ぼく
書けた。と思ったものをのせています。
共依存という関係に憧れに近いものを抱いている自分がいる。 自分無しではその人が生きられないと思えるような関係性に対して、破滅的で退廃的な幻想を抱いている。 生まれてきて誰かをそこまで愛することができるということに羨望を覚えてしまう。 だけど、僕は相手に依存したくないと思ってしまう。それの先に幸せが見えないからだ。 この感覚は僕のタバコに関する感覚に近い。1度吸ってしまったら、きっと依存してしまうだろうから、吸わないでいる。しかし、興味はある。 僕は共依存の関係性を、困ったこと
夜に目を閉じて、瞼の裏に見える景色がある。 海街のどこかの石階段、少し錆びた手すりがある。 そこに誰かが上がってくるような気配がして、僕はそれを眺めている。 きっと登ってくるのは2人で、強い日差しに肌を焼きながら、何も喋らずに登ってくるのだ。 どこかに存在していて欲しい景色。
桜が散りアスファルトを彩る。せっかちな僕はもう夏が来る気がしている。 暑い夏。他の季節は夏のための準備期間のように感じられる。 あの夏の持つ力強い生命のほとばしりは何なんだろう。気を抜いて生きていると殺されそうになるあの季節はなんなんだ。 きっと、アニメのピンポンを見てしまったせいだ。こんな気持ちになるのは。 まだ若さを輝かしいものを見ると、いてもたってもいられなくて叫びたくなる。だけど、叫ぶなんてできないからとにかく走る。二本の足で地面を蹴って、僕だって生きてるんだぞって、
高校時代に友達と遊んだ帰り別れるのが寂しかった。まだ遊びたいと思っていたし、ずっと遊びたいと思っていた。 深夜2時に眠れなくて外に飛び出した。街には灯りがたくさんあって眩しかったが、どこか寝静まっている気がした。その街をずっと走った。どこまでも行きたかったし、いつまでも走っていたかった。 中学の頃、学校で歌う合唱が好きだった。不思議と歌っていると一人ではないような気がして、勇気が出てくる。何でも出きるような気がして、胸がいっぱいになる。 祈りがある。僕はそれが叶わないと知っ
死の香りは時として、人を心を焼くほどに美しくさせる。 僕はそういう顔を知っている。 死を意識して、諦観と覚悟を持った強い顔だ。 思い出すのは祖母に最後に会った時のことだ。末期がんでもう長くないと言われており、僕が病院にお見舞いに行った時の話だ。 その日は、よく晴れていて、田舎の大きな病院に父と母と二人の姉と車で向かった。 病室のことを今でも思い出すことができる。 消毒液の香りが充満した病院内の一人部屋、綺麗に整理整頓された日当たりのいい部屋だった。 入ってまず驚いたのが、祖母
小説家のことを羨ましいと思う。 言葉は僕にだって使える。同じ言葉なのに、地続きの同じ言語なのに、どうしてあんなにも美しいのだ。 僕はずっと人生の岐路に立って、行き先を眺めることしかしていない。時間は流れ見える景色も変わってしまっているのに、まだ踏ん切りがつかないでいる。 もし、好きなものを追い続けるならとことんやってやりたい。行けるところまで行ってみたいと思う。 だってこの世に僕が生まれてしまったんだから。 誰よりも美しい僕だけの景色を見たいと思うのはおかしいことじゃないはず
いろいろ考えてみたけど、僕が死のうとするのはおかしい気がする。 だって周りにはもっとくだらない奴らがいるし、僕自身どちらかといえばそっちのくだらない側の人間だけど、僕より消えたほうがいい人間なんて山のようにいるだろう。 むしろ人を殺して隠れて生きてるやつがいるような世の中だし、いかれてるのは世の中のほうも同じだろう。 もちろん、全部が全部いかれてるとは思わない。 世の中をすこしでも良くしたいと頑張ってる人が大勢いるのも知っているし、たくさんそういう場面を見てきた。 ただ、今日
僕は一瞬を求めている。 なにか素晴らしいものにであった時、胸の中で何かが弾けるような、それからの映る世界の色を変えてしまうような瞬間を待ち望んでいる。 例えば人との出会い、あるいは小説との出会い。 僕は人が好きで苦手だ。 本来、僕はさみしがり屋で誰かの温もりを常に求め続けている人間だ。 だけど、誰かとずっといると、不意に一人になってしまいたくなるような面倒な性格をしている。 だから、僕は小説が好きだ。 僕は人と話をするのが好きで、気が合う人とは何時間でも話してしまえるような
情景の温もりは浸っていたくなる。 肩まで浸かったぬるま湯のように、少し立ち上がっては直ぐに外の寒さに驚いて体を沈めたくなってしまう。 実家に帰る電車で田んぼが増えてくると、どこか安心している自分がいる。 窓の外を見れば、開けた視界と都会より高く感じる青空、きっと建物の背がすべて低いせいだろう。 田んぼ道の用水路なんかには子供がいて、もしかしたら過去の自分もいるんじゃないかと思い、どこかで探している。 いい加減ふるさと離れしなきゃだめだと思う。 僕はものへの愛着が人一倍強い。
最近は書きたいことが減った気がする。 前は書かなきゃ眠れない、書かなきゃ死んでしまうって感じだったけど、今は生きていけている。 僕は過去を切り捨てる人が好きになれない。 あの頃の自分は黒歴史だとか、俺は大人になったって口で言うやつほど、成長していないと思う。 過去の自分も地続きで今の自分に繋がっているのに、その途中の自分を切り捨てて否定するなんて、自分を見えてない証拠だ。 そんな単純なことばかりじゃないと思う。 恥ずかしい過去も悔しかった思い出も、やり直したい時間も、全部が僕
ギラついた夜の街の話をしよう。 女は若さに値段が付き、男は魅力に値段が付くそういう世界の話だ。そこには毎日大金が動いていて、色々な欲望が渦巻いている。 僕は面白いと感じるけど、やっぱりまともに生きられない人間が集まる場所なんだと思う。 【まとも】って言葉は難しい。 だって、結局人は最後に死ぬんだから、他人に危害を加えなければ、人の道は外れない気がするから。 だけど、その街に生きる人々からは、どこかどん詰まりの香りがする。 それが何歳なのかはわからないけど、その人の歩く先に、日
最近はなんとなく人生はタイミングなんじゃないかと思ってきた。 友人との付き合いも、仕事も、色恋も全部タイミング次第だと感じた。 大事なのは常に良くあろうとすること、目の前のことに全力で取り組むことだと思った。 だから、アルバイトの面接に落ちても、恋人にフラれても、友達と喧嘩しても、全部タイミングが悪かっただけどと思う。 余裕があるときは、ほとんどの人は他人に親切ができる。 心が追い込まれてるときに人と接するといいことがない。 良くも悪くもタイミングなんだろうと感じる、なんで自
雪が溶けて、暖かくなってきた。 風に春が溶けて爽やかな香りがする。 夢を見ていたあの素晴らしい時間を思い出す。 また愛おしいものを追いかけたい。
満たされない満たされないと嘆いても ブルーハーツを口ずさむ 足取りは軽くなって 少し浮く 自分がろくでなしで能無しだとしても 音楽聞いて楽しければいい みんなそれで笑っちまえばいい みんな楽しくなっちまえばいいのに 誰にも取られないものを追い続けよう
ブルーハーツの手紙を聞いていたら、ふと昔のことを思い出したので、書こうと思った。 僕の高校は男子校だった。 コロナが2年の最初に直撃して、修学旅行をはじめとする行事も全部なくなって、色のない時間を過ごした。 僕は高校の二年生はあまり登校しなかった。 登校したとしても、3限ぐらいには保健室に行って、そのまま帰り、帰りのドーナッツを買って河原で学ランのまま食べたりしていた。 今思うとよく補導されなかったなと思う。 とにかく変化のない日常はつまらない。 刺激が欲しかった。 とにかく
初めはここに何でも書いてやろうって思ってたけど、今はなかなか書けてないな。 変に気取りだして、ここも居心地が悪くなってきてる。 自分で自分の居場所を奪ってしまっている。 ここ二年は色々な場所に行って沢山のことを経験している。 大学で運動部に入ってみたり、塾講をやったり。 現場のバイトで怒鳴られながら働いたり、飲食のバイトでぼろ切れのように使われたり、原宿のポップアップストアで働いたり、水商売に片足を突っ込んだり、なかなか面白い人生だなと思う。 自分でも自分が誇らしい。 僕の人