リモートワークとパン屋とこれからの働き方
十年後も店をやっているかな。昨日、妻がふと発した一言。
私たちは近々パン屋を始める。
店を十年続けられるのはほんの一握り、一割程度らしい。その一言は、そういう実情からくるこれから始めることへの不安だったと思う。やってるんじゃないかな、と返事した後、十年後にどう生きていたいかを考えてみた。
十年後、私は43歳。おっさんだ。
子供がいたら小学生ぐらいだろう。
甥っ子は今6才だから16才、高校生になっている。
世の中は、、想像できない。
逆に十年前は、23歳。働き始めて間もない頃。
iPhone は出ていただろうか。
私はまだガラケーだったはずだし、Windows も Vista だった。
結婚もしていなかったし、まさかパン屋になるなんて微塵も思っていなかった。
十年前はついこの前のように感じるけれど、世の中も周囲も自分も大きく変わった。仕事もそう。働いている会社は同じだけれど、立場や仕事内容は変わっている。とはいえ、十年前に想像していた十年後の姿と概ね変わっていないと思う。パン屋になるために辞めて、また戻っていることを除いて。
これから始める店と、そこで働いているであろう私たちの十年後、、やはり想像できない。まだ始めていないのだから当たり前かもしれない。ただ、どういう働き方をしていたいかの理想はある。
今、リモートワークが働き方の一つとして定着しつつある。それは仕事と暮らす場所の関係が変わり、密接なものから別個に考えられるようになったということ。
私の今のエンジニアの仕事はリモートワークのしやすい職種だ。パソコンとネットがあればどこでも仕事ができる。
対して、これから始めるパン屋の仕事はどこでもできない。売るためのパンを作るには場所の許可がいる。エンジニアの仕事に比べるとハードルが高いのは事実だ。
ただ、パンを作ることはどこでもできる。小麦と塩と水があって、オーブンや窯があれば作れる。家庭用のオーブンだって、工夫すれば美味しいパンは焼ける。
それを踏まえると、パン屋だって場所に捕らわれない働き方もできるのではないだろうか。今は限られた職種のみだけれど、この先は広がっていく気がしている。
今でもパンを作らずオーナーとして働いたり、執筆、動画、教室など、色々選択肢はある。ただ私はどれもピンとこない。
私の理想とする十年後の働き方。
色々な場所に行きたい。そしてそこでパンを作ってみたい。店は鹿児島にあるけれど、あくまで拠点の一つ。そういうパン屋をやってみたいと思う。
なかなか自由に旅がしにくい世の中になってしまったが、このままということはないはず。今は出かけるのも憚られるが、数年後には物理的距離をとり、ある程度気をつけることで、自由に旅できる世の中になっているはずだ。そうなったとき、パン屋としての働き方も変われる気がしている。
少し具体的になるが、その鍵を握っているのが、個人的にシェアキッチンではないかと考えている。
数年前から都市部を中心にシェアキッチンが増え、店舗の間借りも含めればかなりの数がある。家賃が負担になるということを改めて今回考えさせられたため、自分だけの店を持つという形は減っていくのではないだろうか。今は小規模でお試し出店みたいな扱いのシェアキッチンだが、飲食業に関わる人の場所を選ばない働き方にも一役買えそうな気がする。
今は店以外の場所で売るというと、店で作ったパンを全国に届けるのが主流だ。でも近い場所のシェアキッチンや店舗を間借りし、そこで作ったパンを届けるのもアリなのではないだろうか。
私が作りたいのは時間が経っても美味しく、日々の変化を楽しむパンだが、近くで作って届けられれば、より変化を楽しんでもらえる。そして近隣で手に入れた新鮮な食材を使ったパンも、鮮度が良い状態で届けることができる。
これから始める店のパンのコンセプトの一つに、「そのとき」というのを考えている。旬のものを使ったそのときにしか焼けない、そのときにしか食べられないパンを届けたい。そういう想いを込めている。
十年後、それに「その場所」を加えたい。
冷凍技術が発達して焼き立てに近いパンはどこでも食べられようにはなった。でもその土地で食べるパンは違う気がしている。
シェアキッチンは家庭よりも設備は良いが、パン屋に特化しているわけではない。きっとこの先もパン屋並みの設備が整っているシェアキッチンはコスト的にも難しいのでできないと思う。
今私は家でパンを焼いている。設備も整っていないし、正直パン屋で作っていた頃より難しい。でも色々と工夫した経験は、将来のためだと思ったりもする。シェアキッチンや様々な場所でパンを焼くときには、この設備がないと作れないではなく、ある設備に適したやり方でパンを焼く技術が必要だと思うから。
十年後にシェアキッチンや間借りという考えがあるかはわからない。自分も遠出できる環境かはわからない。
けれど、働き方や暮らす場所を自由に選べる世の中になったからこそ、自分の職はできない、向いてない、子供がいるからできないとかではなく、やりたいならやれる方法を模索していくことが大切なのではないだろうか。