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毎日にある祈り

高校時代に友達と遊んだ帰り別れるのが寂しかった。まだ遊びたいと思っていたし、ずっと遊びたいと思っていた。
深夜2時に眠れなくて外に飛び出した。街には灯りがたくさんあって眩しかったが、どこか寝静まっている気がした。その街をずっと走った。どこまでも行きたかったし、いつまでも走っていたかった。
中学の頃、学校で歌う合唱が好きだった。不思議と歌っていると一人ではないような気がして、勇気が出てくる。何でも出きるような気がして、胸がいっぱいになる。

祈りがある。僕はそれが叶わないと知っているが、それでも祈っているものがある。
あの時、あの場所で、あの日の僕がまだ好きなことをずっとし続けてほしいと願っている。
通学の電車のなか、空いた席に僕は過去の自分を見る。窓にもたれて眠っている僕はきっとこれから部活に向かうのだろう。
田んぼ道の端の用水路に、虫網を持った過去の自分を見る。泥だらけになりながらも、それ以上に価値のあるなにかを探していた気がする。
春風が吹く深夜の散歩道に、一人暮らしを不安がる過去の自分を見る。何かが自分の中で変わっていく気がして、何かを失いつつある気がしていた。
そうして過去の自分に想いを馳せると、今自分が生きていることが奇跡のように思えて、心が暖かくなる。そして何度も何度もその暖かさを確認する。
あの時の自分が、永遠であってほしいと願っている。

いつか技術が発達して心をホログラムで表せる時代が来たら、過去の自分が遊んでいるところを眺めてみたい。
そのときはきっと僕が知らないぐらい楽しい表情をしているはずだ。そんな時代が来たらいいと思う。
きっと僕は一生、愛おしい日々にさよならなんて言うことができない。だって、すごく温かくてどうしようもないぐらい、生きてきた軌跡を愛しているから。

初めてのnoteに投稿した記事には、「過去の自分と会話できるような場所にしたい」と書いてあった。
しっかり、僕は残せてきたと思うよ。
ずっと歩き続けてる気がする。歩き続けられていると思う。
その間に桜が三度咲いて散った。
もうすぐ四度目の桜が咲こうとしている。
この世に永遠なものなんてきっとない。
それでも祈りはある。
あの日の僕がどこかでずっと笑っている気がする。
笑っていてほしいという願いがある。



何かをどうしても残したくて
友達と廃電車を撮りに行った時の写真


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