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動物たちは「表現」し合わない (“動物のジェスチャー”から始まるシンボリックプロセス — ジェンドリンとミード: 1)

“動物のジェスチャー” に関するジェンドリンの理論は、チャールズ・ダーウィン (1809-1882) 、ヴィルヘルム・ヴント (1832-1920) 、ジョージ・ハーバート・ミード (1863-1931) の先行研究にそのルーツがあります。ここでは、ダーウィンの情動表現理論が後の世代にどのように批判されたかに着目したいと思います。

『プロセスモデル』の「VII‐A シンボリックプロセス」には、「(e)表現」という皮肉めいたタイトルの節があります。この節で最終的に論じられているのは、動物たちが内的な何かを表現し合っているように見えるとき、私たち人間の観察者が単に自分自身を投影しているだけであって、動物たちは実際には内的な何かを表現し合っているわけではない、ということなのです。

動物たちは非常に多くのことを表現するが、特別な行動を除けば、それらは私たちだけを推進する。したがって、動物たちが表現し合うことはない。 (Gendlin, 1997/2018, p. 122; cf. ジェンドリン, 2023, p. 205)

上記の考え方のルーツを概観しましょう。

まず、Darwin (1872) の情動表現理論は、Wundt (1900) によって批判されました。

ダーウィンは、ジェスチャーが情動を表現するものとして興味を持ち、あたかもそれが唯一の機能であるかのように、非常に大きくジェスチャーを扱った。…ジェスチャーはダーウィンにとって動物の情動を表現するものであった。彼は犬の態度に、散歩で主人に同行する喜びを見た。... これがジェスチャーの問題を取り組む正当なポイントではないことを示すのは、ヴントにとって容易なことだった。ジェスチャーは、情動の表現の機能を根本的には果たしていないのだ。 (Mead, 1934, pp. 43–4; cf. ミード, 2018, p. 242; 2021, p. 46)

次に、Wundt (1900) の主張は、Mead (1934) に引き継がれました。

動物が情動を表現することを企てていると仮定するのはまったく不可能である。動物が他の動物のために情動を表現することを企てることはまずないのである。…これらの下等動物には情動を表現するための手段としての表情は存在し得ない。個々の心の中にある内容を表現するという観点からは、表情にアプローチすることはできない。 (Mead, 1934, pp. 16-7; cf. ミード, 2018, p. 216; 2021, p. 18)

動物が怒っていること、攻撃しようとしていることを私たちは見る。私たちは怒りが動物の行為の中にあり、動物の態度によってあらわになることを知っている。だが動物が攻撃してやろうと内省した上で決意することを意味するとは言えない。 (Mead, 1934, p. 45; cf. ミード, 2018, p. 244; 2021, p. 48)

続いて、Mead (1934)の主張は、Gendlin (1973) に引き継がれました。

動物は闘う。もちろん、闘いそのものは情動ではない。しかし、動物は闘おうとするとき、闘いの準備をする。それにはさまざまなプロセスや行動が伴う。例えば猫の場合、尻尾が太くなる、血液の循環が速くなる、筋肉が硬直する、などが生起する。それを見ている私たち人間は、猫が怒っていると言う。こうした変化を感じている感応的な身体であることは間違いない。この意味においては、闘いの準備は猫にとっての怒りである。しかし、猫は闘いの準備としてのみこれを行う。 (Gendlin, 1973, p. 374)

身体がどのように見え、どのように聞こえるか、顔や姿勢や音のパターンを、私たちは「表現」と呼んでいる。生きている身体の表現パターンは、動物であっても同じ種の他の動物に影響を与えるが、彼らにとってこのようなパターンは行動の一部であり、状況変化の一部である。 (Gendlin, 1973, p. 375)

最後に、冒頭で引用した『プロセスモデル』 (Gendlin, 1997/2018) の「(e)表現」の論述に結実し、その論述は次のように締めくくられるのです。

動物たちが推進するのは、互いに行動することである。あるいは、動物にとって行動することと表現することは、まだ2つの異なるレベルに分化していないと言えるかもしれない。 (Gendlin, 1997/2018, p. 122; cf. ジェンドリン, 2023, p. 205)


参考文献

Darwin, C. (1872). The expression of the emotions in man and animals. John Murray.

Gendlin, E.T. (1973). A phenomenology of emotions: anger. In D. Carr & E.S. Casey (Eds.), Explorations in phenomenology: papers of the society for phenomenology and existential philosophy (pp. 367-98). Martinus Nijhoff.

Gendlin, E. T. (1997/2018). A process model. Northwestern University Press. ユージン・T・ジェンドリン [著]; 村里忠之・末武康弘・得丸智子 [訳] (2023). プロセスモデル : 暗在性の哲学 みすず書房.

Mead, G. H. (1934). Mind, self, and society: from the standpoint of a social behaviorist. (edited by C.W. Morris). University of Chicago Press. ジョージ・ハーバート・ミード [著]; 植木豊 [訳] (2018). 精神・自我・社会. G・H・ミード著作集成:プラグマティズム・社会・歴史 (pp. 199–602). 作品社. ジョージ・ハーバート・ミード [著]; 山本雄二 [訳] (2021). 精神・自我・社会. みすず書房.

Wundt, W. (1900). Die Sprache (Völkerpsychologie: eine Untersuchung der Entwicklungsgesetze von Sprache, Mythus und Sitte, vol. 3). W. Engelmann.

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