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12年目と13年目の話。

あの日から12年。

震災当日のことは、もう何度も書いているし今さら……とも思わぬでもなかったが、とりあえず書く。一年に一回だし。



その直前まで僕は、自宅でテレビを点けながら夕食の準備をしていた。すると、突然家全体が大きく揺れ始め、冷蔵庫やテレビが倒れそうになる。一瞬支えようかとも思ったが、やはり離れて揺れが収まるのを待つ。

テレビの中でも大騒ぎで、フジテレビ付近で火災が発生した、と伝えた瞬間、停電発生。翌日の昼まで続く。


食料を確保しようにも、近くのスーパーは営業打ち切り、コンビニには長蛇の列。

諦めて、自宅に残っていたもので夕食を済ませる。

当時、ADSLしか契約していなかったので、ネットからの情報が得られず、ラジオが頼り――にもならなかった。ただ音楽を繰り返すばかり。

当時はまだ雪も残っていて寒く、石油ストーブで暖を取る(兼簡易調理器具)。


明かりは仏壇用の太ローソク。(本当は危険らしいが……)


時期的にまだ寒かったので、冷蔵庫の中の物もそれほど痛むことなく、昼食ぐらいまでは持った。

しかし、この先いつまでもとなると、さすがに困る。

知り合いに連絡して、ガスで炊いたご飯を分けてもらおうか、と相談していたところへやっと通電。

テレビで放映されていたような被害には遭わなかった。


このころBLゲームのシナリオも書いていたのだが、東北在住ということはブログでも書いていたので、ユーザーの方に心配? していただく。



今思い返すと、自分が大変な思いをしたというより、馴染みのある風景(それも数か月前、仙台に旅行していた)が、あのようなことになってしまったのがとても悲しかった。


そう、「悲しい」としか感想がない。

誰に怒るわけにもいかないので。


ただ、当時からツイッターでこうして悲しみの感情を共有できたので、その点ではやや救われた印象はある。

まぁ、ツイッター開設から13年目を、まさか「こういう形」で迎えるとは思わなかったが――。



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飛田流@小説書く人
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