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「あの夏が飽和する」を読んだ中二女子の感想

暗い物語だけど、最後には希望の光がある。

カンザキイオリさんらしい作品でした。

道徳の授業で綺麗事(と、主観的に感じること)を押し付けられるのが嫌いな私ですが、カンザキイオリさんの作品、曲も小説も含めて作者自身がそう信じて書かれているような気がしてストンと受け入れられるんですよね。

最後の武命の手紙の「また皆で夏祭り行きたいよ~すごい後悔してる。」

のところとか特にそうで、何にも考えずに「これが正しい」って押し付けてくる人とは違うなって思います。

この本を読む前、「あの夏が飽和する」の曲が細かく書かれた小説なのかなって勝手に思っていたんですよ。

でもそうじゃないんですね。

「あの夏が飽和する」の細部も主人公、千尋の回想という形で描かれてはいるんですけど、メインストーリーはそこじゃなくて、その後。

曲中の「僕」が大人になってからの話なんです。

大人になっただけはあって、千尋自身が「頼れる存在」になったと言うか・・・。

この千尋だったら、曲の最後みたいにはならなかったのかもしれないな。

そう思いました。


「あの夏が飽和する」の曲だけじゃなくて、カンザキイオリさんの他の曲の要素もたくさん出てきて、絡んでいました。

とは言え、この本がそれらの曲の解説になっているというわけではなくて。

例えば登場人物の思想になっていたり、その曲を連想させるセリフがあったり。

出てくる順番に聴けばいいというものでもなさそうです。

カンザキイオリさんの曲を全部頭に入れてから読みたいなと思いました。

この物語の最初から、「あの夏が飽和する」の曲の「君」に当たる流花はいないんですけど、流花を引き留めなかった千尋を責めたくはないな。

と、そう私は思います。

好きな人の思いは尊重したいし、死にたいと思うこと自体は悪いことじゃないと思う。

でも生きてて欲しい。

そう伝えるのって勇気がいると思うんです。

吞気に生きてる私がそんなこと言っても怒らせるだけかもしれないし、追い詰められているときにそんなことを言われても、受け入れた貰えない・・・「この人にまで反対された」なんて、そう思われたら嫌だから。

流花のことは引き留められなかったけど、瑠花に「死ぬな」って言えた千尋さんは凄いです。


「あの夏が飽和する」の曲そのまんまではないですが、上でも書いた通り旅の細部のエピソードも出てきます。

この本を読んでから、あの曲から夏草の匂い、汗と泥の匂いも感じられるようになりました。

ボカロって人間味のない、ある意味清潔感のある「綺麗」が多いと思うんですが、

と言うか少なくとも私はそう感じるんですけど、この本を読んでボカロの「あの夏が飽和する」に人間味が出てきたなって思います。


「あの夏が飽和する」の曲だけ聴いてこの本を読むか迷っている方がいたら、ぜひ読んでみてください。

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