Modal Interchange概念をちゃんと活用できる形に補足する?話
今回は、例えるなら、いわば “薬効成分” としてしか紹介されていなかったモノを使って、誰にでも使い易い “薬剤” を精製しました、みたいな話です。
Modal Interchange は、コトバの響きだけで独り歩きしている側面が多大にある概念です。現状として。
「だから何(なに)なの?」「で、どうやって使えるの?」みたいに思われた経験がおありだと思います。
その辺へのフォローの意味も込めて、純・教養的な話を先に行いますが、全て飛ばしても全く問題ありません。
本編の章だけ読んで「なんでそんな話になったの?」と疑問が湧いたら、戻って読んだら良いかと思います。あるいは気にしない方が幸せです。
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歴史的経緯
まず、この “modal interchange” という概念の発祥は、明らかにジャズの文脈からです。
今日むしろ「(ジャズの気配が除かれたものとしての)ポピュラー音楽」や、ロックの文脈で口走られる、にも関わらずです。
さらにその「発想の源泉」は、――具体的な追求は学者に任せますが――インド古典音楽か、いわゆる「民族音楽」と呼ばれる類の音楽文化で間違いないでしょう。
これは、少なくとも「西欧芸術音楽(いわゆるクラシック)」の系譜・そのメインストリーム からではない ということを言っています。
哲学レベルがn段階の「旋法」の語
「旋法・mode」あるいは形容詞化した「modal」という言葉の指す所は、とかくジャズが関わってしまうと、妙な意味合いが追加されます。
これは勿論、効率的な説明のための方便でもありますが、ただの事実でもあります。
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一度、(ジャズ・フリーな)一般的・的な説明をします。
しかし “元々の” M.I. の modal は、【1-】から【2】への過渡期のような感じであると表現せざるを得ません。「ジャズ特有の【3】」として別立てしても良いのですが、本記事では以降【1-+】と表現します。
これは前記事でも過去記事でも(意識的には)触れていない内容です。
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【1-】は、過去記事・動画か、次の図で理解して下さい。
(細かくはこれは “modern church mode” 概念であり、その辺のゴタゴタは過去記事に委ねる。)
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そしてジャズ史における modal jazz の時代、この「教会旋法」コンセプトを契機に、「これまでの長調・短調の音楽とは一味違う音楽を模索しよう」ムーブメントがありました。
そこで新たに試みられた・あるいは “再発見” された手法・サウンド、それらに関連して使われる(曖昧)言葉として、「mode」や「modal」。
このジャズ特有のアレが、その【1-+】です。
前述「“元々の” M.I.」と呼んだコンセプトは、実質実際的に、少なくとも思想・哲学的に、ここに属するものであると考えるのが無難かと思います。
(私は過去記事で異なる解釈を与えてしまったが。良かれと思って。)
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そしてさらに水平思考を推し進め、根幹的なコンセプトを掬い上げようと試みた、最も普遍度が高まったであろう意味での「旋律の作法(さくほう / さほう)」として、しかしながら「それまでの調性音楽的方法論と、恣意的に対置させた」嫌いのある方法論として、「旋法・mode」。これが【2】です。
総括すると、
なお、この変遷プロセスは西欧音楽世界での出来事であり、【1】というのは主に「異国のもの(よく知らね or センスダッサ)」や「過去のもの」という扱いだったかと想像します。次項へ。
※(哲学が【2】に至ると、理解の上で【1】は【2】へ統合される。)
西欧芸術音楽の「旋法」敬遠の歴史
「(クラシック圏では【1-】で代表されて捉えられていた所の)旋法」という音楽作りの1アイデアを、「(“再” なのだが)発見」という扱いにするのは、まさにクラシックの系譜でのみ(フランス近現代など)――あるいはその流れを汲むジャズの系譜でのみ(modal jazz)――なのです。
その他の音楽文化圏では【1】または【2】は、箸くらいに常用するツールなので。むしろ「酸素」かもしれない。
モードのインターチェンジから「コードのための M.I.」の時代へ
あらゆる説明を端折って言いますが、
クラシック影響下の音楽(ポピュラー音楽やロックを含み得るものとする)には、「【2】旋法」の代わりに「コードチェンジ」があると言えます。
(コードシンボル嫌いの方は「和声の変化」と言い換えれば良い。)
ジャズの歴史におけるモードの時代には、そのような「コード vs モード」という価値観念が支配的だったため、「モードの実践」と称して「極力、コード進行が影の薄い存在になるように扱う」という傾向・趣味がありました。
コード進行から、積極性と自己主張が除かれました(当社比)。
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このような構図で「コード進行」と「旋法(漠然)」という2哲学を、意識的に対置するような文脈もかつてはありましたが、
今日の M.I. というコトバが、色々あってポップスやロックで聞かれるように、今日の「旋法」概念は「コード進行による調性音楽を味変するアイデアとして用いる」というのが、ごく当たり前の発想です。
(要するに【1-+】〜【2】の意味合いは、特別には意識されなくなっている。)
ここに辿り着くまでの長い経緯はさておき、この事実だけはよく分かっておいた方が、各所で混乱せずに済みます。
まとめると、
これが現在、良くて
悪いと
本編
以上の話は全て忘れて結構です。
何なら「全部 別世界の話だ」と考えた方が、スッと入ります。(歴史的に)全部 正しいのかどうか分かんないしね。
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●用例(この概念の出番)
in C: |C|F|C| ←2小節目の後ろにもう1小節追加したい。
新しい3小節目となる小節のコードは、「F というコードから続く時に、充分な “進行感” が生まれるコード」を選ばないと、やや不自然になる※。
例えば、全く同じ F コードで延長すると(あり得ないパターンということはないものの)、これは「意外な和声リズム」とは評せる進行になる。
当然 F から F への進行感は、評価するならゼロ(皆無)である。
(平たく言えば「進行していない」。)
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しかしこの後続のコードを Fm に変えてやると、途端に活用例の多い進行となる。「和声リズムが “整う”」とも言えるだろう。
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「暗化(Modal Darkening)」※私の造語
次の表にて、「同タテ列上でマス目を下る」ように選んだコード進行は、充分な文脈感(=滑らかな接続感)と、充分な進行感を併せ持つ。
🍎m7 → 🍎7 への逆行に関してのみ、非常によくあるので覚えとくと吉。
逆行する場合「明化(Modal Lightening)」と呼ぶことにする。
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だから modal interchange だか何だか言ってっけど、結果論、その活用のためには教会旋法なんて覚えなくて良くて、
活用編・補足の章
他の(ノン ダイアトニック コード活用の)理論・概念との競合問題
本項は「捉え方を改めて、整理してみよう」というだけの項目であって、大した内容ではありません。
疑問にも思ったことの無い方にとっては、完全に無価値の項目です。
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【い】サブドミナント・マイナー概念
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