「君の話」を読んだ中二女子の感想〈下〉
この本を読んで、結末を知った方なら「じゃあコートのポケットに入っていた手紙は何だったんだ?」と感じると思います。
この終わり方では、夏凪灯花が千尋のコートのポケットに手紙を入れるタイミングなんてなかったことになってしまう。
色々な考え方があると思うんです。
桐本希美が書いたものかもしれませんし、千尋の母親が書いたものだったのかもしれません。現実的に考えたらそうかなと思います。
でも私は、あの手紙は灯花が用意したエンディングだったんじゃないかとおもうんです。
さすがに非現実的ですし、そんなことができるタイミングが灯花になかったことはわかっています。
そもそも自分でも、どうしてこんな考えが出てきたのかわかりません。
ふっと思いついただけなんです。
灯花は自分がいなくなった後に千尋にあの手紙を見つけてもらって、泣いて欲しかったんじゃないかと。
あまりに予定調和的でいかにもな感じがして、それでもとても優しい、理想的なエンディング。
千尋にとっても灯花にとっても理想的な別れなんじゃないかと思いつくと、その考えが正しいものであるような気がしたんです。
もしかしたら探し出せなかっただけで、三秋さん本人がインタビューなんかで回答していることなのかもしれませんし、作品の中で回収されている伏線なのに私が見落としていただけなのかもしれない。
でもnoteに書いたのは、できれば同じ考えを持つ誰かと共有したかったからです。
私の他にも同じ考えに辿り着く人がいるんじゃないかと考えて、ここに書いてみました。
別の考えの方も、答えを知っている方も、この本を読んでいない方も。ネット上に溢れる解釈の一つとして楽しんで頂ければ幸いです。
私は『「君の話」を読んだ中二女子の感想〈上〉』に夏凪灯花になれなかった松梛灯花のことが悲しく感じられると書きました。
でもその感想は、半分本当で半分噓でした。
一晩たって思うのは千尋には夏凪でも松梛でも、ただ灯花であればよかったんじゃないかということなんです。
「君の話」を読み終えた夜、私は布団の中で千尋になっていた・・・と思います。
15歳の夏祭りのことや、あの夏休みのことを思うと切なくて涙がこぼれてくる。ただ灯花の思い出をなぞっていました。
灯花の思い出を辿るとき、悲しみも寂しさも虚しさもなくて、ただ思い出の自分が経験した幸せを感じていました。
悲しみを感じる余裕がなかったのかもしれません。
私が感じることは千尋とは違うと思います。
けれど私の頭には、「義憶」を埋め込まれたように灯花の思い出がありました。
私がこの本を気に入っている理由は、装丁にもあります。
実を言うと、初めは装丁には不満をもっていました。
もっと青みが強い、今っぽいイラストがよかったんですよね。
でも読み終わって思ったのは、「あぁ、表紙の女の子は夏凪灯花だったんだ。」ということです。
「幻想的で綺麗な女の子」という風に描かれているからかもしれませんが、なんとなく、夏凪灯花はこの子だと思ったんですよね。
この子が持っている花は灯花が千尋に名前を教えた花なのかな、なんて考えたりして。
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いかがでしたでしょうか。
今回はひかり史上初めて、一冊の小説の感想を二つの記事に分けて書いてみました。
わりと予防線を張らずに解釈なんかを書いてしまったので気恥しい気持ちもありますが、「山椒魚」の感想を書いたときにコメントで伝えて頂いたこともあって今の自分の気持ちを正直に吐き出してみました。
これから三秋さんの作品を読んで行けばまた考えも変わっていくかもしれませんが、それならそのとき、その記事に書いていこうと思います。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
上巻はこちら⤵︎