「恋する寄生虫」を読んだ中二女子の感想
少し本題から離れてしまいますが、私にとって誰かを好きになることは誰かに依存することと同義なんですよ。
恋の話で、「寄生」という言葉が出てきたから。
理由はそれだけかもしれませんが、そんなことを自覚させられました。
この空っぽな感じ、やっぱり好きだなぁと思います。
もちろん悲しいお話ですし、主人公がひじりのことを考えている優しさもあるのですが、私にはそれよりも作品全体に空っぽな感情が染みついているように感じられるんです。
なんだかこれを読んでいる間中、それしか考えられなくて。
なかなか感想が出てこないんですよね。
作品が好きすぎるというのも大変です。
冷静なコメントができない。
結局この物語も「ハッピーエンドと言えばハッピーエンド。でも物語が終わった後、主人公は泣き続けるだろうな。」と思わせる終わり方でした。
「君の話」ではあと話もあって、本当にハッピーエンドと言えるものかもしれませんがこの物語の方はあと話もないので、余計にそうなのかもしれません。
でも、幸せな話だな。
そう思います。
運命の人と出会えて、短い間でも100%の幸せの中にいられるってすごく幸せなことですし、羨ましいなぁと思って。
そこで色々な悲しいことがあったとしても、そこまで心を動かすことができるのってすごいことですし。
ヒロインの佐薙ひじりの考え方って、怖いほど私に似ているんですよ。
正確に言うと、一か月くらい前の私に。
「その思考はもうちょっと洗練できるんじゃないかな。」とは言いたくなるので少し不本意というかなんというか、重すぎる感じはするのですが、私が佐薙の立場だったら、私もそうしてただろうなぁって思うんですよ。
たぶん・・・。
私は、操られていようがなんだろうが、幸せならそれで幸せなんだっていう考え方だから。
だから、「操り人形の恋」なんだとしても運命の人と出会えて、愛してもらえて。そんな風に幸せでいられるのなら、それでいいかなって。
むしろ操られるくらいで佐薙が高坂に愛されるくらいに愛されるんだったら、操られたいです。
この本の終わり方も、好きなんですよ。
人生最後でも、綺麗な景色のなかで死んでいけるんだったら、それもまぁいいか、みたいな。
私自身、今死ぬとしてももっといい作品を残したかったけどなぁ、というくらいでそんなに強烈な後悔は抱かないと思います。
なんだかそういう空っぽなところが、佐薙と似ているのかなぁ、なんて思ったりして。