ひで|対話屋さん

コーチングでもカウンセリングでもない「深く考える対話」をしています|対話屋さん公式HP:https://taiwayasan.com

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母と過ごした1年と309日 #note創作大賞2022

2020年2月1日に母がステージ4の末期癌・余命1年と宣告されてから、2021年12月6日に母が亡くなるまでの話です。 すべての収録を合計すると66分05秒になります(stand.fmアプリでは1.2倍速〜2倍速で聴くことができます。ブラウザの場合は速度の調節はできません。) 1) はじめに2) ガンを宣告された日3) 僕が感じていた違和感4) 僕と母の毎週面談開始5) 母が自分らしさを取り戻していく6) 僕の幼少期の頃のトラウマ stand.fm

    • 内省のコツは「映像」をイメージすること

      内省のコツのひとつに「映像イメージ」があります。 例えばもしあなたが「自分を縛る固定観念があるなぁ」と悩んでいたとしたら「固定観念という名の城が建っている」という映像をイメージしてみるわけです。 この「城」が自分の「心」を支配していることによって、知らず知らずのうちに自分の「行動」が制限されている。こんな感じです。 次にやることは「その城を外からじっくり観察してみよう」と想像を膨らませていくということ。 「外から見たらどんな形をしてるんだろう?」 「城のな

      • 「違和感みたいなもの」が教えてくれること

        「違和感」とまでは言えないけど「違和感みたいなもの」ってかなり大切だと思うんです。 厳密に定義するのはムズカシイけれど、簡単にいえば「ん〜なんだかなぁ」みたいな感じ。 なんでこの「違和感みたいなもの」が大事かっていうと、人生における「適切な流れ」を教えてくれる貴重な感覚だと思うからです。 具体的に言うと、僕らは人生のさまざまなタイミングでたくさんの決断をしていくわけですが、この絶妙な感覚を見極めながら行動していくことで「自分の人生の流れ」を良い方向に導いていくことが出来

        • 対話合宿に参加してわかった「ゴールを定めずに描きつづける」という生き方

          先日、1泊2日で「対話合宿」に参加してきました。 そこでは17名の方と一緒に対話をしたり、絵を描いたり、山に登ったり、焚き火をしたり。心地のよい疲労感と同時に、心身ともに満たされた感覚を味わえています。 そんな合宿を過ごすなかで、僕にとって大きな気づきがありました。 それは「ゴールを定めずに描きつづける」という生き方が、僕にとってものすごくフィットしているということです。 そしてその生き方を続けていった先にしか見ることのできない景色があるということも、深く実感すること

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        母と過ごした1年と309日 #note創作大賞2022

        マガジン

        • 自己分析を究極的に深める方法
          15本
        • 「1日2食&16時間食べない」健康法の記録
          10本
        • 【企画】ことばの定義を考えよう!
          18本
        • 自己認識と他者認識の違い
          10本

        記事

          「じぶん軸」とは「点」の集合体である

          「じぶん軸」というのは「点」の集合体だと思うんです。 ここでいう「点」というのは、じぶん自身の「考え方」とか「価値観」のようなものを指していますが、もっといえば「じぶんにまつわる全てのこと」というふうに解釈することもできます。 つまり、日常のなかで感じていることや考えていることは山ほどあるわけで、それを丁寧に言葉にしていく作業こそが「点を打つ」ということであり、それを地道につづけていくことで「線」になり、さらにその「線」を太くしていけば「軸」になるということ。 要するに

          「じぶん軸」とは「点」の集合体である

          いつも発信をみてくださっている皆さまへ

          本日8月1日(木)より、対話屋さんの「公式サイト」と「SNSのプロフィールアイコン」が生まれ変わりました!! ▼新しい公式サイトのURLはこちら https://taiwayasan.com コーチングでもカウンセリングでもない「深く考える対話」とはいったいなんなのか。僕がどのように対話をしているのか。 今回サイト制作を依頼した「ごりらデザイン」の勝平さん と一緒に、めちゃくちゃ細かいところのニュアンスまでこだわり抜いてサイトを作りました。 勝平さんと何度も何度も

          いつも発信をみてくださっている皆さまへ

          「言葉は音符、沈黙は休符」

          「言葉は音符、沈黙は休符」 つまるところコミュニケーションというのは「音楽的」に捉えることができるなぁと思うのです。 たとえば、もし仮に休符がひとつもない音楽があったとしたら、それはもう息継ぎはできないし、ずっと音が鳴り響いているわけですから、あんまり気持ちがいいもんではないわけです。 それはきっとコミュニケーションも同じで、「沈黙=休符」がなければ、あまり心地のいいものではないと思います。 そして「言葉=音符」というのは、沈黙があってこそ際立ってくるものであ

          「言葉は音符、沈黙は休符」

          亡くなった母が大好きだった「オペラ座の怪人」を見に行って感じたこと

          亡くなった母が大好きだった「オペラ座の怪人」が映画でやってたので見に行ってみた。 一体母はこの映画からなにを感じ取っていたのだろう。そんなことを考えながら見ていたのだけど、もしかしたら少しだけわかったかもしれない。 きっと母はどうにもならない「孤独感」をひとりで抱えていたんだろう。 幼少期から抱えていたその「孤独感」を、誰にも話せぬまま心の奥に追いやっていたのだろう。 母ががんになってから毎週必ず対話し続けたのだけど、そこで僕に話してくれた「母が過去に受けた傷の経験」

          亡くなった母が大好きだった「オペラ座の怪人」を見に行って感じたこと

          大人と子どもの境界線ってあるのだろうか?

          僕たちは一体いつから「大人」になったのだろうか。「大人」と「子ども」の境界線は、一体どこにあるのだろう。そんなことについて書いてみたいと思います。 *** そもそも人は、誰を「大人」と呼び、誰を「子ども」と呼んでいるのでしょうか? たとえばもし制服を来ている高校生を街で見かけたら「子ども」だと思いますか? 逆にその高校生が私服を着ていたとしたらどうでしょうか?きっと高校生ということは分からないかもしれない。 その場合は「大人」だと思うかもしれないですよね。 あるい

          大人と子どもの境界線ってあるのだろうか?

          「自分に許可を出す」という考え方に対して感じる違和感

          みなさまこんにちは。今日は「自分に許可を出す」という考え方への違和感について書いてみたいと思います。 よく「どんなネガティブ感情を持ってもいいと自分に許可を出しましょう」とか「ありのままで生きてもいいんだよと自分に許可を出しましょう」といったような言葉を聞きます。 ただ僕はどうしてもこの「自分に対して許可を出す」という発想そのものに違和感があるんです。 というのも「許可を出す」という行為は、そもそも「禁止されている状態」に対して行われるわけですから、それはつまり自分に対

          「自分に許可を出す」という考え方に対して感じる違和感

          自信の育て方

          みなさまこんにちは。 今回は「自信の育て方」について僕なりの考えをまとめてみたいと思います。 突然ですが、人はなにかに興味を持ったときに「もっと知りたい」という欲求が湧き上がってきます。 俗に言う「好奇心」というやつですが、この「好奇心」こそが「自信」を育むためにかなり重要なキーワードなのです。 例えばアイドルが大好きなAさんを題材に説明してみます。 そもそもですが、Aさんは生まれた瞬間からアイドルが大好きだったわけではなく、まずは人生のどこかのタイミングでそのアイ

          「自分らしい人生」に関する疑問点と考え方

          こんにちは。今日は前々から思っていた「自分らしさ」に関する僕なりの疑問点と考え方をまとめてみます。 早速ですが「自分らしい人生を送りたい」ということは多くの人が願うことだと思います。 もちろん僕もそれに越したことはないと思いますし「自分らしくない人生」をこの先ずっと送りたいとは思いません。 ただ、ちょっと足を止めて考えてみてほしいのが、果たして「自分らしくない人生は不幸なのか」という点です。 たしかに「自分らしくない」というのは心地がいいものではありませんし、それはぜ

          「自分らしい人生」に関する疑問点と考え方

          「プロフェッショナル」について簡潔にまとめてみた

          どうもこんにちは。 ふと頭のなかに出てきた「プロフェッショナル」についての感覚を簡潔に書いてみたいと思います。 たとえばカラオケにいって「これなら自分も歌えるだろう」と思って好きな歌手の歌を入れてみると、とんでもなく難しくてぜんぜん上手に歌えないっていう経験って多くの方があると思います。 つまり本当のプロというのは「何気なくサラッとやっちゃう」みたいなことなんだろうなと。 さらに言えば、他の人からすると簡単にやってのけているように見えるけれど、実際そこにはものす

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          「自己開示」が苦手な僕がたどりついた生きる術

          「自分から自己開示をしましょう」とよく言われるけれど、僕は苦手だ。 特に初めましての場所。大人数の場所。 そんな僕がそういう場所で生き延びるために身につけた術は「聞く」ということでした。相手の言葉に興味を持って、丁寧に聞く。 そうすると相手が気付かぬうちに自己開示をしているのです。まもなく相手も僕のことに興味を持ってくれる。それに合わせて僕も自己開示をする。 実はこういう流れで行われる自己開示のほうがスムースで自然体なんですよね。 無理に「自分から自己開示しなきゃ」

          「自己開示」が苦手な僕がたどりついた生きる術

          「今だからこそ笑える話」に潜む影

          「今だからこそ笑える話」というのは「今だからこそ」笑えるわけであって、その当時はまったく笑えなかったということを意味します。 だから気をつけなきゃいけないのは、その話は本当に心の底から「笑える」のか。それとも「笑える話にしておこう」という意識のもと抑圧しているだけなのかという点です。 もちろん過去の失敗や嫌な記憶を「笑い」に変換する力は、僕たち人間が前向きに生きていくうえで必要不可欠であることは間違いありません。 しかし「笑い」という影に隠れて、自分の本当の気持ち

          「今だからこそ笑える話」に潜む影

          質問する時もされる時も必ず持っておくべき視点

          質問する時もされる時も必ず持っておくべき視点があります。それは「この質問はどんな価値観から生まれているのか?」という視点です。 たとえば「将来の夢はなんですか?」という質問は「人は誰しもが将来の夢を持っている」という価値観から生まれています。 一方で「将来の夢はありますか?」という質問は「人によっては将来の夢がある場合もあるし、ない場合もある」という価値観から生まれています。 つまりすべての質問の裏側には必ずこの「価値観」というものがあり、そこには質問者なりの「価値観」

          質問する時もされる時も必ず持っておくべき視点