どうにでもなれ!
こんにちは。比嘉です。
つい先日、なにもかもがイヤになってしまって、もう、どうにでもなれ。と思って新潟の妙高高原に行ってきた。
というのも、生きていると自分ではどうしようもない悩みみたいなことはどうしても出てくる。
よく「時間が解決する。」みたいなことを言っている人もいるんだけども、時間で解決するなんて悠長なこと言ってられないし、時間で解決することならはっきり言って自分の場合はそんなに悩まない。「ホンマどないしよかな」そんな時があるもんです。
つまり、何が言いたいのかと言うと、
「もう考えてもしゃーないから、どうにでもなれ!っと思ってとりあえず旅に出ることを強くオススメする。」
理由は意外と単純で、
普段の生活している場所でなにかしらの考え事をしても、良い答えは産まれないから。
それは、今まで自分の人生体験からもそうだし、ある芸術家が「美は作り出すのではなく、創り出されるのだ」とちゃんと言っているし、自分が尊敬している苫米地博士も「クリエイティブはクリエイティブな環境から産まれる」と言ってることから間違いはない。
実際に自分が悩みの渦に巻き込まれている最中はそんな言葉はみじんも浮かんではないのだけれど今までの経験から、直観的な部分が働いて、
もうどうにでもなれ!→行ったことのない場所にいく
という、選択をしたんだろう。
で、妙高高原に行ったんだけれどもともとの前情報も収集せず唐突に行ったもんだから、なにかあるだろう。と思っていたらホントになにもない。
冬場はスキーで賑わうそうだが、シーズンオフ&コロナの影響もあって人すらほとんど出会さなかった。
いたのはキツネくらい。笑
それほどまでに何もない場所に滞在することはホントに今までになかったことだし、脳には新鮮だったみたい。
出るわ、出るわ、見えるわ、見えるわ。
茅ヶ崎や東京にいた時は「どないしようもない」と思ってた悩みの種が、柿の種にでもなったように自分の中で噛み砕け、胃の中で消化されていったな。
「今まで悩んでたんは一体なんだったんだろう」
と思えるくらいで始末してしまった。
今になってこのことを捉えると、自分が悩みに没頭している時というのは近すぎて道が見えなくなっている。
それが場所を変える、環境を変える。ことによってどうしてもキツネやら、なんか他のモノに目がいって神経もそっちに集中していくからそこからの視点で悩みの種を見た時に、それまではとんでもなく大きい壁の障壁やったのが、ホンマに柿の種みたいに小さく見える。
結局、言いたいことは
「悩みがあったらまず移動せぇ」
と、いうことですな。
そういや、
茅ヶ崎ゆかり開高健もこう言っていた。
「やりたい事やんなさい、後で後悔しなさんな。やりたい事やんなさい。」
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今日の一曲
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今週、訃報が届いたけどアーティストの名曲は永遠に残る。
好きな一曲。
Van Halen-Jump
では、また。