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ホモサピエンスは正しくしか生きられない

人によって違う正義

これまで上記記事のように
自分を自分でコントロールしましょうね、
という記事を書いてきました。

ではなぜ自分で自分をコントロールする必要があるのか?

これはホモサピエンスの性質に由来すると私は考えています。

すなわち、ホモサピエンスは正しくしか生きられないのです。

認知的不協和の解消
この言葉を聞いたことがある人は多いと思います。

どういうことかというと、
二律背反な感情が芽生えた場合に、
自分がしたくない選択をしたとしても
それが正しいことのように感じてしまう心理です。

具体例を挙げると、
仕事でAさんに小さな頼みごとをしたとします。
Aさんとしてはやりたくないという気持ちと
断るのも悪いしなという相反する感情が芽生えます。

結果として、その仕事を引き受けた場合に、
Aさんは、あの人にはいつもお世話になってるし、など
頼んできた相手に対して自分は好意を持っているから
この仕事を引き受けるのは正しいことなんだ、と
正当化するのです。

矛盾に耐えられない猿
ホモサピエンスは自分にとって不快な行動を行うときでも
それが正しいことなんだと、自分の意志を曲げてまで
矛盾した環境を嫌います。

これの何がすごいって、
意識的にではなく無意識的にでも
自分の行動を正当化しようとするところです。

そこまで徹底してホモサピエンスは
自分の意志と行動の矛盾が嫌いなのです。

なので多くのホモサピエンスは、
自分は正常だ、自分は正しいと思って生きています。

だからこそ自分の意見の押し付けや、パワハラ、
あるいは命令に対する忍耐が生まれます。

命令に対する忍耐と聞くと
自分が正しいと思っている人物像とは
真逆に感じるかもしれませんが、
みなさんが実際にそのような環境に置かれたとき、
みなさんはどんな感情を抱きますか?

私の場合、命令してきた人への嫌悪や、
会社の指揮系統への不満など
その命令を実行する上で
自分が悪くないという理由を探してしまいます。

つまり嫌な命令に従う自分を正当化しようとしているのです。

自分をコントロールすることは自分の正義を疑うこと
このようにホモサピエンスは正しくしか生きられません。
ただしその正しさはあくまで自分自身にとっての正しさです。

だとするなら、自分で自分をコントロールするためには
まずその正しさを疑うことから始めることになります。

そしてその疑いの答えは自分の中にではなく、
外部のデータによって立証しなければ意味がありません。

他者に意見を求めることで
新しい視点を手に入れることは大事なことですが、
それを語っている他者本人がご自身の正義の下に
話をしているので多くの場合客観性にかけます。

よって、常に求められるのは客観的なデータに基づく
判断ができるか否か、です。

とまあここまで書きましたが、実際問題、
日々の生活の中で常に自分を疑い続け、
データに沿って生きていくことは不可能です。
なにせ無意識では自分は正しいと思い続けているんですから。

ただ一日に一回、一週間に一回、一か月に一回でも
いいので自分が常識、当然、正義だと思っているものを
本当にそうなのか? その客観的根拠は? 
と自問自答してみることは決して無駄ではありません。

こちらの記事でも触れたとおり、
現代人に必要なのは考える時間です。
それも毎日一時間とは言いません。
5分でも10分でもいいので
自分で考える時間を作ってみてはいかがでしょうか?

幸いなことに私はこのnoteを書く時間が
まさしく問いかけの時間になっています。
(特にネタが思い浮かばないとき)

なのでこれからもこの時間を大切にしながら
みなさんに刺さる文章をGIVEできればいいなあと
考える次第であります。




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