思い出して書く「生活保護受給中、働けと指導された事は一度も無い」

入院中、暇なので 本日3本目のnote。
タイトル通り
「思い出して書く「生活保護受給中、働けと指導された事は一度も無い」です

私は双極性感情障害1型(いわゆる躁鬱病)である
30歳ごろに職場で合計3回過労で倒れて
初めて行った心療内科、転院したデカい精神科で診断名は初診時「うつ状態」→
3ヶ月後「うつ病」→
1年後「双極性感情障害」→
1年半後「双極性感情障害1型」となった。
この1年の間は会社に在籍しており
傷病手当金(給与の6割)で生活した。
退職後、300日の失業手当も切れ生活に困窮した時に、抱えてた借金の返済支払い猶予、待ってもらうように計画を立てようと法テラスで弁護士に相談したところ
「もう ひとはこさんは生活困窮者ですよ。生活保護を受給し 治療に専念しましょう」と言われ
弁護士同行の元 生活保護受給となった。
診断名がつくのと同時に精神手帳も申請し
会社勤めしてたので厚生の障害者年金を受給すべく動いた。

生活保護100%だった期間は2年半ほどだったと記憶してる
その間、2週間に一度の通院、合う薬探し、生活の見直しなど市役所の福祉課へ相談、年金事務所へ障害者年金の相談など 週3くらいは外出してた しんどかった
ただ、まだまだ体力は残ってて
悔しい夜を悶々と過ごして
あーでもない こーでもない
これはどーだろう こーしてはどうか?
などGoogle検索したり福祉課に相談した結果を躁転時に主治医にいろんな提案をした。
デイケアに通って部屋にひきこもらない癖をつける
就労移行支援を利用し社会復帰を目指す
A型、B型作業所で働くべく作業所探し
地域活動支援センターの相談員(日々の福祉制度や生活の相談、市役所への書類作成をしてくれる)をどの事業所にしようか探したり
訪問看護師さんをどこにしようか探したり
ホームヘルパーさんを探したり
週1は市役所の福祉課、生活支援課に出向いてた。

で、市役所 生活支援課の私の生活保護の担当者さんは3人(1年ごと変わるみたい)と出会い
その都度、その時の悩み相談や制度の説明を受けた。
で、元気になったタイミングでバイトをし
収入認定を済ませてた。
私のこの時期の目標は
「1日でも早く 社会人、税金を納める側に戻る事」であった
なので 出来る限りメモを取り 相談しまくった

なので「働け」「そろそろ働いたらどうです?」などは一度も言われた事が無い
逆に市役所の担当者さんや主治医からは
ドクターストップ、就労許可が降りない
「ひとはこさん 落ち着いて。もう少し休んでからにしましょう。はやる気持ちを抑えて」も何度も言われた

よくテレビやネット記事 ツイートなどで
「市役所から働け!と言われた。酷い」とか目にするけど 俺は一度も無かったし 生活保護受給にあたって水際作戦的なのも無かった
(これは弁護士同行だったからだろうな)
だから、想像しづらいのだ

で、「だからなんだ?」と思われるかもしれないが俺みたいなケースもあるんよ、と。
そんだけよ〜

その後、厚生障害者年金+15,000円の部分的生活保護受給だったり
厚生障害者年金+バイト代(作業所給金)+生活保護(金銭面は0円、ただし医療費ゼロ 税金ゼロ)を経て 生活保護を脱却したのは別のnoteに詳しく書いたので 興味があったら読んでみてね〜

ではでは

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