冬の旅/アニエス・ヴァルダ監督
アニエス・ヴァルダ監督(1928〜2019)の「冬の旅」を見る。1985年のヴェネツィアの金獅子賞で、日本では1991年に公開された。
冬の南仏の話である。原題は『Sans Toit Ni Loi(屋根も法もない)』。ヴァルダ監督自身も10代の時を過ごしたというその地は、私たちが知る南仏のイメージとは程遠い寒々しく乾いた土地だ。土色の丘にぽつりと立つのは糸杉の樹なのか。
冬枯れの葡萄畑の側溝で若い女性の凍死体が発見された。映画は、彼女の死に至る数週間の足取りを彼女が出会った人々の回想を紡ぎながら炙り出してゆく。18歳のモナ(サンドリーヌ・ボネール)の「冬の旅」。
自由気まま(に見える)な放浪者モナに、男たちは概して普通に性的で差別的な視線を向けがちである。それに対し女たちは、社会的な支配から自由でいるモナに理解を湛えた眼差しを注ぐ。
羊を飼い、隠遁生活を送る元学生運動のリーダーの男は、モナを怠け者と断じて説教じみた見下すような言葉を吐く。モナが彼らの元を去る時、男とその妻の作った羊乳のチーズを二つばかり盗み、街角で客を取る女はそのチーズを買い取ってくれた。モナは働かずに小銭を得ることができたわけだ。
物語の中でモナに心を砕く女性が二人いる。ひとりは住み込みで資産家の老女に仕える女中ヨランダ。最初はモナに対する羨望として、後には嫉妬として。もうひとりはプラタナスの樹の研究者ランディエ教授(マーシャ・メリル)。モナの社会的状況が正解に見えていたのはおそらくランディエ教授だけなのだが、彼女はモナのその手を離してしまう。
もうひとり、ブドウ畑で働くチュニジア人出稼ぎ労働者の男アスーン。家族も帰る場所も無いアスーンはモナに同情し、雇い主の地主に帰省中の同僚の空き部屋をモナに使わせることを請う。モナに多くを求めないアスーンに、モナは心を開き親密にはなるのだが、休暇明けの労働者たちが戻って来たため、そこに留まることができなくなってしまう。このあたりが転換点になるのだが、旅の初めこそ気儘なバックパッカーでキャンパーだった彼女も、地主には宿無しと認識されるまでになっていた。「宿無しじゃなくてモナと呼びなさい」と、地主の妻は嗜めるのだが、彼女を取り巻く状況はますます危うくなってゆくのだ。
ヨランダに導かれ資産家の老女の邸宅に転がり込むモナは、まるで祖母と孫娘のように打ち解ける。毎度毎度礼儀正しく挨拶に来る甥夫婦が、実は老女の財産だけが目当だと彼女は既に気づいていて、実際にその後は甥夫婦に養老院に送られてしまうことになるのだが、映画は、このようなさまざまな形をもった社会の「弱者」を可視化する。ヨランダから嫉妬を買ったモナは家を去るが、ヨランダの方もまた、甥夫婦から体よくお払い箱にされるのだ。
今では完全にホームレスと化したモナは、バーからは追い出されるし、社会の枠から完全にはずれてしまったモナからは、老女の家から失敬した銀器をもってしても、誰もそれを買い取ってくれないのだ。一方のランディエ教授は、窮地であろうモナの行方を再び追おうとするのだが…。
この「冬の旅」が日本で公開された1991年はバブルの末期だと思うが、当時の自分がこの映画を見たとして、果たしてアニエス・ヴァルダ監督の眼差しを正確に(正確というのは不遜だろうか)受け取れたかどうか心許ない。おそらくは彼女の自由の代償を、自己責任の行く末を、幾分なりとも思い浮かべてしまったのではなかろうか…。
何故モナが放浪生活を始めたのか、あるいは彼女の生い立ち、18年という彼女の 短い人生の背景についても、この映画は描いていない。「彼女は海からやってきたのかもしれない―」映画の始まりでこう語られる。凍てつくような冬の海を思い浮かべながら、マフラーもテントも寝袋も無くした彼女の震える指先を思い出しながら、今こうして、このテキストを書いている。
監督:アニエス・ヴァルダ
出演:サンドリーヌ・ボネール | マーシャ・メリル | ステファン・フレイス