追悼・大山のぶ代さん・2 24.10.19

僕ら世代(アラフィフ)の方はよくご存じだと思うが、当時「小学●年生」という雑誌があって、小学校1年から6年生まで、当然のように自分の学年と同じ雑誌を購入していた。

で、その「小学●年生」の編集部に、「大山のぶ代さんか、藤子不二雄(当時)先生に会いたい」と手紙を送り付けたのだ。おそらくそういう企画(『有名人に会いたい人募集』のような?)があったのかもしれない。
けれども、東京に行ったことのない田舎の子どもゆえ、現実的な希望だったわけでもなく、いわば短冊に書く願い事気分で出したのだろう。

ところが、数週間後――。

なんと、編集部の方から返信があった。
内容については覚えていないが、「あなたに決定しました」的なものではなかったと思う。
読者(僕)を子ども扱いしたりせず、真摯に意向を訊いてきた文面だった気がする。
「有名人」(編集者)から返信があるなど想定もしていなかったので、さぁ、田舎の少年、ビビったビビった。
親にも誰にも相談していない。一人で東京に行けるはずもない。
もし、「ぜひ会いたいです」と返信したら、それを叶えてくれるかもしれない。
けれども、その様子が、全国発売の雑誌に掲載される。まさしく大ごとだ。

当時からビビリだった僕は、手紙を「見なかったこと」にして、結局、そのままにしてしまった。今であれば、行かないにせよ、きちんとお返事するべきだとわかっているのだが……。

その後も、テレビで大山さんのお顔を拝見するたび、よくこの一件を思い出した。
もし、あの時「YES」とお返事していたらどうなっていたのだろう――と。

それから40年以上経って、推しの漫画家さんのサイン会に瞬息で申し込み、無事当選して「おときゅうパス」でホクホクと上京したのは、また別の話。

(つづく?)



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飛田流@小説書く人
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