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自己紹介って難しい。 だいたい週末に更新。

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最近の記事

ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史⑧

悪天候による低気圧等で体調がすぐれず読書もできないしパソコンに向かうこともできずにいた。やりたいことができないストレスというのは辛いものだ。 前回の記事で2000年代のポピュラー音楽について書いたが、重要なものをひとつ忘れていた。それは2003年に発表されたボーカロイドの存在だ。現在のメジャーシーンに欠かすことのできない文化であり、2007年の初音ミク登場を絡めて書くべきだった。反省している。 全体の流れ10年代初頭 2010年のヒット曲にはNHK朝の連続テレビ小説『ゲゲ

    • ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史⑦

      戦後から書いてきて実は一番弱いかもしれない時期がやってきた。この当時よく聴いていた邦楽といえば、THE BACK HORN、The イナズマ戦隊、野狐禅ぐらいのもので、他ははっぴいえんどなどの古い日本語ロックやフォークを聴くぐらいだった。メインで聴いていたのは当時盛り上がっていたロックンロール・リバイバルのバンド群(THE LIBERTINESやTHE STROKESなど)で、UKロックを中心に60年代・70年代のバンドを漁ったりしていた。 とはいえ、学生の頃は同級生の聴く音

      • ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史⑥

        1940年代後半からざっくりとした日本ポピュラー音楽の流れを追ってきたが、いよいよ自分が物心ついてからの歴史に踏み込んでいく。今回は1990年代だ。 バブルの狂騒とそれからバブル全盛期 バブル景気の終焉には様々な説があるだろうが、ここでは92年までを一括りにしてみる。 90年代初頭の雰囲気をもっとも音楽に反映させたのは作詞・さくらももこ、作曲・織田哲郎で90年1月に放送がスタートしたテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』のオープニングテーマ曲、B.B.クィーンズが歌う「おどる

        • ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史⑤

          ここまで第二次世界大戦以降の日本におけるポピュラー音楽について本当にざっくりとしたまとめを書いてきた。実はかなりの抜け(中島みゆきとか)があることに気づいてはいるが、とりあえず勢いがあるうちに書ききってしまいたいと思って放置している。 前回までで一応1970年代までが終わったので、ようやく自分が生まれた時代に追いついた。とはいえ物心ついて音楽を意識的に聴くようになるのは90年代からなので80年代はまだ後追いの映像と伝聞部分が多い。 歌謡曲の終わりアイドルの時代 80年代

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史④の2

          前回は70年代のフォークやロックを中心に語ってみた。60年代半ばからの関西フォークが勢いを失い、社会運動との関りを薄めて個人を歌ったよしだたくろうや井上陽水らの登場、時代との共振についてだったり、ニューロック、はっぴいえんどなどの登場とちょっとしたその後についてざっくりまとめたのだが、今回は70年代後半戦。表舞台の歌謡界のことを語ってみる。 前回の記事 ↓ 歌謡曲の時代レコード大賞 戦前から活躍していた古賀政男と服部良一を中心に1959年に創設された『日本レコード大賞』

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史④の2

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史④

          未明から雷がゴロゴロと鳴り空がピカリと光る荒天。昨日から天気が悪くなる気配はムンムンで、気圧のせいもあり頭が痛い。頭痛持ちにはつらい時期だ。 何のためだかよくわからない戦後邦楽のざっくりまとめも前回までで60年代が終わり歌謡曲黄金期の70年代に入る。が、今回は歌謡曲までたどり着けそうにない。 学生運動の挫折とフォークの終着点よしだたくろうの登場 60年代半ばから関西を中心に社会運動と交わりながら力を着けてきたフォークソングのアーティストたちも高田渡らの活躍はありながらも

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史④

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史③の2

          前回は60年代のポピュラー音楽におけるテレビの力とヒット曲、ビートルズのデビューと日本におけるその影響について書いたので、今回はその続き。 ↑ 前回の記事。 ビートルズの影響とGS 前回も触れたビートルズのデビューから日本でいう「リバプールサウンド」の流行と影響によって表舞台に出てきたザ・スパイダース。彼らを代表とするグループ・サウンズ(以後GSと表記)の面々は大いに人気を博すものの70年代を前にしてブームは終焉に向かう。終わってみれば如何にもテレビと芸能事務所が大きな

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史③の2

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史③の1

          ざっくりとした戦後日本のポピュラー音楽史第3回。今回は1960年代について。 前回まで45年~59年は ↓ テレビから聴こえる歌 60年代前半のヒット曲としてまず思い浮かぶのが坂本九「上を向いて歩こう」(作詞・永六輔/作曲・中村八大)だろう。ロカビリー歌手として勢いのあった坂本九がソロ歌手として61年に発表、世界中でヒットを記録し、63年にはアメリカのビルボードで1位を獲得。まさに時代を代表する曲といえる。 そんな坂本九のブレイクにも影響したのが、64年の東京五輪に向

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史③の1

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史②

          鈍足な台風10号をなんとかやり過ごすことができてほっとしている。 贔屓にしている本屋さんなんかも無事だったみたいで良かったが、九州各地にかなり大きな爪痕を残していったようなので(特に竜巻が起こった宮崎は映像を見るにひどい有様だった)、少しでも早い復旧復興を願う。 なんとか無事だった僕は自分の書きたいことを書く。前回の続き。 前回は戦後から1949年頃までを追ってみたので、今回は1950年代の日本のポピュラー音楽はどうだったのかというのをざっくり見てみる。 異国情緒 1

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史②

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史①

          音楽が好きだ。洋楽も邦楽もどちらも好きだが、今回は僕が大好きで影響を受けてきた日本のポピュラー音楽の歴史をざっくりと振り返ってみようと思う。 進駐軍とジャズ 第二次世界大戦後、公式に日本ではじめて流れた音楽は8月23日NHKラジオで流された箏曲「六段」や「千鳥」だったという。 その後、占領軍のためのWVTR(後のFEN)が9月23日に放送開始。戦中、娯楽を抑圧されてきた日本国内では主に軍歌などしか聴くことが許されなかったため、ラジオから流れるジャズ(日本では戦前からダンス

          ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史①

          Spotifyとの付き合い方

          普段Spotifyを使って音楽を聴いている。 ポッドキャストもよく聴くが、音楽に関しては生まれる前に流行った歌謡曲・演歌から最近のミュージシャン・アーティストの楽曲、それから十代~二十代前半に聴いていた大好きなバンドたちのアルバムまで、それなりに幅を持って聴いているつもりだが、困っていることがある。それはプレイリストが上手く作れないということだ。 例えば尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を選ぶとアルゴリズムに従って他の曲がレコメンドされる。確かに自分の好きなタイプの曲が並ぶしそ

          Spotifyとの付き合い方

          お盆の思い出

          連日の猛暑で毎日汗だくになっている。 可能な限り日陰を選んで歩くようにはしているが、いつもというわけにはいかないので今年はとうとう日傘を購入した。汗をかかないわけではないが割と劇的に移動が楽になった。頭と首筋に直射日光が当たらないというだけで随分違うものだと感動している。それほどに今年の夏は暑い。 昔はお盆を過ぎれば熱さも和らぎ、暑さ寒さも彼岸までというように九月の半ばには過ごしやすくなったらしいが、もうそれは通用しないだろう。十月、下手すると十一月に夏日を記録することも珍

          お盆の思い出

          SNSのこと

          2010年代以降的な暮らしとして僕が思い浮かべるのは、スマートフォンとその中にあるアプリケーションソフトだ。 LINEで連絡を取り、Instagramで情報収集して、Twitterに不平不満を吐露し、Facebookで滅多に会わない(さして興味もない)同級生の近況を知る。 もっと最近になると、YouTubeのコメント欄でレスバトルをして、TikTokを平気で2~3時間も見ている。というような生活。 MySpace、GREE、mastodon、mixi、pixiv、Pinte

          SNSのこと

          読書

          1980年代の丁度真ん中に生まれた僕にとって、60年代の安保闘争や三里塚闘争(成田闘争)、70年代のあさま山荘事件で国内での急進的な左派運動が瓦解するまでのことなどは、ある時期まで当時を振り返るテレビ番組で知るだけのもので、はっきり言ってしまえばフィクションと変わらなかった。 小説に興味を持つようになり、戦後派の作家の作品を読んでいるうちに当時運動に熱心に参加した学生よりも少し年上の彼らが語る言葉によって多少は実感のこもったものとして掴めるようになった。柴田翔の『されど わ

          自分で髪を切る

          十年近く前に今暮らしている町に引っ越してきた。 それまで居た町と全然違う町。似ているのは日差しの強い日に潮の強いにおいが鼻先を掠めていくことぐらいだろうか。 以前暮らした町では行きつけの美容室があった。 そもそもものぐさな僕は一度髪を切るとそのまま放置でゆうに数か月は散髪に行かないような人種だが、突然思い立って予約なしで訪れても、少し待てばまあ何とかその日のうちには髪を切ってもらえる店だった。 いわゆるコミュ障な僕でも、だいたいいつも担当してくれるていた男性美容師さんとはな

          自分で髪を切る

          福田平八郎の回顧展

          これまで書いてこなかったが僕は大分県に住んでいる。 別府湾や佐賀関、豊後水道などの豊かな海と、由布岳、鶴見岳などの山、天領・日田や耶馬渓などの河川も充実した豊かな県だ。日本一の湧出量を誇る温泉に関しては語るまでもないだろう。 そんな大分県出身の画家に福田平八郎という人がいる。 福田は1892年2月28日に大分市に生まれ、18歳で京都に出るとそれからは1974年3月22日に急性肺炎で亡くなるまでを京都で過ごした画家で京都名誉市民にもなっている。 詳しいことはこちらの 東京文

          福田平八郎の回顧展