毎月の値上がりに思うこと
パンに使用する材料の値上げが止まらない。
チョコレートを始め、バターも、ドライフルーツも、ナッツ類も、、
少しずつなら許容できるけれど、1.5倍とか2倍にサラッとなるので引く。
質が落ちない程度に少し安いものに変えることもできる。けれどもそれは一時凌ぎでしかなくて、数ヶ月経てばその商品ですら同じように高くなり、さらに安いものとなると、、、
原価を下げられないなら販売価格を上げるしかない。でもそれも限度がある。
恐らくうちの場合は値上げしてもお客さんはついてきてくれる。多少単価は下がるだろうし、頻度も減るかもしれない。けど大丈夫。多分。ただ、ここで単純に値上げするのは違う気がしている。
じゃあどうする。さらに美味しくする?
美味しくなったので値上げします。
これも聞き飽きたし、正直美味しくなる努力は毎度している。値上げの有無に関わらず、もっとこうしたら美味しくなるのではと毎度考えながら作っている。それが自分で作る意義だろうし、楽しさでもあるから。
じゃあ、どうすればいいのだろう。
この金額を払うしかないのなら、
同じ値段を出すなら、
顔を知っている方に払いたいなと思った。
例えばイチジク。
外国産のドライイチジクを1万円で買うなら、フレッシュな地元産のイチジクを地元の人から1万円で買いたい。
支払う額は同じでもその意味合いは全く違う。
どこぞのドライイチジクを買えばそれで終わりだけど、地元の人に払えばイチジクを育てる糧になる。その人が地元にお金を落とせば、さらにその人の糧になる。その先にうちの店でパンを買ってくれる人がいるかもしれないし、農業の継続、暮らしを支えることにも繋がるかもしれない。
この先に向かう方向としてはこちらが正しいのではないか。いや、正しいかどうかはさておき、私はそうしたいと思っている。
全国の、世界の素晴らしい材料を揃えて作るのは都市部のお店に任せればいい。
地方の、田舎のお店ができることは、その土地のものを使い、その土地にいるからこそできるものを作ること。
オーガニックの外国産のドライイチジクを使用していますより、〇〇さんのフレッシュなイチジクをじっくりドライして使用しました。
の方が美味しそうな気がする。
もちろんドライフルーツとしては別物だし、クオリティの面でも専用で作られたものと比較すれば劣るかもしれない。
でも、フレッシュからだからこそできるドライの具合や使い方があって、顔が見えるからこそ大切に使いたい、美味しいものを作りたいという気持ちにもなる。
人件費や光熱費まで考えれば1万円では済まないけれど、私が目指したいのは、そっちだよなーと。
結果、それができないようなものは使わないようになるか、代わりが効かないなら値上がり続けても使い続けるしかない。今後なそういうものをどれだけ減らしていけるか。
どうしても使いたいもののみを使い、
シンプルなパンを焼く。
あとは食べる方に委ねればいい。
食べ方の提案はするけど、最終的には自身で足したりして楽しんでもらいたい。
お客さん自身でパンが自由に楽しめるようになれば、お店が色々なものを色々なとこから仕入れ、何十種類も作る必要はないんじゃないかと思う。
大手メーカーやコンビニのパンだって美味しい時代。どこに向かいたのか、どういうお店でありたいのか、それをしっかり持ちつつ、それをどれだけ伝えられるか、納得してもらえるかも大事だと思う。