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読書

1980年代の丁度真ん中に生まれた僕にとって、60年代の安保闘争や三里塚闘争(成田闘争)、70年代のあさま山荘事件で国内での急進的な左派運動が瓦解するまでのことなどは、ある時期まで当時を振り返るテレビ番組で知るだけのもので、はっきり言ってしまえばフィクションと変わらなかった。

小説に興味を持つようになり、戦後派の作家の作品を読んでいるうちに当時運動に熱心に参加した学生よりも少し年上の彼らが語る言葉によって多少は実感のこもったものとして掴めるようになった。柴田翔の『されど われらが日々―』に心を動かされもした。
しかし、相変わらず当時の学生たちに対してはそれほど興味を持てなかった。それは彼らが、中学を卒業して働きに出る人が多かった時代にあって、大学生という身分を手にしておきながら、空虚な争いに終始しているように僕からは見えたからだ。率直に言ってエリートたちの遊びでしかないと思った。

そうこうするうちに僕自身の興味は戦前・戦中、そして第三の新人の世代へと移っていき、いわゆる団塊の世代の語る言葉にはあまり興味がなくなった。

ただ第二次世界大戦後の渾沌や、バブル崩壊まで日本中を包んだ異常な熱気みたいなものに惹かれてしまうのもまた事実で、映画も小説も音楽も、あらゆる文化的な活動が現代のものよりも魅力的に見えてしまうこともある。
これは「僕らは何もかもが終わったあとに生まれてきたのではないか」という想念にも繋がる。


今週になって今年二月に出た『大江健三郎 江藤淳 全対話』(中央公論新社)を読んでいる。対談のなかで二人は僕がざっくりと知っていた当時の状況や空気感を適切な言葉で話していた。四つ納められている対談のうちの一つ目「安保改定―われら若者は何をすべきか(1960年)」での話だ。
この対談は、小説家と批評家という知識人である彼らが、エリート層を相手に閉じた場所で語るのではなく、もっと大衆を巻き込んで共に考えようと試み娯楽雑誌である明星の紙面で行われたものだ。
書き言葉ではなく対話だし、大江がデモ賛成、江藤がデモ反対といった感じでわかりやすい部分もあるが、本当に当時の明星を購読するような人たちが話についていけたのかは甚だ疑問である。


別の対話の中では、大江の小説作品について江藤が舌鋒鋭く批判し、それを受けて大江が自身の創作姿勢について語るというような展開もあり、とにかく迫力がある。
とにかく二人とも真面目でインテリなので、僕のようなにわか文学ファンからすると難しい単語もたまに出てくるが、読んでいて苦痛に感じることはない。寧ろ好奇心が刺激されてどんどん楽しくなる読書だった。

大江と江藤の根本的な違いは思想にも現れて、文学というものへの向き合い方も違えば評価も違う。それは明治維新に対する評価にも繋がる。
江藤は日本文学は江戸以来の儒学・漢学の流れからきていると語り、大江は維新によるヨーロッパとの全面的な出会いが大きいのだという。
僕自身は江藤寄りの意見で、江戸以来の素地がある上に急激に西洋という色を塗りたくったせいで何とも言い難い日本特有の文学というものが生まれたのだと思っている。

今回の記事では触れないが、この本の中で最も熱量を放ち、内容自体も面白いのは三つ目の対談「現代をどう生きるか」(1968年、群像)だ。
現実の生と文学の関わり。他者とは何か。普遍とのつながりについて。社会の荒廃など、キーワードを拾っただけでも興味深いし、間違いなく僕たちが暮らす現代にも繋がるテーマについて語られている。


この年代だけではないが古い作家の本を読んでいると作家自身の当時の年齢に驚かされることが多い。今回もはじめの対談が1960年だから、1932年生まれの江藤が28歳、三つ年下で1935年生まれの大江が25歳とめちゃくちゃ若い。そりゃ「われら若者」というはずだ。後に続く対談も33と30、36と33、38と35といった間隔で行われており、小説家・批評家としてどんどん熟していく二人を感じられることも面白い。

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