教室のアリ 第35話 「5月25日」〈アリが人に恋をした運動会〉
オレはアリだ。長年、教室の隅にいる。クラスは5年2組で名前はコタロー。仲間は頭のいいポンタと食いしん坊のまるお。
〈あれ?いつもと違うぞ…〉
運動会の朝がきた。子どもたちはクラスごとにグラウンドに並んでいる。自信満々の顔と心配で不安そうな顔が並んでいた。シュニンよりさらにおじさんがみんなの前の台に上がった。
「みなさんの全力を見せてください。練習の成果を出してください。」
運動会は始まった。子どもたちは全力だったし、練習の成果も見せた。ダイキくんは8人で走る競走は1位だったし、5年2組は大きな玉を転がすのも1位だった(まぁ、アリの方がうまいけどね)。お昼休み、いつもと違うことが起きた。子どもたちが校舎に帰っていったんだ。これまでは、グラウンドや隣の公園で子どもたちと家族がお弁当を食べていた。オレは年に一度、いろいろなお弁当を食べることができたのに…(もちろん、命懸けで)一旦、誰もいなくなったグラウンドを眺めていると、先生たちの話し声が聞こえてきた。
「こうするしか無かったんですかね?」
「うーん、土曜日に運動会をすると、どうしても応援に来てもらえない児童もいるからね。その子だけ教室でお昼ごはんってのも可哀想だし…」
「ですよね、しょうがないですよね…」
午前の種目が終わって、親と一緒に弁当を食べ、隣の家族とおかずを交換したり、勝った子は褒められ、負けた子は励まされ、そんな運動会のお昼の風景はもう終わりってことだ。多くの楽しい子どもと家族の一方で、ひとりぼっちで悲しむ少しの子ども…人間は少ないけど悲しむ子どもの気持ちを大切にしたんだと思う。オレはウインナー、ゼリー、そしてもちろんおにぎり(こんぶが好き)を食べられなくはなったけど…本当に人間の世界は難しい。多数決で決めることができないこともあるということだ。
「午後からはリレーがあるね。ダイキくんが追い抜くんだよ、多分ね。で、スーパーヒーローになる!」ポンタは本当に楽しみにしている。一旦、それぞれの家に戻ったり、公園で親だけで弁当を食べたり、隠れてビールを飲んだりした人たちが帰ってきた。子どもたちも給食を食べ(カレーの匂いがした)グラウンドに戻ってきた。
〈まるおの恋〉
午後の部が始まった。まずはみんなで音楽に合わせて同じ動きをした。とってもキレイに揃っていたよ。練習ではで何度も音楽を止めてやり直した。その時は「何でいちいち止めるんだろ?自由に踊ればいいのに」と、思っていたけど今思うと、何度も練習してよかったんだと思った。やるじゃん、ヒラヤマ先生!
「サクラちゃんは手足が大きく伸びていた、キレイだった!」まるおはサクラちゃんばかりを見ていたようだ。
「背の低いサクラちゃんは先生に『もっと動きを大きく』ってずっと言われていたんだ。で、今日は誰よりも大きく見えた。すごく練習したんだ!練習は大事なんだ!」いつになくまるおが食べ物以外のことでよくしゃべった。人間の世界では、これを『恋』というらしい。絶対に、絶対に叶うことのないアリと人間の恋…(笑ってはいけない…)。そして5年生が一番盛り上がるリレーが始まった。ひとりで丸く引かれた線の半分ずつを走る。練習を見ている感じでは、最後の子どもは肩から紐をかけて1周走る。チームは4つ。頭に赤・青・黄・緑の布を巻いている。2組は青だ。スタートしたばかりの頃、青の2組は順調だった。練習では3番目くらいを走って、最後にダイキくんが追い抜いていたのにきょうは違った。15人くらい走ったところで青の2組がトップだ!そして男の子からサクラちゃんに棒が渡される!
「がんばれー!」まるおは叫んだ!(もちろん聞こえない)その時、青い棒は地面に落ちた。それをサクラちゃんが蹴ってしまった。棒はオレたちが見えないところまで転がっていったようだ。必死に取りに行くサクラちゃん。赤と黄色と緑が追い抜いてどんどん先に言ってしまった。サクラちゃんが棒を拾い、走って次の男の子に渡した時、他のチームは半周くらい先。レースは進み最後の子どもの番になった。さすがのダイキくんでも追いつくことは出来なかった。赤と黄色と緑がゴールしてもまだダイキくんは走っていた。もう絶対に勝てないのに猛スピードで走っていた。子どもたちと親、先生もみんなが拍手した。ダイキくんがゴールした時、サクラちゃんは泣いていた。息を切らしながら、ダイキくんはサクラちゃんのところに行った。何を話したのかは聞こえなかったけど、サクラちゃんは少し笑顔になった。オレたちの隣にいたシュニンはその姿をじっと見ていた。ヒラヤマ先生も泣いていた。一番泣いていたのはまるおだった。絶対無理でもやらなきゃいけないことがあるって人間は教えてくれた。オレは仲間が全滅した日のことを思い出した。
運動会が終わり、誰もいないグラウンドはオレンジになった。まるおはまだ、泣いていた。