【読書】『わが友マキアヴェッリ』第二巻①【フィレンツェ孤立】
傭兵に頼って大失敗
「徴兵」制度に基づき、自前の軍事力を備えたとしよう。
そうすると、仕事をするのに絶好の年頃の男たちが、生産活動に従事できず、消費するだけの戦争に出かけていく。
それなら、自分たちは生産活動に専念して、戦争は「傭兵」に任せよう。
こうして、この当時のイタリアは、戦争を傭兵に任せるようになる。
これを傭兵隊長の立場から考えると、自分の部下である傭兵は立派な「資産」なのである。いくら戦争だからといって「消耗」したくない。
ゆえに、「華々しく」戦闘をしておきながら、被害は「落馬」がもとで死んだ一人だけ、という「芸術作品としての戦争」になってしまった。
ずいぶん「穏健」な戦争を思いついたものだが、これはこれでメリットがある。
市民たちは生産活動に専念できる
傭兵たちも命を懸けなくていい
政府も「戦争はした」という面目は立つ
「ちゃらんぽらん」ではあったけれど、穏健なシステムを作り上げていた。
しかし、この穏健なシステムは、フランス王シャルル八世のイタリア侵入で崩れる。
イタリア諸国が驚くことに、フランス軍は「真面目に」戦争をしてしまったのだ。
のちに、マキアヴェッリは『君主論』の中でこのように書くことになる。
『君主論』を思い出しながら『わが友マキアヴェッリ』を読んでいると「あれかな、これかな」というのが出てきて、面白い。
フランス軍に頼っても大失敗
フィレンツェは、経済の突破口を東地中海に求める。それには海港ピサが欲しい。
ロレンツォの時代までは問題なかったのだが、ピサ人は独立を回復してしまったのである。しかも、ヴェネツィアの支援付きである。
傭兵隊長ヴィッテリを最高司令官に任命し、ピサを攻撃させるが、損失の大きい市街戦を嫌ったヴィッテリが突入を拒否。マラリアの発生を口実に撤兵する。
この後、ヴィッテリは処刑されることになるのだが、それでピサが領有できるわけではない。
シャルル八世からルイ十二世に変わったフランス軍に、フィレンツェはピサ攻撃を依頼する。
フランス王を信頼したこと、傭兵料をケチったことで、フィレンツェ政府はイタリア人傭兵隊を全員解雇する。
この結果、フランス軍はやりたい放題。
余計に増援して兵を送り付けてくる
勝手に進路変更して時間を浪費する
周辺一帯の略奪を始める
やっとピサに到着して攻撃を始めるも、市壁を破壊するだけ。市内突入を拒否―――――ヴィッテリと同じではないか。
フィレンツェ政府が「無能」だと判断されるのも当然である。この結果、諸外国から「足元を見られる」のである。
このことはもちろん『君主論』に書かれている。第十三章で、外国からの援軍に頼った失敗例として。
傭兵に対する批判。
外国からの援軍に対する批判。
自前の軍事力を持つことの必要性を主張するはずである。
イタリア内での孤立
ロレンツォの死後、サヴォナローラに扇動された結果とはいえ、フランスに近づきすぎた結果、フィレンツェはイタリア内で孤立するハメになる。
征服されたナポリは、もちろん反フランス。
シャルル八世はナポリ「だけ」領有を狙ったが、ルイ十二世は血のつながりをアピールして、ナポリどころかミラノ領有までも狙う。当然、ミラノ公爵イル・モーロは反フランス。
ヴェネツィアとは東地中海交易で対立。
教皇庁も反フランスであり、サヴォナローラで悩まさせてくれたフィレンツェにいい感情を持っているわけがない。
イタリア内で孤立してしまったがため、フランスに頼らざるを得ず、フランスに頼るしかないがために、イタリアで孤立する。
鶏が先か卵が先かではないが、見事な悪循環。負のスパイラルに陥る。
ロレンツォは軍隊を持たず、外交能力だけで解決したのだが、それはロレンツォが『自らの力に基づく権力や名声』を持っていたからである。
この時代のフィレンツェは『自らの力に基づく権力や名声』を失ってしまったのである。
そして、政府の無能の尻ぬぐいをさせられていたのは、マキアヴェッリなのである。
一四四九年、ロレンツォ・イル・マニーフィコが生まれる。
一四六九年、ニコロ・マキアヴェッリが生まれる。
その差、二〇年。
たった二〇年でずいぶん変わるものだが、マキアヴェッリはへこたれない。