浦上咲は、今日は留守
・・・・・ 蝉時雨の声がする
そういえば、最近聞いていなかった。というより、聞こえる心の余裕がなかったのだろう。
本当に、久しぶりの蝉時雨だ。
・・・・・心に染みる・・・、遠い、記憶
人は、たとえそこにその音があっても、聞こえないときがある。そして、そこにそれがあっても見えないときがある。
ところがそのものは、聞こえるとか聞こえないとか、見えるとか見えないとかという人の都合やはからいの外にいて、
確かに存在してるのだ。
だが、聞こえなくなった、見えなくなったとその現象だけをつかまえては、人はその原因や不満を外に求め、怒ったり悲しんだり嘆いたりして折り合いをつけている。その小さな世界の中の、些細な出来事に心揺らしてうごめいているのが「人」なのだ。
そしていたずらに虚勢を張ったり、欲望に赴くまま愚かしい行動をしたり、他人を傷つけ自分も果てしなく病んでいく。そもそも、人の思いが思い通りになることなどあり得ることではないから、そう願うほど人は苦しむのだ。
だが、それは蝉がいるのに蝉時雨が聞こえない世界、波があるのに潮騒が聞こえない世界に囚われているからだ。
その実体はないというのに・・・・。
まるで、大自然の中でヘッドフォンステレオで不協和音を聞いているようなもの。それではせっかくの蝉時雨が聞こえないじゃないか・・・。
・・・・・・果てしなく前から、そしてこれからもずっと蝉時雨の声はしている。