【いまさらレビュー】映画:MEN 同じ顔の男たち(イギリス、2022年)
今回は賛否両論、新手のホラーとも言えなくもないとても変わった映画『MEN 同じ顔の男たち』に興味があったのでチェックしてみました。独自考察を含めて記録していきます。
監督・脚本は『シビル・ウォー アメリカ最後の日』が話題のアレックス・ガーランド。歌える女優ジェシー・バックリーが“同じ顔”に追い詰められる主人公を好演。ロリー・キニアが見事に“同じ顔”を演じ分けています。
おはなし
舞台はイギリスの農村地帯にあるカントリーハウス。古くから続く荘園という美しい風景の中、男性が次々と放つ女性への嫌がらせがストーリーの中心となる。男性側にハラスメント意識ゼロだけどね…というのがポイントだろうか。
カントリーハウスを短期で借り受けた訳アリの女性ハーパーが、目的地にやってくることでストーリーがスタート。明るく饒舌な主人ジェフリーが出迎える。序盤はとても美しい農村風景、と同時にハーパーの複雑な過去の事情が少しずつ明かされる。
ハーパーは既婚者。だが、夫ジェームズに離婚を告げた際に激しい口論となり、ジェームズは投身自殺。金属の柵に突き刺さった死体を目の当たりにした経験があり、その光景が目に焼き付いている。自身の罪の意識に苛まれており、心の傷を癒やすためのカントリーハウス行きだった。
しかし、待っていたのはトラウマをチクチクと蒸し返す、全方向からの度重なる嫌がらせだった。しかも放つ相手はすべて同じ顔…ジェフリーだけでなく不審者(グリーンマン)、教会の牧師、バーのマスター、警官とみんなが同じ顔である。そしてじわじわとハーパーを責め立てる。恐怖を感じるとともに苛立つハーパー。
ある夜、“同じ顔”たちの襲撃を受け追い詰められるハーパー。同じ顔どもが孕んでは生むという異様な光景が繰り返され、恐怖から次第にぶちギレ気味に。最後に生まれたのはなんとジェームズ。何故かソファーで会話する2人だが、決定的な溝が明らかになる。本能的にムリなものはムリなのだ。
翌朝、親友のライリーがハーパーを救いに訪れるが、そのお腹がこころなしかふっくら?
全編、怖がらせたいのかどうかよくわからない描写が続く。デビッド・クローネンバーグ監督の映画や『ツインピークス』のフェティッシュぶりを想起させなくもない。ただ、アイテムすべてが何やら訳アリの伏線のように感じさせるテクニックには感心する。このあたりは、監督自身、ゲームのシナリオ(「デビルメイクライ」)を手掛けた経験からつながっているのかもしれない。
公式サイトの監督インタビューによると、シーラ・ナ・ギグとグリーンマンの伝承・原始信仰的なイメージから発想を得たそうだ。と考えると、諸星大二郎作品(「妖怪ハンター」シリーズなど)にもつながる気がする。不気味さ・怖さのテイストは、けっこう近いと感じた。
ちなみに、シーラ・ナ・ギグは女性器を強調した魔除けのようなもの、グリーンマンは植物の葉に覆われた姿をした精霊でアニミズムの象徴。劇中にも登場するが、どちらもイギリスの古い教会などにある。起源は諸説あるとのことだ。
同じ顔に見える現象
若いコがみんな同じ顔に見えるとか、逆にジイサンバアサンがみんな似て見えるなんてことがよく言われる。どちらも老化が深く関係しているのだそうだ。また、普段接触が少ない外国人の顔の見分けがつかないというケースもあり、こちらは「他人種効果」と名前がついている。
『MEN』ではカントリーハウス周辺の男はみんな、同じ種(タネ)から生まれたように描かれていた。だから同じ顔なんだよ(つまりおそ松くん?)との意味付けだろうか。だが、そこをあえて忘れて「他人種効果」を念頭に置くとすれば、都会人から見れば田舎の人はみんな同じ顔に見えるんじゃない?てな感じになる。
あれ?同じ人に2回あいさつしちゃった?みたいな笑 差別的と受け止められるとちょっと困るんだが。仕方ないのよ、脳の仕組みだから。
都会が染み付いたハーパーが突然田舎にやってくると、みんな同じ顔に見えちゃうし、教会には怖いオブジェもあるし、夫の死に様が頭を離れないしで、得体の知れない妄想が生まれ暴走してしまう。もはや癒やしどころではないが、実はすべてハーパーの脳内の出来事だ…と独自解釈を加えておく。
そもそもなんでハーパーはジェームズと結婚したのかという疑問もあるが、そこはある種の蛙化現象と考えよう。
独特の気持ち悪さや理解が難しい映像表現に満ちている作品である。生理的に受け付けないという意見も理解できる。とはいえ、作り込みというか暴走甚だしいこだわりっぷりは評価してもいいだろうと思う。駄作かと訊かれると正直、なんとも言いようがない。ある意味カルト。
ストーリーの先読みが好きな方や、わかりやすい結末がお望みの方にはおすすめしない。逆にファンタジックな発想・飛躍が得意な方にはチャレンジして欲しい。