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自己認識と他者認識が違うと嫌なのはなぜ?
今日で「自己認識と他者認識の違い」の連載3日目です↓
昨日の記事でも少し触れたのですが、こんなことを思っている人は少なくないと思います↓
「自分で認識している自分と、周りの人が認識している自分がズレているのは嫌だ!!!」
ただ、そもそも「自己認識と他者認識がズレている」ということは、なんで嫌なのでしょうか?
今回はその点について深掘りしてみたいと思います。
ズレから生じるもの
ズレがあることが嫌だと感じる一番の要因は「本来の自分を押し込めようとして疲れる」ことにあると思います。
自分の印象は自分で決めるものではなくて、周りが決めるものなので、そこで作られた「自分像」というものが、合っているか否かは考慮されませんん。すると、「その自分像は違うんだけどなぁ」と思いつつも、そちら側に寄せていくような作業が生じます。
テレビで売れっ子だったタレントが10年の時を経て、「実はあの時は番組からお願いされたキャラを演じていました」という告白をするのを耳にしますが、あれなんかは最たる例だと思います。
これを続けていくと、いつか我慢の限界がきて、もうだめだ、、となってしまうのではないでしょうか。
じゃあ一体どうしたら自分のありのままで過ごすことができるのか?
そもそもズレていることはよくないのか?
まず、大前提として、「自己認識と他者認識がズレていること=よくないこと」という考え方があると思いますが、そもそもそれってどうなんでしょうか?
僕も最近とある友達から言われた「ヒデ像」が、自分が思い描いているものと違うということがありました。その時に、「いやそんなこともないよ!笑」と否定してみたり、他の理由を言ってみたりしましたが、特に変わることはありませんでした。
「本当は違うのになぁ」と心では思いながらも、それが通じない時に、ちょっと残念な気持ちになったのですが、そういう感情がわいてくるのは、以下のような“先入観”があるからなのかもしれません。
自己認識と他者認識が…
「ズレているから生きるのが大変」
「ズレているせいで自分が出せない」
「ズレていなければ本領を発揮できる」 etc…
もしかすると日本社会で生きていると、自然とこういう「先入観=価値観」になってしまうのかもしれません。本来、自己認識と他者認識がズレていても自分は出せるし、本領は発揮できるはずなんです。
たしかに現実的には「そんなに単純ではない」のかもしれません。ただ、理論上はかなり単純なことで、「周りが自分をどう評価しようと関係ない」ということになります。
とは言っても、やっぱり「周りの評価を関係なしに生きるって難しい」というのが本音です、、、(笑)
明日はこの点について深掘りしてみたいと思います。何かヒントが見つかるかもしれません!
ということで今日は以上でーす!
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