![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159183853/rectangle_large_type_2_eaf8a1d60921ec0c6eff0625e66e5c02.jpeg?width=1200)
【いまさらレビュー】映画:イカルイト(カナダ、2016年)
今回は、カナダ北部の極寒の地で繰り広げられる人間ドラマを描いた映画『イカルイト』を観ることができたので、記録に残しておこうと思います。
監督・脚本はフランス系カナダ人のブノア・ピロン。夫を亡くした妻役をカンヌ女優のマリ=ジョゼ・クローズが印象的に演じています。また、イヌイットの俳優ナター・アンガラアクが静かな存在感で空気感の創出に一役買っています。
おはなし
![](https://assets.st-note.com/img/1729768109-bm72yDtqUaAOSdifXGVg8o6R.jpg?width=1200)
舞台はカナダ北部、およそ6割をイヌイットが占めるというバフィン島・イカルイト。単身赴任中の夫が事故で命を落とし、その真相を妻が追うという展開だが、サスペンスフルな要素はほとんどない。むしろ、異文化間のボタンのかけ違いがテーマだ。最果ての地の大自然と絶賛開発中の建設現場との対比が、象徴的でもあり複雑な哀情を演出する。
イカルイトは開発の最前線。建設に関わるジルはカナダ都市部から単身赴任でやってきた。部下のノアはイヌイット。ジルとは親しい間柄で、その家族とも微妙な距離感がありつつ顔見知りである。だがある日、ジルはバーで飲んだ後、瀕死の重傷を負い病院に運ばれる。
モントリオールから妻のカルメンが駆けつけるが、翌日ジルは絶命。ショックを受けるとともに、夫が死んだ経緯を知りたい気持ちが芽生え、イカルイトにとどまる。周辺の人物と話すにつれ、ひとつひとつ謎が明らかになっていく。
実はジルは過去、ノアの姪アニと不倫関係にありアニは出産。出産後に別れてはいるが、金銭的な支援は続けていたという。夫の裏の面を知りやりきれない思いのカルメンはバーで酔いつぶれ、ノアが海岸近くのキャンプで介抱。カルメンはバフィン島の大自然とそこに根付いて暮らすイヌイットの生き方に触れ、心が揺れ動く。
そんな中、アニとノアの息子デナーリスが逃亡したとの知らせが入り、ノアとカルメンが追う。逃亡先で対決する一同。アニの告白により、ジルの死は酒に酔ったデナーリスが起こした事故だったことが明らかに。翌日、デナーリスは逃走をあきらめ本土に戻ることを選択する。
アニは子供にジルのことを隠し立てしないと言う。カルメンとアニとの間のわだかまりも解け、共存の未来を予感させつつ映画は終わる。
イカルイトは緯度63.7度あたりに位置するため、夏場の日長は20時間を超える。日本人の感覚からいうと、いつ寝たらいいのかわからない。そんなところからも地球のダイナミズムの一端が感じられる。人間がどこを向いて生きればいいのか、常識だと思ってきた倫理観にどれだけの意味があるのか…都会で暮らすカルメンでなくともいろいろと考えてしまう。
一方、月平均の最低気温は年々上昇しているようだ。温暖化の波は確実に影響力を増している。大自然と生きるイヌイットの伝統は次第にテリトリーを失い、資本主義経済の一部へと吸収されてしまうのだろうか。(※気象庁:地点別データ・グラフ)
ジルとアニとの間に生まれた子は、まさに文化的な架け橋でありハイブリッドな存在ともいえる。
イヌイットと彫刻
![](https://assets.st-note.com/img/1729768357-8z4Qk6o7r3jseKnq5FbLdwpY.jpg?width=1200)
『イカルイト』では、彫刻を売りに来るおじさんが数回登場する。決してアヤシイ押し売りではない。ノアを演じるナター・アンガラアク自身も、実は俳優だけでなく彫刻家という一面も持っているそうだ。自作の彫刻を販売し、会社設立の資金にしたとのエピソードがある。ネットでは実際の作品もいくつか拝見することができる。(※Inuit Art Foundation:Natar Ungalaaq)
つまり、彫刻売りのおじさんは、アンガラアク自身の姿でもあったわけだ。
ここで、文化人類学の研究者でイヌイットに詳しい大村敬一氏の論考(「「伝統」と「近代」のブリコラージュとしての彫刻」)を参考にしよう。
イヌイットの芸術は、おじさんが演じたとおり、経済的な生活の糧であるとともに、資本としての役割も担ってきた。特に1950年代以降、イヌイット芸術はカナダ南部で一定の市場を獲得していったという。経済的な意味での都市部への依存度が、だんだん高まってきていた。
同時にイヌイット芸術は民族としてのアイデンティティーの具象化でもあったのだそうだが、テーマにおいてはやはり、伝統的なものから多様化しステレオタイプ化、地域化していったのだそうだ。よりイヌイットらしいと感じられるイメージを逆輸入した形である。マーケットを意識すると、自然とこうなる。
もちろん、伝統を守ることは近代化の拒否ではないし、近代化を受け入れることは必ずしも迎合とはいえない。ただ、近代文化に埋もれてしまう危険は内包している。そんなどっちつかずのもやもやが、映画『イカルイト』のテーマのひとつであろう。
アンガラアクの存在が、もともとドキュメンタリー監督だったピロン監督の発想に影響を与えたと考えるのは、飛躍しすぎだろうか。ピロン監督とは『The Necessities of Life』(2008年)からの縁でもある。
![](https://assets.st-note.com/img/1729768560-05jEbyAK4DvwBkV3p7ZJMLdO.jpg?width=1200)
一見、サスペンス劇場的な盛り上げ方をイメージしてしまいそうだが、そうはならないところが同作品の最大の特徴であり魅力である。犯人探しのハラハラドキドキを期待すると大きく裏切られることになる。
あくまでヒューマンドラマなので、過度な思い込みはなくして観ていただきたい作品だ。