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#31 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/春の伊那谷 河岸段丘と飯田線の旅

静岡工区の着工を巡って某県前知事が巻き起こした混乱により、開業時期が見通せないリニア新幹線。
その長野県駅予定地の近くに、わたしの実家があります。

今年(2024年)のGW後半は、ブロンプトンを連れて飯田へ里帰りしてきました。最近は身辺慌ただしくて記事を書く時間がなく、気づけば4ヶ月以上も経ってしまいましたが、そのときのライドについて綴っていきます。


◆ 河岸段丘を上って

伊那谷は発達した河岸段丘が特徴的。天竜川に近い谷底には大動脈である国道153号線が南北に伸びています。西岸ではその数段上の段丘を広域農道が、天竜川に流れ込む支流の谷を登り降りしながら続いています。さらにその上には、通称「上街道」という昔の街道筋が、中央自動車道と絡みながら集落を結んでいます。
上へ行けば行くほど眺望はよく、またクルマも少ない自転車向きの道になります。

しかしながら、わたしの実家は谷底にあるため、小径車で段丘上まで登るのが一苦労。標高400メートルから800メートルまでの直登。平均勾配にならせば6%強ながら、部分的には10%を超すような、激坂とは言わぬまでも、準・激坂には認定されるレベルの(←誰が認定するんだ)数キロの上りです。

今春は「上街道」のさらにもう一段上の段を、果樹園の中の生活道路や古寺を拾いながら、駒ヶ根の光前寺まで走りました。飯田からは約40キロ。小径車でポタポタと走るには適当な距離なので、過去に何度も走ったことがあります。

5月3日、午前9時。伊那谷は晴天。
温暖化の影響か、今が満開のはずのリンゴの花は既に散り落ち、南アルプスの高嶺にも残雪はごく僅かで、もはや初夏の装いです。
この直前に行った石垣島ダイブ以来、体調が今ひとつ。飲み疲れだろうか?
普段は元善光寺近くの、旧・飯田工業高校わきの道を登っていくのですが、この道は果樹園の中を上る日当たりの良い道である代わり、斜度も結構なもの。なので、リニア駅予定地に近い土曽川に沿う、若干楽な上りを選択しました。
この道は谷筋を登っていくため、少し薄暗い印象があります。

「上街道」までよたよたと這い上がり、軽いアップダウンのあと、中央道を跨いでもうひと登り。これが短いながら斜度は15%以上あるんじゃないかという急斜面で、息が上がりました。

しかしながら、ここまで登ってくると、一面のリンゴ畑の向こうに谷を挟んで南アルプスの高嶺が、遮るものなく見渡せます。
正面には赤石岳、荒川岳などが伊那山脈の向こうに頂陵を見せ、その北にはピラミダスな塩見岳、鳳凰三山、さらに北岳。そのさらに北には、仙丈ヶ岳がどっしりと構えています。
この先もう少し走れば、西の空には中央アルプスも迫ってきます。このルートは、これら3千メートル級の峰々が道連れになる素晴らしい道なのです。

「御大の湯」という日帰り入浴施設の前を通過。御大とは「島岡御大」として知られた、ここ高森町の出身である島岡吉郎・元明治大学野球部監督に因んだもの。昼前なのに何台ものクルマが既に停まっていました。
その先には、瑠璃寺という美しい名の古刹が、段丘の斜面に家々が身を寄せ合う農村の中に佇んでいます。確か小学校の遠足だったか、ここへ来て、本尊の薬師瑠璃光如来を拝観したことがありました。ここで最初の小休止。

▲瑠璃寺にて

その先、さらにひとしきりのアップダウン。伊那谷は、山々から流れ出した川が、河岸段丘を浸食して谷を刻んでいます。この流れに行き当たる毎に、半ループ状のアップダウンを強いられるのです。
汗にまみれて登り切ったところは標高800メートル。ちょっとした展望台になっています。
谷底の実家から走行距離12Kmほどで、400mの獲得標高。
下伊那の風景が眼下に広がり、赤石の峰々を見渡すことができました。

▲ 月夜平大橋展望台

爽やかな涼風が心地よく汗を拭い去り…と書きたいところなれど、強い紫外線が降り注ぎ、結構暑い。それはともかく、こんなパノラマを見られるなら、ここまで息を切らして登ってきた甲斐があるというもの。

◆ 高森〜松川

ここからしばらくは下り基調になりました。
この季節の伊那谷を象徴する風景の一つが、花桃です。近年は阿智村の「花桃の里」がインスタ映えすることで俄然有名になりましたが、他にも清内路村や駒ヶ根市中沢など美しい場所があります。また、田園の道路脇でひっそりと、満開の枝を広げる姿もまた良いものです。

▲ りんご畑と花桃

西の空に聳えるのは烏帽子岳は中央アルプスの前山のような存在。

▲ 烏帽子岳

この一段下の段丘に延びる「上街道」は、いかにも昔の街道筋らしい、日常生活に根差した道ですが、今日走っている道は農道に近い性格。一面に果樹園が広がっています。

▲南アルプス遠望

道は片桐松川にぶつかりました。橋がないため、少し下って上街道へ合流します。

やがて西の空に、カール地形が特徴的な南駒ヶ岳が姿を現しました。このカールは「摺鉢窪カール」と呼ばれ、高山植物が咲き乱れる楽園のような場所だそう。しかし今は崩落のため立ち入りが禁止されています。

▲ 南駒ヶ岳

◆飯島〜駒ヶ根

ゴールデンウィークの行楽客で賑わう飯島の道の駅に着きました。ここで昼ごはんにします。普段は駒ヶ根まで走ってからご当地グルメであるソースカツ丼を食べることが多いのですが、今日は連休真っ只中、どこも混雑で大行列になる前に、早目の対応を図ることにした次第。
そばとソースカツ丼のセットをかき込んで出発。

▲道の駅付近より

その先、上街道は与田切川へ向けて一気に下り、中央アルプスから押し出された花崗岩がごろごろしている河川敷を古い橋で渡って、対岸でもう一度段丘へ這い上がります。完全に登り切る少し手前でまた上街道を外れ、しばし農道を走ります。

▲ まもなく田植えの季節

この先には大田切川の深い谷があり、これを超えるために再び上街道へ戻ります。ここは谷の高いところを渉るアーチ橋。
橋を渡り、その先で再び上街道を外れて斜面を上って行きます。その先には養命酒の工場があり、門の前には美しい庭園が整備されていました。

そう言えば小学校の頃の担任の先生が、自分が子供の頃はマムシを生け捕りにして養命酒の工場へ持っていくと高く買い取ってくれた、という話していました。今はどうなんでしょう。

光前寺まではもうすぐです。その先の運動公園の脇を抜けていくと、このルートでは珍しく森の中へ入り、用水路に沿って木漏れ日の中を進んでいきます。

森を抜けると、中央アルプスの盟主・木曽駒ヶ岳の前峰である宝剣岳と千畳敷カールが姿を現しました。

▲宝剣岳と千畳敷カール

このあたりは、用水路の脇に咲く水仙の群生が美しい場所。しかし異常気象の影響か、今年は数輪が弱々しく咲くばかりでした。

◆ 光前寺

最後のひと上りで光前寺へ到着しました。ここは860年開基の古刹で、天台宗の別格本山。遠州府中(現在の磐田市)を荒らしていた化け物を退治した霊犬早太郎の伝説で知られます。また近年では「ゆるキャン」にも登場しており、実写版で主人公を演じた福原遥ちゃんが誘惑に勝てず早太郎のお守りを買う姿が微笑ましく、そのかわゆさに相形を崩しながらジムでインドアバイクに乗っていたものです。

▲光前寺門前

山門へ向かう山道の両脇には杉の巨木。青紅葉も美しい。
本堂へ参拝したのち、境内を一巡りし、早太郎の墓の前で手を合わせました。

ここまで、走行距離39Kmで獲得標高830m。小径車にはまずまず登りがいのあるルートでした。
ここから駒ヶ根駅までは、クルマの少ない道を選び、仙丈ケ岳を正面に、直線的なダウンヒル。

▼ この日の走行記録

◆ 〆は飯田線の旅

帰路は駒ヶ根駅から飯田線に乗ります。
秘境駅の宝庫として知られる飯田線ですが、それらの駅は天竜峡より南の山峡に集中しており、このあたりは段丘を上り下りしながら走る長閑な区間。秘境というよりは高原鉄道の趣きがあります。トンネルも、下車予定の元善光寺まで一つもありません。
2両編成の車内に、乗客は30人ほどでしようか。ほとんどが高校生、シニア、乗り鉄および元乗り鉄(←わたくし)。

往路にサドルの上から眺めた山々を、車窓にもたれてボーっと眺め、麗らかな午後の日差しを浴びながら、伊那谷を南下。
段丘上で居眠りしているような小駅に停車するたび、車掌がホームを走っていって、下車した客から切符を回収しています。飯田線は元々私鉄だったものを旧国鉄が買収した経緯があり、故に駅間が短いので、なかなかの重労働です。なぜワンマン化しないのかな、とも思いますが。

数年前の年末に、今回と同様に光前寺まで走って輪行で戻る車中、乗り合わせた外国人観光客が「こんな美しい風景が見られるのに、どうしてこんなにガラガラなのか」と車掌に尋ねていたことがありました。この辺の人たちは皆、クルマで移動しているからだ、といったことを車掌は答えていたと記憶しています。単線で駅の数がやたらと多く、しかもアップダウンやカーブが多くてスピードが出ない飯田線は、確かに日常の足としても都市間交通にも不便なのです。わたしも帰省の足は専ら高速バスですし。
ただこうしてたまに、時間を忘れて揺られるのはいいものです。

元善光寺駅で下車。まだ陽も高いので、家に帰る前に、駅名になっている元善光寺を参拝していくことにしました。長野市の善光寺の本尊である一光三尊阿弥陀如来像が元々はこのお寺にあったことがその名の由来で、両方お参りしないと片参りになる、というマーケティング戦略が奏功して参拝者を集めています。

▲元善光寺駅

この日はもはや夕方なので団体の姿はなく、ビー玉を散りばめた手水鉢が陽光に煌めいていました。


飯田はかつて「自転車の町」として知名度を上げ、白鳥和也氏の叙情溢れる自転車小説「丘の上の小さな町で」の舞台となり、2005年以来ツアー・オブ・ジャパンの山岳ステージの舞台になり、プロチームも拠点を構え、また自転車ツーキニスト・疋田智氏もそのエッセイの中で、自転車乗りの理想郷として絶賛していました。その機運がいつの間にか下火になってしまい、しまなみ海道を擁する尾道や今治、霞ヶ浦やつくばりんりんロード等を擁する土浦、さらにビワイチやアワイチなどの後塵を拝し、長野県内でも安曇野やヒルクライマーに人気の美ヶ原などの影に隠れているようで残念。アルプスの景観に恵まれた数々の魅力的な道、TOJ開催の長い歴史、また古くからランドナー乗りに人気の大平峠、遠山郷などの渋いルートなど資源は申し分ないのだから、もう少しサイクリングルートを整備したり、サイクルトレインを走らせたり、また空き家を活用したツーリストと地域住民が交流できるドミトリーを設けたりして、自転車乗りのサンクチュアリを目指してほしいと、少々無責任に願っております。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次は、この夏の中国山地の旅など、徐々に綴っていきたいと思います。よろしければ、ご覧頂ければ幸いです。
これまでのローカル線とブロンプトンの旅、こちらへまとめております。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。



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