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Modal Interchange概念をちゃんと活用できる形に補足する?話

 今回は、例えるなら、いわば “薬効成分” としてしか紹介されていなかったモノを使って、誰にでも使い易い “薬剤” を精製しました、みたいな話です。

 Modal Interchange は、コトバの響きだけで独り歩きしている側面が多大にある概念です。現状として。
「だから何(なに)なの?」「で、どうやって使えるの?」みたいに思われた経験がおありだと思います。

2つとも、この動画のコメントより。あざっす。

 その辺へのフォローの意味も込めて、純・教養的な話を先に行いますが、全て飛ばしても全く問題ありません。

 本編の章だけ読んで「なんでそんな話になったの?」と疑問が湧いたら、戻って読んだら良いかと思います。あるいは気にしない方が幸せです。



“現代 modal interchange” 概念※。
「コード群」の形で想起される。
(説明をつけるならば「M.I.由来のコード(群)」として呼ぶ。)

※一般的に、そもそも「元々のM.I.とだいぶ違った在り方になっている」ということが
認知されていないため、こんな呼び方されている所を見たことは無い。

🔸

 Modal jazz の文脈で語られる、“原義的 modal interchange” 概念。
3小節目の頭で、音組織が C Dorian から C Phrygian に「切り替わって」いる。

譜例作成に当たっての参考:北條直彦(2008).『新主流派以降の現代ジャズ技法1』中央アート出版


歴史的経緯

※注意
 以下には「未確認の私一人の仮説」も含まれているのですが、筋が通っているので許容して下さい。あるいは覚悟の上で、批判的にご覧下さい。

未確認というか「生まれる前の話なんて何を信じたら良いの」という話です。

 まず、この “modal interchange” という概念の発祥は、明らかにジャズの文脈からです。

 今日むしろ「(ジャズの気配が除かれたものとしての)ポピュラー音楽」や、ロックの文脈で口走られる、にも関わらずです。

出典:北條直彦(2008).『新主流派以降の現代ジャズ技法1』中央アート出版, 58p

映していないが「Modal Change」の下位概念(一種)、として紹介されている。

 さらにその「発想の源泉」は、――具体的な追求は学者に任せますが――インド古典音楽か、いわゆる「民族音楽」と呼ばれる類の音楽文化で間違いないでしょう。

 これは、少なくとも「西欧芸術音楽(いわゆるクラシック)」の系譜・そのメインストリーム からではない ということを言っています。

そしてここでは「ジャズ国はクラシック国の末裔(現政権)」として扱います。



哲学レベルがn段階の「旋法」の語

 「旋法・mode」あるいは形容詞化した「modal」という言葉の指す所は、とかくジャズが関わってしまうと、妙な意味合いが追加されます。
 これは勿論、効率的な説明のための方便でもありますが、ただの事実でもあります。

🔹

 一度、(ジャズ・フリーな)一般的・的な説明をします。

「陰旋法」だか「都節」だか呼ばれてるモノ。
E音を開始音とすることで、五線紙上で♯や♭を使わずに表現できるので、そうしたもの。)

特徴(旋律上のルール)として、(下から)5番目の音のピッチが、上行時と下行時で変化する。

【1】「~旋法」等と呼ばれている、具体的な全て。
 典型的には音階の形で表示され、かつ “中心音” が示されたもの※。
【1-】色々ある【1】の内から、具体的に「教会旋法」のみを指す。
【2】最も一般化した概念として、「旋律の作法(さくほう / さほう)」。

※普通、音階の開始音が、暗に “中心音” の役割を持つ音である。
なぜなら中心音以外から書き始める理由は今日は無いからである。

 しかし “元々の” M.I. の modal は、【1-】から【2】への過渡期のような感じであると表現せざるを得ません。「ジャズ特有の【3】」として別立てしても良いのですが、本記事では以降【1-+】と表現します。
 これは前記事でも過去記事でも(意識的には)触れていない内容です

多義化が多義化を呼ぶ。ポピュラー音楽流行語大賞。
英語圏の「mode」・カタカナ語の「モード」に関しては、上記以外の意味もまだある

↓ 実際に使わないで執筆する。

🔹

【1-】は、過去記事・動画か、次の図で理解して下さい。
(細かくはこれは “modern church mode” 概念であり、その辺のゴタゴタは過去記事に委ねる。)

「これ以上でも以下でもない存在・概念」を指す言葉として、「旋法・mode」。【1-】。
「長音階の全全半全全全半とは、半音の挟まる位置が異なる、具体的な6つの音組織(+長音階)」。

🔹

 そしてジャズ史における modal jazz の時代、この「教会旋法」コンセプトを契機に、これまでの長調・短調の音楽とは一味違う音楽を模索しよう」ムーブメントがありました。

 そこで新たに試みられた・あるいは “再発見” された手法・サウンド、それらに関連して使われる(曖昧)言葉として、「mode」や「modal」。
このジャズ特有のアレが、その【1-+】です。

 前述「“元々の” M.I.」と呼んだコンセプトは、実質実際的に、少なくとも思想・哲学的に、ここに属するものであると考えるのが無難かと思います。
(私は過去記事で異なる解釈を与えてしまったが良かれと思って。)

🔹

 そしてさらに水平思考を推し進め、根幹的なコンセプトを掬い上げようと試みた、最も普遍度が高まったであろう意味での「旋律の作法(さくほう / さほう)」として、
しかしながら「それまでの調性音楽的方法論と、恣意的に対置させた」嫌いのある方法論として、「旋法・mode」。これが【2】です。

 総括すると、

 「旋法・mode」という言葉は、具体的な【1-】という存在に依拠・依存した概念であった所から、考察が進むにつれ、巣立って「【1-】に関連している必要は無いコンセプト」(=【2】)にまで発展した。

そしてその過渡期に当たる用法(=【1-+】)も、当然 存在する、ということです。

 なお、この変遷プロセスは西欧音楽世界での出来事であり、【1】というのは主に「異国のもの(よく知らね or センスダッサ)」や「過去のもの」という扱いだったかと想像します。次項へ。

※(哲学が【2】に至ると、理解の上で【1】は【2】へ統合される。)



西欧芸術音楽の「旋法」敬遠の歴史

Dorian の趣のあるメロディを使い、私が「Pseudo-Medieval(疑似中世的な)」と名付けた曲。
7つの前奏曲』より。▶試聴

※「疑似」とある通り、この曲には「時代錯誤な要素」もガッツリあるので注意。
5小節目の右手とか。

 【1】ひいては【2】の「旋法」コンセプトは、あえて言うなれば「唯一、クラシックの系譜だけが(一度)失った・敬遠したコンセプト」であるとも表現し得るでしょう。
 ややこしいのですが、これは時系列的には、バロック以降に於ける【1-】の敬遠に始まった現象と考えて差し支えないかと思います。
(長調・短調の成立初期の当時、【1-】は「前時代的」と受け取られた。)
ガチクラシックに「中世ファンタジーRPGっぽい曲」が全然ないことが証左

 クラシックには「旋法」の代わりに、「調性」「機能和声」に向き合ったテクニック体系があります。それらが発達して、音楽の多様性・面白みを担保したと言えます。

この「調性」のシステムも、「一種の【2】旋法である」と考えることはできます

 「(クラシック圏では【1-】で代表されて捉えられていた所の)旋法」という音楽作りの1アイデアを、「(“” なのだが)発見」という扱いにするのは、まさにクラシックの系譜でのみ(フランス近現代など)――あるいはその流れを汲むジャズの系譜でのみ(modal jazz)――なのです。
 その他の音楽文化圏では【1】または【2】は、箸くらいに常用するツールなので。むしろ「酸素」かもしれない。

 ただしここ(=ここでしたこの説明)には、「西欧芸術音楽中心主義」が横たわっていることに、留意して下さい。
 「旋法」を分節化し・概念としてパッケージ化することは、西欧芸術音楽だけが(その経緯を以て)余儀なくされたプロセスでしかなく、文化を平等に相対化する立場ならば、この分節化はただの趣味です。

「趣味に優劣がある」と考えることはそれ自体が趣味であり、
趣味に優劣はありません。



モードのインターチェンジから「コードのための M.I.」の時代へ

 あらゆる説明を端折って言いますが、
クラシック影響下の音楽(ポピュラー音楽やロックを含み得るものとする)には、「【2】旋法」の代わりに「コードチェンジ」があると言えます。
(コードシンボル嫌いの方は「和声の変化」と言い換えれば良い。)

 ジャズの歴史におけるモードの時代には、そのような「コード vs モード」という価値観念が支配的だったため、「モードの実践」と称して「極力、コード進行が影の薄い存在になるように扱う」という傾向・趣味がありました。
コード進行から、積極性と自己主張が除かれました(当社比)。

「教会旋法」コンセプトを契機に、これまでの長調・短調の音楽とは一味違う音楽を模索しよう」ムーブメント

要するに「旋法 = コード(進行)的でないこと」という恣意的な意味合いが、ジャズでは加わる。

🔸

 このような構図で「コード進行」と「旋法(漠然)」という2哲学を、意識的に対置するような文脈もかつてはありましたが、

 今日の M.I. というコトバが、色々あってポップスやロックで聞かれるように、今日の「旋法」概念は「コード進行による調性音楽を味変するアイデアとして用いる」というのが、ごく当たり前の発想です。

(要するに【1-+】〜【2】の意味合いは、特別には意識されなくなっている。)

 (その具体的「旋法」として【1】のどれを採用したって良いのに、ほぼ【1-】、さらに専らその中の Aeolian しか想像・活用されない現状については、また別の話。)

 ここに辿り着くまでの長い経緯はさておき、この事実だけはよく分かっておいた方が、各所で混乱せずに済みます。

 まとめると、

 今日「コード群」の形でイメージされている「現代 M.I.」概念は、
【1-】(良くて【1】 )をヒントとしたアイデアではあるが、
【1-+】の気はすっかり抜け落ち、【2】は表面的には無関係

ということです。
なぜなら思いっきりコード進行を使う話だから。

 これが現在、良くて

M.I. は、
mode をヒントとしたアイデアではあるが、今日
mode の気はすっかり抜け落ち、mode は表面的には無関係

みたいに述べられます。

しかも本記事は「音組織の “転回” 物」の意味の mode も、
話をクソややこしくするだけして去っていく「CS理論」の話も、完全に除外しています。

 悪いと

M.I. は、mode をヒントとしたアイデアである。

で終わりです。ほとんどのYouTube動画のことです。




本編

 以上の話は全て忘れて結構です。
何なら「全部 別世界の話だ」と考えた方が、スッと入ります。
(歴史的に)全部 正しいのかどうか分かんないしね

🔹

進行感」※私の造語
:2つのコードを続けて演奏した時に、その2コードの取り合わせによって、その「強い/弱い」が生じる、「起承転結が進行したな」という感覚。

用例(この概念の出番)

in C:CFC| ←2小節目の後ろにもう1小節追加したい。
新しい3小節目となる小節のコードは、「F というコードから続く時に、充分な “進行感” が生まれるコード」を選ばないと、やや不自然になる※。

※和声法の用語を使うと、これは「和声リズムが不自然になる」と表現可能

 例えば、全く同じ F コードで延長すると(あり得ないパターンということはないものの)、これは「意外な和声リズム」とは評せる進行になる。

 当然 F から F への進行感は、評価するならゼロ(皆無)である。
(平たく言えば「進行していない」。)

🔹

 しかしこの後続のコードを Fm に変えてやると、途端に活用例の多い進行となる。「和声リズムが “整う”」とも言えるだろう。

 FFm の間には、3rd音 の半音違いしか無いわけだが、
F からの ”進行感”」に関しては、全く雲泥の評価が為されなければならない。

🔹

さっきのを聴いた直後に、和音間の共通音をタイで結んでやると、
この差(問題)はより顕著に感じられ易いと思われる。



暗化(Modal Darkening)」※私の造語

 次の表にて、「同タテ列上でマス目を下る」ように選んだコード進行は、充分な文脈感(=滑らかな接続感)と、充分な進行感を併せ持つ。

ただし、G△7G♭△7 だけは、顕著に用例も少なく、扱いが難儀。

 🍎m7 → 🍎7 への逆行に関してのみ、非常によくあるので覚えとくと吉。
逆行する場合「明化(Modal Lightening)」と呼ぶことにする。

🔹

 だから modal interchange だか何だか言ってっけど、結果論、その活用のためには教会旋法なんて覚えなくて良くて

この部分だけ覚えてれば良いでしょ
という提案の記事でした。



活用編・補足の章

他の(ノン ダイアトニック コード活用の)理論・概念との競合問題

 本項は「捉え方を改めて、整理してみよう」というだけの項目であって、大した内容ではありません。
 疑問にも思ったことの無い方にとっては、完全に無価値の項目です。

🔸

【い】サブドミナント・マイナー概念

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