します。
その時、タバコをくゆらせながらも遠くを見つめているデニーロの表情は
微かに笑っているようで、しかし目が光に反射して底気味悪く
棲む世界が違う人間だと思わせるような雰囲気を醸し出しています。
バックに流れるエリッククラプトンの名曲「コカイン」が
そのシーンをいっそう引き立てて、その演技はまさしく
デニーロの真骨頂だと感じます。
またこの作品は、ところどころで
ヘンリー扮するレイリオッタのナレーションが入るのですが、
物語の終盤、ヘンリーはヘロインの密売で逮捕され保釈後に、
馴染みの食堂でジミーと落ち合うシーンがあります。
その時のナレーションが
「仲間の中の誰が俺を殺ろうとしているかなんて、わかりゃしない。
言い争ったり、罵ったりなんて映画の中だけの話さ。
殺ろうと思っているやつは、いつも通り笑顔でやってくる。
まるで友達のように、心から俺の事を気にしているかのように・・。
そしてたいていこちらが切羽詰まって弱り切っているときに・・。
ジミーとはお互い馴染みの場所で会う約束をした。
俺は約束の時間の15分前に着いたのだが、
もうジミーはすでにそこにいた・・。
食堂にくるやつを見渡せるように、そして
俺が誰かに尾行されていないか確かめられるように、
ジミーは窓際の席に座っていた。
彼はかなりビクついているようだった。
いままでそんな彼の姿を見たことがなかった」
席に現れたヘンリーの姿を見るや否や、
ジミーは立ち上がって笑みを浮かべてヘンリーをハグします。
そして席に座り向かい合って談笑しつつ、
ナレーションでもヘンリーが語っている通り、
内心ジミーは懸命にヘンリーが警察に密告と引き換えに、
自分だけ助かろうとしないかを探ろうとしています。
この時のジミーを演じているデニーロの表情・・
特に眼鏡越しに見える彼の目線がとても冷たく、
光りの反射具合が不気味で、長年、裏の世界を生き延びてきた
男の狡猾さ、冷酷さがとてもよく表現されていて、
この場面のデニーロの演技も、まさに真骨頂だと思います。
異論があることは重々承知の上で申し上げます。
ロバートデニーロとメリルストリープが共演した
「恋におちて」(1984年)は、作品自体はいいと思うのですが、
このデニーロが演じた役どころは、
彼のイメージにあったキャラクターではなかったと私は思っています。
作品中に、時折みせる真剣な眼差しは誠実さではなく、
常に何か考えを巡らせながら敵のスキをうかがう目で、
やはりアウトローか刑事の役か・・。
軍人だと規律からくる凛々しさがあるのでイメージから外れますが、
とても家族がいて毎朝自宅から電車で職場に通勤する
会社員の役はちょっと観ていて、違和感を感じました。
デニーロがアカデミー主演男優賞を受賞した
「レイジングブル」のジェイクラモッタ役ですが、
私がイメージするボクサーは、
一言で表わせば"ひたむきさ"なので
デニーロのもつイメージと合致しません。
この作品のデニーロは、引退して荒んだ晩年の頃の役などは
デニーロらしさが上手く出ていたと思うのですが、
現役時代のデニーロの演技は私の中では、
あまり良い印象ではありません。
むしろこの作品は、偉大なボクサーである兄を尊敬しつつも、
その毀誉褒貶の激しさと、疑心暗鬼の強さに疲れ果て
兄と訣別する弟役を演じたジョーぺシこそ、
この作品の中で、出色の名演だったと思います。
後々の同じくマーティンスコセッシ監督作品の「カジノ」(1995年)でも、
デニーロはジョーぺシとコンビを組んで異彩を放っていますが、
この「グッドフェローズ」のジミーと比較すると迫力に欠け、
演技もちょっと不自然な印象でした。
やはりロバートデニーロが演じたアウトロー役では、
私はこの作品のジミーコンウェイが一押しです。
#グッドフェローズ
#ロバートデニーロ
#マーチンスコセッシ
#マフィア映画
#映画感想文
ミッドナイトラン(Midnight run)/1988年/アメリカ/主演 ロバートデニーロチャールズグローディン ~ ロバートデニーロの真骨頂(2)
ロバートデニーロの真骨頂といえる作品二つ目は、
この1988年に公開されたこの「ミッドナイトラン」です。
この作品で、ロバートデニーロは、バウンティハンター、
つまり保釈金を融通する保釈金融屋の依頼で、
保釈中に逃亡した容疑者を探し出して捕まえ、
報酬を受け取るいわゆる賞金稼ぎの役を演じています。
物語は、元シカゴ市警の刑事で、わけあって今はロスで
賞金稼ぎをしているデニーロ扮するジャックウォルシュが、
馴染みの保釈金融屋エディから、多額の保釈金を融通して、
保釈後に姿をくらました通称デュークと呼ばれる元会計士を
捕まえてほしいとの依頼をうけるところから始まります。
デュークは、金の横領で捕まっていたのですが、
横領した金は実はなんとマフィアのフロント企業の金で、
しかも逮捕される前に、その横領した金をすべて
持ち前の正義感からチャリティに寄付したらしく、
当然、マフィアは血眼になってデュークを探します。
このマフィアのボスはジミーセラノといい、
かつてジャックウォルシュがシカゴ市警の時代に
いろいろとイキサツのあった因縁の相手でした。
またエディ曰く、5日後の金曜日の夜中までに、
デュークを連れ戻さないと、保釈金は没収され、
エディは破産の憂き目にあうそうで、ジャックは当初は尻込みするものの、10万ドルの賞金を条件に依頼を引き受けます。
さっそく捜索を始めたジャックは、旧知の警察関係者から、
デュークの通話記録を入手して、
逃亡先がニューヨークであることを突き止め、現地へ向かいます。
その間、ジミーセラノを内偵しているFBIや、
ジミーの手下の連中から恫喝されますが、
潜伏先のニューヨークのアパートで、デュークの身柄を確保し、
そのままJFK空港へ向かい、空路ロスへ向かうと思いきや、
搭乗した航空機の離陸寸前に、
デュークがフライト恐怖症だと騒ぎだしたため、
ジャックは仕方なく輸送手段をAMTRACK(全米旅客鉄道)に変更して、
再びロスへ向かう羽目に。
ここから、かつての仇敵ジミーセラノとFBI捜査官のアロンゾ、
そしていつもジャックの手柄を横取りしようとする
別の賞金稼ぎマービンを巻き込んで
アメリカ大陸を横断しながら繰り広げられるドタバタ大活劇が始まります。
この作品は、序盤からいろんな伏線を張り巡らせながら、
軽快でテンポよく物語が展開して、笑いとアクションを絶妙に織り交ぜて、時折、ほろりとさせられるシーンもある傑作ロードムービーです。
作品の魅力は、まず登場人物のユニークなキャラクター付けです。
FBIとマフィアを向こうに回して追われる身であるにもかかわらず、
ジャックの身の上に関心を持って、
時々、親友のような助言をするデューク。
彼がなぜ自らの命の危険も顧みず、マフィアの金を横領して
チャリティに寄付をしたのか、物語が進んでいくなかで、
彼の人柄が垣間見えてきます。
ジャックにデュークの捜索を依頼した保釈金融屋エディは、
いかにも胡散臭そうな雰囲気を漂わせて、とても金にセコイ男。
そんな彼とジャックが、電話で罵り合う場面は、
まるで漫才を観ているみたいで、笑わせてくれます。
いつもダークスーツにネクタイ、そしてトレンチコートという
お決まりのFBI捜査官スタイルに、しかめっ面で威厳たっぷりに振舞うも、
いつもジャックに先を越されて、ちょっと間抜けな黒人捜査官アロンゾ。
ジャックは物語の序盤に、アロンゾの捜査官IDをくすねることに成功、
それを偽造して、自分の捜索に利用します。
ライバルの賞金稼ぎマービンは、ちょくちょく現れては、
話をひっかきまわします。
現実の賞金稼ぎの世界も、相手の獲物を横取りしたり、
されたりは当たり前の世界なんでしょうか。
物語のクライマックスでも、また現場にのこのこ現れて、
アロンゾが双眼鏡越しに「またアイツだっ!!」と叫ぶシーン・・
何度見ても笑ってしまいます。
このように脇を固める登場人物と、主人公ジャックウォルシュとの
絶妙なやりとりが、ややもすればアクションに偏り過ぎたり、
物語の展開するテンポが滞ってしまいそうなところを補って、
上映時間の2時間6分があっという間に過ぎていく、
とても充実した内容の作品に仕上がっています。
ロバートデニーロ演じる主人公ジャックウォルシュは、
シカゴ市警の元刑事で、当時シカゴにてヘロインの元締めだった
ジミーセラノを挙げる一歩手前で嵌められてしまい、
刑事を辞職、妻と娘とも別れて、シカゴを去った過去があります。
その後、ロスで賞金稼ぎをしながらコツコツと貯めた金を元手に、
いつかはコーヒーショップを始める夢を持っていますが、
左腕には未だに別れた妻から、昔プレゼントで貰った腕時計をしています。
このような境遇で、そして性格はぶっきらぼうで地味だけど、
時折見せる身のごなしから、かつては敏腕刑事だったことを思わせる
中年の元刑事の役は、この時期の俳優ロバートデニーロの雰囲気に
とてもマッチしていて、まったく違和感なく、
この役どころを演じていると思います。
FBIやジミーセラノ、そしてライバルのマービンからの追跡を
なんとか逃れたジャックとデュークの二人は、
ロスへ向かう貨物列車の中で、デュークに度々尋ねられた、
かつてシカゴでのジミーセラノとの経緯や、
腕時計にこめられた別れた妻への未練を話し始めます。
このときのデニーロの表情、話し方、ちょっとしたしぐさが、
とても切なさで溢れて、胸が熱くなるシーンです。
別れた妻ともしかするとよりを戻せるかもしれない、
そんな一縷の望みを腕時計に託しているジャックに、
デュークは微笑みながら言葉をかけます。
「彼女は戻ってこないと思うよ・・。いつか吹っ切らないとな・・。
新しい腕時計を買いなよ」
過去と訣別し、この先に続く未来・・その境界にある腕時計。
とても素敵なシーンです。
物語の終盤、ラスベガスの空港で、
ジャックは連れ去られたデュークを取り戻すべく、
ジミーセラノと対峙します。
この時ジミーセラノは、昔、ワイロを受け取ることを拒み刑事を辞めて、
家族と別れてシカゴを去ったジャックにこう問いかけます。
「またこうして会えたら、ずっとお前に聞いておきたいことがあった・・
仲間だった刑事に、てめえの女房を取られてお前は平気なのか・・
あいつは今じゃ警部だぞ・・信じられるか・・あんな奴が警部だ・・」
この時のジャックは、ただジミーをじっと見据えたまま何も答えません。
かつてシカゴ時代の様々な出来事が、走馬灯のように
ジャックの頭を駆け巡っていたのではないでしょうか。
しかし、否定したくても否定できない事実を受け入れるしかない、
そんな時の、人が感じるつらさ、やるせなさを、
デニーロは顔の表情だけで表現しているかのようで、
とても素晴らしくデニーロの演技の真骨頂です。
物語はこの後、明るい結末が待っています。
ジャックウォルシュとデュークは
金曜日の11時40分にロスアンゼルス空港に到着できました。
金融屋エディに一報を入れて、
バウンティハンターとしての仕事は完遂したことを伝えた後、
ジャックはデュークを逃がしてやります。
そして左腕につけていた腕時計を外して、デュークの腕にまき、
「これは俺たちの冒険旅行の記念だ」とつぶやきます。
ジャックは「新しい腕時計」をつける決心がついたのでしょう。
物語の終わり方も、とてもすがすがしく、胸がすくような、
そんな終わり方です。
「ワルではないけど、まっとうな生き方もしてはいない。
でも優しい心は失っていないタフな男」
この「ミッドナイトラン」のジャックウォルシュ役は
ロバートデニーロの持ち味を存分に発揮できた当たり役だったと思います。
#ミッドナイトラン
#賞金稼ぎ
#ロードムービー
#映画感想文
真夜中のカーボーイ(Midnight cowboy)/1969年/アメリカ/主演 ジョンボイト、ダスティンホフマン ~ ゴミ箱に過去を捨てた
<この記事は、昨年一度投稿しましたが、
今回、加筆・修正を加えて再度こちらで投稿いたしました>
真夜中のカーボーイ」・・言わずと知れた
アメリカンニューシネマの傑作のひとつ。
最初に観たのは、確か中学ー年生のときで、
年末年始の深夜映画特集で放送されたものだった。
さすがにその年齢の、私の理解力では到底内容が追いつかなかった。
ただ60年代の荒涼としたニューヨークの下町の風景と、
フロリダの明るい陽射しがとても印象に残って、
観終わったあと世界地図を広げて
作品の中で、主役の二人がもがいたニューヨークと
バスでむかったフロリダを探したことを覚えている。
その後、時間は経って、
40歳になるかならないかぐらいの時期に、
再びこの映画を観た。とても素晴らしかった。
テキサスの田舎からニューヨークの都会に
成功を求めてやってきたジョー(ジョンボイト)。
作品の中では断片的に流れるが、
彼は田舎でとても辛い過去がある。
自慢のカーボーイスタイルで、
金持ち女のヒモにでもなろうと目論むも、
都会の現実はそんなに甘くはない。
そんな中、片足が不自由で、怪しい雰囲気を醸し出す
小男のラッツォ(ダスティンホフマン)と出会う。
金が底をついて宿を追い出されるも、
ただ能天気なジョーと、
いつかフロリダへ移住し、暖かい陽射しの中で、
成功を夢見ているラッツォ。
そんな二人の出会いと、
その後いろんな紆余曲折のあと
約束の地フロリダに向かうまで、
二人が都会の片隅でもがくさまを
乾いた虚無的なタッチで描かれている作品。
西部劇から抜け出たような強い逞しい男そのままの、
カーボーイスタイルで口説けば、
都会の女など簡単にものにできると
勘違いしているジョーに
ラッツォが呆れた顔をして
「お前のそんなクソみたいなカーボーイスタイルなんぞ42番街の連中以外、誰も相手にしやしねえよ、オカマか?」
(dumb cowboy crap of yours don’t appeal to nobody except every jockey on 42nd Street. That’s faggot stuff!) とたしなめると、
「ジョン ウェインがオカマ野郎だと!」
(“John Wayne! You wanna tell me he’s a fag?)
とジョーが、まるで自身の全てを否定されたかのように
むきになって言い返す。
このジョーが言うジョンウエインとは、
どう解釈したらいいのだろう・・。
田舎からでてきた、世間知らずのジョーにとっては
強き男、強き米国の代名詞で
その強さに世の女性はみんな靡く
そんな、男の中の男。
しかしニューヨークの都会の片隅で
世間を斜めに見ているラッツォにとっては
時代遅れで、色褪せて、落ちぶれ果てた
田舎者の象徴・・。
大金を稼いで、陽光ふりそそぐフロリダにて
有閑マダム相手のビジネスで成功する夢を思い描くラッツォ。
夢の中で、左足も癒えたのか、ジョーと二人で
砂浜をかけっているシーンがとても印象深い。
しかしその夢も、ジョーが替え玉になりすまして
潜り込んだ先のエスコートサービスで、
目当てのマダムに相手にされず、
その場から叩き出されてしまうところで、
現実のニューヨークの喧騒とした街の中へ引き戻される。
唯一の二人のねぐらも取り壊しの憂き目にあい、
あてもなくニューヨークの街をとぼとぼ歩く二人の脇に
「Steak for everybody every lunch and every dinner -
Northeast yellowbird to Florida」の広告看板が掲げてある。
フロリダはとても遠い場所だ。
場末のダイナーで、聖書から引用したしたのか
「魂は不滅で、死んでもまた他人の身体へ生まれ変わるんだ」
と語るラッツォ。
でもジョーは「そうだとしてもお前の身体だけはごめんだね・・」
ラッツォはこのときはもう、胸の病がひどくなっていた。
床に臥せたラッツォを医者に診せようとするジョーに
彼はこう叫ぶ
「No Doctor! No Cops! Don't be so stupid. Florida…You got me in Florida! Just put me on the bus! 」
そんな病を患った状態で、
フロリダ行のバスなんかに乗れるはずもないが、
窮したジョーは男相手の売春で体をはって工面した金で、
どうにかラッツォを伴ってフロリダへむかうバスに乗り込む。
バスの座席でラッツォはこうつぶやく
「31時間・・・11時30分につく。今朝じゃない・・明日の・・」
夢の地フロリダへ行くバスの時刻表を、
彼はいつも眺めていたのだろうか・・
かの地での想いを馳せながら・・。
バスの窓越しからの明るい陽射しで目を覚ましたジョー。
バスはすでにフロリダを走っている。
隣に座っているラッツォが失禁したと泣きべそをかく。
「トイレ休憩あっても、予定通りいかないな・・」
笑い出すジョーに、また笑いで返すラッツォ。
二人の笑顔になんだが救われる気がした。
ジョーは夢でうなされるほどの辛い、故郷での過去を抱えたまま、
ニューヨークへ出てきた。
ニューヨークでは成功するはずだった。
世間知らずな田舎者の彼はそう信じていた。
そんな彼のよりどころが
カーボーイスーツ、シューズそしてカーボーイハットだった。
それらは強い男のシンボルであり、
自分はジョンウエインであり
都会の女どもはみなイチコロなはずたった。
しかし現実は、ペテン師ラッツォに有り金をだまし取られ、
安宿を追い出され、そのラッツォと試みたマダムキラー計画も失敗し、
気が付けば廃墟のねぐらで二人共同生活をしながら、
都会の底辺をあてもなくさまよい歩いた。
ひん死の状態のラッツォと、夢の場所であるフロリダにきた。
ラッツォに寄り添いながら、彼は過去を捨てた。
そのフロリダの青い空、明るく暖かな陽射しの中で、
彼はまともな職を探し、新たな人生を生きていく決心をする。
途中停車した時に立ち寄った店で、
ジョーはラッツォの着替えを買ってやり、
自分の身なりも新たに整えた。
そして着ていたカーボーイスーツ、シューズ、
ステットソンカーボーイハットをひとまとめに
ゴミ箱へ捨てた。
このシーンは、どのように解釈すればいいのだろうか。
原作の小説にも、当然この場面は登場する。
単に要らなくなった服を、捨てただけのシーンなのか
それとも、ジョーが捨てた、
これまでずっと身に着けていたカーボーイスタイルに、
何か深い意味が込められていたのだろうか。
物語の中盤にでてきたように、
ジョーにとってのカーボーイスタイルは、
ジョンウエインであって
その意味するところを、大きな視点で考えれば、
第二次世界大戦に勝利し、
50年代、繁栄を謳歌した強き米国の象徴。
ジョー個人にとっては、強さのシンボルであり、
男とは、かくあるべきのヒーロー。
しかし激動の、混沌とした60年代はいると、
それは偏狭で独善的なだけの
単なる力の信奉者であり、
多様な価値観へ向かう時代の流れのなかで、
取り残された過去の遺物。
物語の最後のこのシーンで、
ジョーがゴミ箱に棄てたのは、
すでに朽ち果てた、もう要らなくなった
価値観そのもの・・。
都会で出会ったラッツォとの奇妙な縁
その彼が命を賭してまで、導いてくれたフロリダ
そこはジョーの再生、そして未来の場所。
物語の最後は、決してハッピーエンドではないけれど
絶望もない、でも、ただうらさみしくも
かすかな光を感じさせるそんな名作。
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