UTMF2022 / 2022.04.22-24
長い登りのあと誘導をしてくれていた運営スタッフさんの足元に倒れ込んだ。
「すみません、ちょっとだけ休ませてください」
真夜中なのにびっしょびしょのTシャツがしぼれそうである。このまま横になれば泥だらけになるし虫もいそう。でもいい、知らん。
ヘッドライトを消すと暗闇の中を風が吹いていた。給水所を出るときに1.5リットル持ってきたはずの水はあと半分。次の給水までしんどい登りはあと2つ。もつだろうか。
集中力を欠いて気持ちがネガティブになってきているのでカフェイン入りのジェルだけは飲んでおこう。うわー、ジェルきもちわるー。水で流し込もう。ちょっと砂の味がするな。足かゆー。
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普段なら地べたになんて座らないし砂のついたカップは洗わないと使いたくない。虫も苦手だ。夜がこわい。
トレイルランニングには普段の常識からかけ離れた競技である。基本的に自己責任の世界。つらいし眠いしいつもどこかが痛い。それでもレースに出ると、周りのランナーとか運営スタッフとかサポーターとか、山とか道とか給水所とか、結果的に全部に感謝したくなるから謎である。
UTMF2022とは
ウルトラトレイルマウント富士(UTMF)2022に出場してきました。UTMFは富士山の周辺をぐるっと回る、全長165kのトレイルランニングの大会。
興味ない人にとってはまったくピンとこない話だと思うのだけれど、そういう競技があって、何千人もの人が何年もかけてポイントをためた上に出走権を得るための抽選をクリアして、さらに高い金を捻出して休みを取って集まってきているのだ。やっぱり謎である。
突然の降雪のため中断となった前回大会から3年。まさかまたここに帰ってくるなんて誰が思っただろうか。
いや、思ってましたね。前回山中湖(レース中断を聞いた地点)で悔しくて泣いたときからずっと。
あのベストがほしかった
この大会を完走するとベスト(着るやつ)がもらえるのだ。
友だちのトレイルランナーがUTMB(ウルトラトレイルモンブラン)を完走したときのベストを自分の父に着せていたのを見て、そのときボケはじめていた父と介護をする母におそろいのベストを着せるんだ、と本腰入れ始めたのが2018年ごろのこと。
2019年大会は途中で中断したものの完走扱いとなり、無事1着目のベストをゲット。しかしその後、2020年、21年とコロナの影響で日本中の大会が中止となる。UTMFは2年以内に完走したレースからしかポイントが加算されないので、この時点で僕の手持ちのポイントはなくなっていた。
2021年。KOUMI100で2年ぶりにポイントを獲得。他にもバーチャルレースで得たポイントを元に2022年の出走権を得た。待ちに待った大会である。次で必ずベストをもらうのだ。
しかし父はそれを待たずに2月に他界してしまった。ちくしょう。
世の中うまくいかいことだらけだとは思うんだけれど、こんなにうまくいかないこともあるんだなと思った。さっき完走して2着目のベストをもらった時、うれしかったけどそれ以上に悔しくて、すぐにカバンに詰め込んだきり開けてもいない。
レースについて
そんなことよりUTMFである。直前の大雨で安全面と環境保全とを考慮した結果、前日にコース前半が大胆に変更となった。しかしなんでもあるのがこの競技である、もう驚かないぞ。
レースは前半40キロくらいは下り基調。そのあと本栖湖を超えたあたり、距離としては60~70キロくらいから本格的な山に入る。
それでも100キロくらいまでは穏やかな印象だった。こんなもの?と拍子抜けしてしまうくらいに。
でもここから先がUTMFの濃いところなのだ。胃もたれするくらい濃かった。実際、ふりかえってみても後半の記憶しかない。
100キロ手前で預けておいた荷物を受け取り、食料と水を補給してテーピングをまき直し靴下を替える。この時点で痛みやケガはないし集中もできていた。抜けきらない疲労もない。さあ後半戦である。2日目の太陽が登ってくるのを見て、暑くなりそうだなと思った。
ここから115キロの忍野、125キロの山中湖、137キロ二十曲峠まで、言葉もないくらい登らされた。ずっと登って下って日が暮れて、それでも登って下ってまた登って。たまに林道を走ったりロードに出て給水所が遠すぎてふてくされて歩いたりもした。
すっからかんの状態で三日目の朝までレースをやめなかった人たちだけがゴールテープを切るのだ(トップ選手は三日目の夜が来る前にゴールしちゃうらしいけど)。
今回のレースではとにかく下痢と吐き気がひどくて、ほとんどすべての給水所でトイレにかけこんでいた。加えて眠気も強烈で、山の中ででかい猫の幻覚を見た。2tトラックくらいあった。
レースタイムは直前に予想していたほぼその通りだった。34時間半くらい。34時間を想定していたのでおおむね計画通りである。
今の練習量と仕上がりからだいたいの時間が予想できちゃうのってベテラン選手みたいだろう。たいして速くもないのに先にこういうところだけ上手くなってしまった。
装備について
今回のレースでは連絡用の携帯が必携指定だったのでiPhoneを持っていたのだけれど、ジオグラフィカの地図とSTRAVAの計測確認以外は取り出さなかった。写真は手持ちのソニーのコンデジ。ランニング用の時計もなし。高度を表示できるG-shockであとどれだけ登るかだけを気にしながら自分の調子とギアの上げ下げに集中した。
装備についてついでに書いておくと、靴はHOKAのSpeedgoat4、バックパックはサロモンの20L、レインウェアはAIGLEのゴアテックス、ファイントラックの下着、パンツはパタゴニアの後ろのチャックが一つのやつ、靴下はゼロポイントのコンプレッション。水分は給水所を出るときに常に1.5L。ジェルが苦手なので黒糖とかようかんとかチョコとか、カロリーが高そうな固形物を多めに持った。
コロナ禍での開催
今回、いつものレースと大きく違ったのはコロナ禍での実施だったことだろう。
レース前日に抗原検査を受け、パスした選手だけが受付エリアに入ることができた。選手と沿道のみなさんとの接触はハイタッチでもダメ。給水所でも3人以上は集まってはダメ。マスク着用。
どこまでが効果的なのかわからないのだけれど、こういうことを守っていかないとこれからも大規模なイベントは開催できないのだろう。自由だった世界にあたらしいルールが加えられた。
このルールは正直いってレースを変えたと思う。
小さなことだが、普段のレースならば走りながら見つけたゴミは拾うようにしている。だけど今回、なんとなく誰かの飲んだジェルのゴミを拾うことがためらわれた。
実際はそんなことで感染するような気もしないのだけれど、「人のものを拾う」行為自体が運営や周りのランナーにどう見られるのか、考えてしまった。
おかげで落ちていて手を伸ばせば拾えるゴミを拾わずに山に置いていくのが、とにかくいちいち心にきた(もちろん大会の最後には運営のみなさんがゴミ拾いしてくれるんだろうけど、それは恥ずかしいだろう)。こういう心的なストレスは多かれ少なかれ全員が感じたことだと思う。とくに運営やボランティアスタッフのみなさんはどれだけ大変だったことか。お察しします。
みなさんのおかげでしかない
今回のレースはスタートの前日から現地入りして、友だちとairBnBを利用して一軒家に泊まった。おかげでゆっくり時間をかけて準備をすることができた。
一緒にスタートした友だちは全員が最後まで走り切った。走らなかった友だちは富士山まで応援に来てくれた。
これは本当にすごいことだと思う。一人だったら行く前にやめていただろう(そのくらい出走前の手続きやら提出物やら予約やらが煩雑なのだ)。みんな本当にありがとう。
他にもいろいろ書きたいことがあるような気がしてたんだけど、もうだめだ眠いので寝ます。
この文章はレースから帰ってきて大量の洗濯しながら書いているんだけど、ここまでの流れも明日の筋肉痛も、すでに何度も繰り返し経験してきたことである。
今言えることは、だけどまたやるだろうな、ということです。
そうだ完走ベストは実家に持っていって仏前に置いておこうと思います。父よ、あっちで着てくれ、たぶん似合うから。