「地球維新の時代」性善説から脱皮して自分軸を手に入れよう!
ここ数十年あるいは過去100年規模で
今の時代ほどすげ〜時代はないと思います。
世界規模、国や社会、会社、家族、学校、個人...
ある作家さんは、今の世界の仕組みがどんどん変わっていくことを称して
「地球維新」
と言っています。
素晴らしいネーミングです。
2020年に突入して世界規模でそれぞれの正義や価値観がここまで試されているのは本当に凄い時代を生きているな〜と我ながら実感しています。
時代の変換点というか...
古い時代と新しい時代の境目というか...
古いルールと新しいルールの境目というか...
たぶん10年ほど経って
2020年、2021年、2022年...などを振り返った時に
「あの時が大きな時代の節目だったんだな」
と改めて感じるのかなと思う今日この頃です。
こんな時こそ個人の進化が問われる時でもあります。
そういえば僕の大好きな哲学者のニーチェが
「蛇って脱皮しないと破滅する」と言ってました。
脱皮しないと新陳代謝ができないので死んじゃうそうです。
今の時期、人間に必要な脱皮ってなんでしょうか?
お金、人間関係、家族、環境...からの脱皮
どれも正しいかもしれませんが
僕は、「知識の脱皮」が最も大切だと思ってます。
本当に維新かどうか分かりませんが、ただ、世界規模で社会の仕組みが変わるような出来事が起こっている現在、自分のこれまで持っていた価値観や信念をもう1度見直す必要がある時だと思いませんか?
僕は思っています。
昔、明治維新が起こった時も考えてみたらもの凄い勢いで仕組みや変化がありました。江戸時代は、着物に身をまとい、武士はちょんまげで刀を差してました。
そして、明治維新後、ちょんまげもなくなり、刀もなくなり、服装も変わり、士農工商制度もなくなりました。貨幣制度もガラリと変わりました。
百数十年前の日本で仕組みが変わった出来事でした。
そんな時代だからこそ視点を高く持って自分で様々な事象を問いかけ、そして答える癖が必要になると信じてます。
大衆心理学では、「人は群衆に迎合すれば自分というものを忘れて」しまうそうです。最初は簡単な迎合からはいり、どんどん迎合しているうちにエスカレートしだして群衆の中に身を委ね自分を忘れる。
なので僕は「いったんすべてを疑う癖」を持つべきだと思っています。
なぜなら...
とかく日本人は、「性善説」な人が多いからです。
なぜすべて疑う癖をつけるかというと知識の脱皮をするためです。性善説だと人を最初から信じやすいし、下手したら依存体質になるかもしれません。
性善説は、本来なら日本人の美徳ですが、混沌としたカオスのような時代の境目ではあまり好ましい考え方ではないかもしれません。
なので性善説の人が多い日本人は、一度疑う。性悪説で考えた方が、知識の脱皮を図り、知識の新陳代謝ができるんではないかと僕は信じてます。
問いも立ちやすいでしょう。問いがたつと人は自分で知識を得るために行動します。
本来、考えることって「疑う」ことからはじまると
数学者で哲学家のパスカルも言ってます。
なぜ疑うのか?
時代の境目の現在、これまでの知識が役立たないからです。
社会も家族も会社もできたら自分の考えすらも疑うくらいが丁度いいかもしれません。ほとんどの人は子供の頃から影響のある親や学校、会社の価値観で生きてきたからです。そういう意味では、僕も疑ってくれたらいいと思います。
時代の転換期だからこそワクワクしながら「疑い」「問い」を立てる。
自分の頭で考えて生きていこう。そして直感を信じよう!
それも自分軸です。
星詠み運命プロデューサーひで