いちか

人と社会の断片のるつぼ、医療の現場にいます。片田舎に住んでいます。山・森・草花が好き。高橋一生さんは特別。

いちか

人と社会の断片のるつぼ、医療の現場にいます。片田舎に住んでいます。山・森・草花が好き。高橋一生さんは特別。

マガジン

最近の記事

能登の旅

先日、能登に行ってきました。 能登半島をレンタカーで、それこそ好き勝手に、自由なペースでうろうろしてきました。1人旅をすると、自分の中の偏愛リサーチ、五感のアンテナが全開になります。それが楽しくて、時々1人旅に出ます。 ***** 宿泊した七尾市の街中をうろうろ。高い建物がなくて空が広い。昔ながらの意匠のある建物が当たり前に残っていて、なぜかと考えたら、そうか。能登は戦時中に空襲をうけてないからだね。(逆に考えると、空襲で破壊された街は、いかに昔から続く時間の流れを分断さ

    • 「大人だって、泣いたらいいよ」を読んで。

      まず本の帯にも書かれている様に、著者の紫原明子さんは何かの「専門家」ではない、自称「凡人」である。 お悩み相談の回答者として、何かの専門性を持っていたらそれに沿ってするのだろうけど、そうではない。そんな紫原さんがお悩み相談を引き受けるにあたってされた覚悟とは、どんなものだったんだろう。 本を読ませてもらって、同じ人間として自分の全てをさらし、生きてきた時間や経験、人生をかけて答えてくれている。そう感じる。 まずは思いを一緒に受け止めて泣いたり笑ったりして、その後「じゃあどうし

      • 雨が降る前に。

        雨が降りそうなのは、気付くと吹きだしている風でわかる。雲が重くたれこめてきて光が射さなくなるのは、雨の降らない曇り空でも同じだけど。         雨が降る前の不穏な空気は、換気のために開けている窓から入り込むひんやりした隙間風や、吹かれて揺れ出す梢でわかる。気温がすっと下がり、雲が速度を増して動いていく。 ぽつりぽつりとした雨の降り始め。         雨粒はアスファルトの道路や畑の土に落ちても、吸い込まれてすぐ色を無くす。そんな事はもちろんお構いなしに、徐々に数を増

        • 映画「名付けようのない踊り」を観て。

          中野にあるスタジオ、plan‐B。薄暗い地下の小劇場、急角度の座席の先にある舞台は、ごく浅いプールの様になっており、そこはガソリンの様な黒い油で満たされている。それを泯さんは頭から全身にまとってじわりじわりと動き続けている。                油は筋肉などの隆起をくまなく覆って鈍く光り、全てのしわや隙間に入り込んで際立たせ、泯さんの動きはひどくゆっくりだが止まることはない。 ***** 泯さんの踊りは「場踊り」と呼ばれ、様々な「場」に出向いて行って踊る。劇場や

        マガジン

        • 想うこといろいろ
          4本
        • 高橋一生さん
          4本

        記事

          「だから荒野」と、罪を許すこと。

          「だから荒野」を観ました。 無理解な家族にキレた主婦・朋美が、ある日「家」を脱出して自分自身を取り戻していくロードムービー。パワハラ的な夫をはじめ、無関心な息子たちやら、家でのエピソードが「あるある!」で、そこはめちゃくちゃわかった。 家出してからも車を乗り逃げされたりヒッチハイクしたり、いよいよ途方に暮れた所で、老人と青年が乗った車に運良く同乗させてもらい、友人のいる長崎を目指す。 鈴木京香さんは大好きだけど、今回はその役に今ひとつ共感できなかった。その苦労はそうだろ

          「だから荒野」と、罪を許すこと。

          父を想う

          今から30年前、父が50歳の時。それまで大きな病気などした事がなかった父に癌が見つかった。腰痛がよくならないから、と受診した病院で発覚した。      膵臓原発の癌で、腹腔内に多数の転移あり。すでにステージⅣ。おさまらない腰痛は骨転移のためだった。 父・母と子供4人、それまで呑気に生きてきたわが家の日常はひっくり返り、突然の嵐の中に投げ込まれた。 突然な事に、みんな頭も気持ちも追いつかないまま、治療のためバタバタと入院した。けど「一応やりました」と申し訳程度に行った抗がん剤

          父を想う

          舞台「フェイクスピア」を観て。

          【演劇、舞台について】 今回、私は本当に本当に頑張ったのだ。なんせ舞台初めての初心者だし、舞台を観に行けるのは4回だけだし(行けるだけでも恵まれているのだけど)。 けど、わかりたい。わかりたいんだよ。一生さんや、カンパニーのみなさんが表現しているものを。 その一心で、戯曲を何度でも読み込んで、他の紙にも書きだして、流れをざっくりとそらで言えるくらいには頭に落とし込んだ。 こんなに自分からすすんで「お勉強」したのはいつぶりだろう。必死だよね、もう。 けど、劇場に行っ

          舞台「フェイクスピア」を観て。

          フェイクスピアをうしろにする。

          山に登ろうと思った。 123便が最期に辿り着いた御巣鷹山。 monoをはじめ、楽やアタイ、イタコたちや123便のクルーが集まり、死者の夢に覆われた恐山。 あの、山の斜面の様に傾斜した舞台。 山に登るんだ、私は。 それで何がどうなるのかは、さっぱりわからないけど。 何故か、その事が頭に浮かんだら、行かずにはいられなくなった。 **** いつまでも治らないフェイクスピアロス。 翌日からの、あっけないほどいつも通りの私の日常。 家のこと子どものこと。 仕事の時だって、目の

          フェイクスピアをうしろにする。

          野田さんへの愛が止まらない話。

          「フェイクスピア」を観劇後。           あの「コトバの一群」を舞台にした野田さんについて考え続けている。 もし、あの事故を扱う事を「利用した」「利用された」と関係者の方が感じ、抗議したら。 実際、身も蓋もない言い方をすれば、「利用した」のではないかと思う。舞台、演劇という大きなもののために。 それこそ、シェイクスピアはもちろんそれ以前からはじまり、常に人の世と共にあって、決して消えることのなかった舞台、演劇。  野田さんが人生を捧げているそれのために。

          野田さんへの愛が止まらない話。

          「父を想う」のそのあとに。

          初めて書いた長文。そして、初めて開いたオンライン上に投稿させてもらった文章でした。  これまで、何かを書いて表現する事とは無縁の人生だと思っていました。                                                            書いてどうする。書くってなんだろう。何で人は自分の思いを書いて、世の中に表現したくてたまらなくなるんだろう。自分の心の中の事じゃないか。伝えるにしても、「話す」事ではすまないのかな。そんな思いをどっかでもっ

          「父を想う」のそのあとに。