浦上咲を・・かたわらに β (beta)
Episode2 雪
その日、咲と待ち合わせた渋谷駅のホームは妙に冷え込んでいた。
咲は待ち合わせの場所にはまだ来ていなかった。
僕がちょっと早めに出たからだった。
「あ、先輩ずるいよ~、30分も早く来るなんて。」
背後から咲の声がした。
「あたしは待つのが好きなんだから、愉しみ取らないで欲しいなぁ。」
「へ~、そういう趣味もあったんだ。」
今日は映画を見る約束だった。
この街が若者の街と言われて久しい。
だが、どこが若者の街なのか
何をもってそういうのかは、
たまたま近くに大学が数多くあるからだと、
そんな単純な理由なのかも知れない。
だけれども、僕はこの街自体が好きでもあり、
また嫌いでもあった。
駅の改札口にあるベンチにじっと座っていると、
傍らの咲以外に誰一人知っている人がいないことに気づいた。
大都会の雑踏は、自分とは関わりのない人で埋め尽くされているのだ。
だが、そう気づくと、傍らの咲という人を知っているということが、
得難い事なのだということに気づいた。
「この雑踏の中で、咲以外誰も知らないっていうことは、ある意味すごいよね。」
僕は、感じたことを咲に告げた。
咲はこくりとうなずきながら、僕を見つめてつぶやいた。
「でも、そういう知らない人たちが、いろんな仕事してるから、あたしたちがいられるのよね。あたしたちって、お互いに知らない人たちによって支えられてるんじゃないのかな・・・・。」
映画がひけた後、咲は
「渋谷で一番空に近いところでお茶のみたい。」
という妙な注文を出した。
「そうだなぁ・・・・」
宮益坂にある高層ビルの最上階にある喫茶店に行くことに決めた。
ハチ公前から国鉄のガードをくぐり、
宮益坂にさしかかったところで、空を見上げたら雪が降ってきた。
その空を見上げたらまるで、僕たちが天に登っていく、
そんな錯覚に陥るから不思議だった。
いや、そうじゃない、たぶんそれが本当なんだ。
少なくとも心はまったくその通りなのだと・・・
降り続く雪と、高層ビルの天を突く威容との狭間にあいながら、
僕は咲を連れ立ってその高層ビルの最上階に向かった。
僕たちは、宇宙の中のいったいどんな存在なのか。
何億年も続いてきた生物のたった一瞬の遺伝子を次に伝える
ほんの一瞬の存在として定義された。
そんな存在なのか。
僕たちは、無数の出会いと別れを繰り返している。
それはたぶん、自分を中心としてだが。
だが、そういう僕たちこそ、
宇宙にとってのほんの一瞬の出会いと別れなのだろう。
窓の下の大都会・・・そこをうごめく群衆を眺めてそう考えた。
だって、いま、空から降ってくる雪の結晶は、
一つとして同じ物はないんだ。
それなのに、後から、後から降ってきて、そして消え去っていく。
それなのに、僕たちは、その結晶の姿さえ考えも及ばないじゃないか。
そうなんだ、宇宙にとって、僕たちの存在はこの雪なんだ。
それをいったいどのくらいの人が感じているだろうね。
この雪は、地下鉄駅から次々と涌いてくる群衆に似ている。
こんなにたくさんあるのに、一つとして同じ物はないし、
また、出会った事のあるものがないからだ。
それなのに、毎年雪は降るんだ。
あとから、あとから。
常にそこの留まることは決してない。
僕たちが、生まれるずうっと前からね。
くりかえし、くりかえし・・
人間なんて、なんて小さくて、はかないんだろう。
永遠を求めるなんて、所詮、大いなる愚行といっていいね。
僕は咲にこんな言葉を投げかけようと思った。
だが、それは無駄だった
雪が降り、この43階建てのてっぺんの喫茶店で、
その雪を二人で見送っていた。
そんな言葉の途切れの一瞬の時間で、
咲が僕を見つめたそのひとみが僕のその言葉を
すべて言い当てていた。
「あたしたちは、明日には死んでしまっても仕方のない存在。」
キルケゴールが言うには、
人間は、誰もが死を免れることができないが、
死は他の人に代わってもらうわけにも行かず、
自ら引き受けなくてはいけないものだ。
つまり、人はみな「死に至る病」の患者ではないか。
それが、早いか遅いか、突然か、ゆっくりかは、
単なる人の分別にすぎず。それは死において代わるものではないし、
生きるということは死というゴールに向かって
ただ旅をすると言うものに他ならない。
つまり、生と死とは並立してあるものではなく、一体のものなのだ。
だから、生まれるものの数だけ死があるのだし、
生きているものはみな明日にでも生きてる限りは
死ぬこともあると言うことなのだ。
これは、至極当然の摂理であり、事実なのだ。
咲は、窓の下をうごめく車や人の流れに目をやった。
雪はその流れに向かってただ淡々と降り積もっていくばかりだ。
「せんぱい、あたしたちも、つまりは、この事実を形作ってるって事なのね・・・。」
僕は、咲が言わんとしてることが何となくわかってきていた。
咲はピュアな考えをよくする。
とうの彼女は、まったく意図しないで普通に考えたことが、
つい言葉に出てくるのだが、
それがまるで匕首|なのだ。
「あたしね・・・自然に逆らって、理念でものごとを変えるっていう人がいるでしょ・・・。特にOBの人たち・・。」
学内で美観を損ねる看板を背に、ハンドマイクでアジテートしている連中のことだとおもった。
「言ってることは、確かにもっともなんだけど、自然の摂理にはあってないと思った。」
つまりは、時代遅れ・・・・・と言う意味にもとれた。
「せんぱい、あたしね、こないだレポート作るんで、図書館いったのね、そこで、すごい本ていうか文章みちゃったの、」
「ふうん、どんなの?」
「特攻隊員の遺書」
「きけ、わだつみのこえ?」
「う~ん、そうだったかもしれないけど、なんか、感動っていうか、心に残ったのがあって、メモしたんだ。」
咲は、1枚のレポート用紙を僕の前に出した。
「読んでみて、すごく感動したんだ。」
いつものしみいるような瞳を僕に見せた。
「あたしがね、ここに感じたのは、死というものにはそれなりの価値があるってことなのよ。」
僕は、人の生死とは何か。ここで考えた。
人はみな、「死に至る病」を背負って生きているのだ。
これはどんな人であっても例外はない。
ものすごくあたりまえのことなのに、ほとんどの人は
このあたりまえに気づかない。
キルケゴールの言を待たないまでも、
生きることの最終到達点が死である。
であるならば、死の意味とは生の意味であるということが解る。
もし、死が無意味なら、
生きていることそのものが無意味なことに向かっていることになる。
したがって、生きることに意味があるのであれば、
当然ながらその最後の死は意味があってしかるものであるはずだ。
つまりは、僕たちは、
ずうっと何億年も前から続く宇宙の現象の中の一つとしてここにある。
生きるということも、また死んでいくことも含めて
すべてその一つとしてここにあるのだ。
そのことにおいて、自分はこの宇宙を形作るものとしてここにあるのだ。
という意味が生じる。
これを禅の言葉を借りると「尽十方界真実」といういい方をする。
「すべてのことは事実としてここにある」というような意味だが、
言葉では表し尽くせるものではない。
つまり、楽器の音色を言葉で言い表しつくせないと言うことに似ている。
「特攻隊員は、この「宝」という言葉にすべてをこめたんだね。」
咲はさらに続けた。
「特攻隊員は犬死にした。って、まわりでは言ってるんだけどね、あたしは何かちがうのかなぁって何となく思っちゃったのよ。」
「たぶん白い目で見られたんじゃないのか?」
「たぶんじゃなくてそ~と~見られちゃった。戦争を賛美するのか?って・・。」
「まぁ、そうだろうなぁ・・」
だが、自分の人生そのものに確とした「意味」も見いだしていないものが、おのれの死そのものの価値を語れるものではないけれど、
そういったものがいたずらに他の死や生を無意味と断じることは、
果たして許されるのだろうか・・・。
人は、もっと謙虚になって、
「生かされている自分」を感じることが大事なのだろう。
なぜならば、この大宇宙の営みの中において
生滅を繰り返す運命に存在するもの同士でありながら、
その生滅に意味のあるなしはただの小さな分別に過ぎない。
もしあるとするならば、その意味とは、宇宙の存在としての意味だろう。
「自分が、『生まれてきた事実』というものの意味・・・・・というのかなぁ。確かにあたしはここに生まれて生きて死んだという『事実』・・・。」
「ここまでくると、小さな事は本当に小さいことのように思えてくるね。」
「うん。」
「だからさ、死ぬ瞬間まで、大いなるものに任せることかな・・。
運が悪かったら死ぬだけで、何も自分でやんなくても、天が勝手にやってくれるんだ。っていうことだ。」
「・・うん・・」
咲はまた、窓の外に目をやった。
宇宙に出た宇宙飛行士は、
人の分別でつけた国境の無い地球を、目の当たりにして
自分の考えやものの見方が大きく変わってしまうと言う。
咲のまなざしを見ていると、
彼女はすでにその心境に立っているのではないかという錯覚に陥ってくる。
窓の外の雪が・・・・無限の星の瞬きで
目の前に広がる
・・・・地球。
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