そして『わたし』はいなくなった
地球と遊ぶ
自分の中にあるこの思いを
掘り下げていた
地球と遊ぶとは
つまり どういうことだろう?
そもそも俺の中で地球とは
いわゆる惑星としての地球のみを指さない
地球という星
そして そこに属する
人 自然 文化 技術 伝統
などの一切も含まれる
だから
地球と遊ぶ
とは
自然と触れ合う
ということだけにとどまらず
地球にある一切と
触れ合い 交流するということ
それは物質的なものだけでなく
地球にある概念
地球の神
といった精神的なものも含まれる
そもそも『遊』とは
神が自由に行動することを意味し
やがて 心の向くままに行動することを意味するようになった
遊びとは
神事であり
神との交流なのだ
そうしたことも踏まえつつ
改めて地球と遊ぶことについて
考えてみた
紙とペンを取り出し
ブレインダンプ
思いついたことを
片っ端から紙の上に落としていく
落して 落して
もう落ちない所まで落して
さらに落とす
いよいよ落としきれなくなり
ペンが止まり
思考も止まり
脳に一瞬の空白が訪れる
そこで落ちてきた言葉
『わたし』は存在しない
衝撃だった
わたしはわたしである
これまでセミナーでそんなことを話してきた
この現実世界はトリニティで
わたし
わたし以外(世界)
行為
この3つで構成されている
そんなことも話してきた
五感で認識するこの現実世界では
わたしは存在するのだ
しかし
視座を変えて眺めてみる
色ではなく空で眺めてみる
すると
『わたし』は消える
わたしも あなたもない
すべてが 『わたし』 になるのだ
最終的には
『わたし』しかいない
俺はそう考えていた
しかし
それではまだ不十分だったことが
今回分かったんだ
『わたし』という概念すらもなくなる
ある次元では
『わたし』は存在する
しかし 究極的には
『わたし』は存在しない
それがわかった
セミナー講師になって16年
その間ずっと
わたしは何者か?
わたしらしさとは何か?
本当のわたしとは?
について勉強し
答えを探し
『わたし』についての
答えを出してきた
しかし今回
本当のわたしとか
偽物のわたしとか
わたしらしさとか
わたしらしくないとか
そんなこと全てすっ飛ばして
そもそも
『わたし』は存在しない
ってことが
深く腑に落ちたんだ
これまで俺だと思っていた俺は
実は存在していなかった
俺の中から
俺がいなくなったんだ
俺の中から
俺がいなくなる
不安や恐怖があるかというと
全くそんなことはなく
逆に心が軽くなっている感覚がある
これからどうなるか
俺ではない俺を
楽しみたい