俺、高校1年生の時に沖縄に家出したんだよね
『俺、高校1年生の時に福岡県から沖縄に家出したんだよね。しかも3月の再試験の日に家出したから留年は確定してしまった。
今現在、俺は34歳で何とか生きてる。いろいろあったよ。沖縄から自力で帰ってきて、留年しても学校に行って、不登校になって、17歳で精神疾患を患って、34歳で島根県の出雲大社に行った後にオーバードーズをしてしまった。
でも、ドクターヘリが飛んで出雲大社がある出雲市内の病院で命が助かったんだ。集中治療室(ICU)で意識を戻して、幸いにも後遺症も残っていない。そして、今は文章を打ち込めている。
出雲大社に行くまでは現実感が喪失した状態が10年間続いていた。第三者(お医者さんやいろんな人)に相談しても、″誰でもそういう時期はある″と気持ちをあまり理解してくれることはなかった。
もう、どうしようもなく、にっちもさっちも行かなくて、長崎の原爆跡地に向かったんだ。原爆跡地?なんで向かったのか、冷静になった今だからこそ分かる。長崎の原爆は当初、小倉に落ちる予定だった。その時に父方の祖父が小倉の師範学校へ通っていた。もし、小倉に落ちていれば、今、こうやって文字を打ち込んでいる俺はいないかもしれないよね』
第二次世界大戦。
長崎に落とされた原爆で多くの人々が犠牲になられた。
私たち家族は生かされた命。
その命を大切にして、世界平和を願いたい。
『それでさ、長崎の原爆跡地に向かったんだ。2024年10月2日に1人で車で行ったよ。着いたのは日付が変わって夜中の2時ごろだったね。そこで、自分は懺悔するようにお祈りをしたんだ。
今まで1度も訪れていなくてごめんなさい、と。そして、長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑にもお祈りを捧げた。俺は定期的に原爆跡地に訪れて元気な姿でお祈りを捧げることを約束したんだよね。』
終戦後、日本は急速に復興をした。
高度経済成長を経て、時代は平成、令和と移り変わった。
少子高齢化が進み、戦後に作られた教育は今を生きる若者世代に合っていない気がする。
右向け右と号令がかかれば皆が右を向く。
義務教育によるロボットを大量生産しているのだ。
それに背けば発達障害のレッテルを貼られる。
『長崎の原爆跡地に行ってから、そのまま車に乗って家に帰っている途中でね、俺さ、体と腕がブルブルと震え出したんだよ。急いで自販機があるところで車を停めたんだけど、ブルブルは止まらない。あの時、俺は黄泉の国に入ろうとしてたんだ。嘘じゃないよ、本当に死にそうだったんだから。
震える手で財布から小銭を取り出して、自販機で甘いコーヒーのペットボトルを買って飲み干したよ。でも、ブルブルは止まらずに、デジャブみたいな感覚が起きたんよね。両親や高校でお世話になった心理カウンセラーの顔、仲良くしてくれた友達の顔が思い浮かび、『ありがとう』と送り出してくれているような気がしたんだ。
俺はその時に本気で死にそうだったから、最後のお別れのメッセージを家族や親戚、友達にLINEで送っているんだよね。自分はあの世に逝って大日如来として皆様を見守ると。
はたから見たら可笑しいよね。でも、俺が体験したことは実際のことだし、そして何よりも黄泉の国から戻ってきたんだ。長崎の原爆で亡くなられた方たちに定期的に原爆跡地へ訪れることを約束したこと。今死んでしまえば約束を破ってしまうからね。何とか強い気持ちを持って、この世に戻ってきた!』
不登校が増え続けるのは、今の教育が古くさいからだ。
多様性を推進していながら、子どもたちは枠にハメられて育っている。
この問題をすぐに変えることはできないが、長い年月をかけて変える必要がある。
選択肢をいくつも持っていると、それは自分の盾となりえる。
子どもでも自分の精神を守るために、選択肢がいくつもあることを知って欲しい。
『あの世から戻ってきて、そのまま家に帰れば良かったが、俺は佐賀県の吉野ヶ里町で島根県の出雲大社へ向かうことにしたんよ。何でって思うよね。それはね、子どもの精神が強くなるように、という願いと、これから生まれてくる可愛い子どもたちが精神疾患を持たないように、という願いを出雲大社に集まる神様に届けたいと思ったんだ。
吉野ヶ里町から出雲大社へは400kmぐらいあったよ。でも、何とか出雲大社へ着いた。それが2024年10月3日の17時前。旧暦の神在月である。穢れを三度祓い、正しい作法でお参りをした。
出雲大社の境内で最大のパワースポットといわれる素鵞社(そがのやしろ)へは”立入禁止”となり参拝ができなかった。たぶん、16時30分までしか参拝できないのかな?でも、いろんなお賽銭箱に小銭を入れて、お参りをしたよ。』
そして、冒頭の話に戻ってきたわけだ。
『出雲大社に行った後に薬を大量に飲んでオーバードーズしてしまった。でも、ドクターヘリが飛んで出雲大社がある出雲市内の病院で命が助かったんだ。集中治療室(ICU)で意識を戻して、幸いにも後遺症も残っていない。そして、今は文章を打ち込めている。』
人生には人それぞれ、苦難、困難、災難が有る。どんな人にも有る。
それは”有難”と書き、有難い人生なのだ。
そもそも、我々は人間として生まれてきただけで有難い。
この世で良いことをたくさんしたら、来世でも人間として生まれ変われる。
『2024年の9月までは神様や仏様について、俺はあまり興味がなく、信じていなかったんよね。でも、”この世にあるのは、人間だけの力ではない”ことに気がついたんだよ。宇宙には太陽や月、未知な惑星も存在している。地球に住む1人の人間は小さな存在でしかない。
そんな小さな人間が1人で生きていけるわけがない。俺たち人間は互いに支え合う必要がある。難しい課題に直面したら1人で抱え込んだり、家族だけで抱え込んだりせずに、第三者の公的機関や相談支援センター、頼れる人に相談をしてみてはどうだろうか?それが自分を守るための選択肢の一つでもあるし、他にも選択肢は無限にある。』
高校1年生で沖縄に家出して、不登校になり、精神疾患を患って、現実感を喪失した。でも、今は現実感が取り戻せた。苦難困難災難が有ったことを有難く思えて納得できた。
#想像していなかった未来 が待っていた。
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