【いまさらレビュー】映画:とおいらいめい(日本、2022年)
今回は、非常に映画らしい映画を観たなと強く印象に残った日本映画『とおいらいめい』について、書き残しておきたいと思います。
監督・脚本はひらがなタイトルの映画が多い?大橋隆行。主人公の三姉妹を吹越ともみ、田中美晴、高石あかりが瑞々しく演じています。自主映画制作ユニット・ルネシネマの企画によるもので、同ユニットの長谷川朋史は撮影監督、藤田健彦は制作として、しゅはまはるみはちょい役で参加しています。
おはなし
舞台は瀬戸内海に面するちょっぴりひなびた港町。世界の終わりを目の前に、三姉妹おのおのの葛藤や苦悩、時にはぶつかり合いつつお互いを理解していく過程が、ゆったりした美しい風景とともに描かれる。ちなみにカタストロフや大パニック要素はゼロだ。
巨大彗星が地球に迫りデッドエンドは避けようがない。人々の間にはあきらめ感が漂う。三女が暮らす実家に、父の死をきっかけに姉2人が戻ってくるところからストーリーが始まる。姉2人の小学生時代の思い出エピソードを散りばめつつ、話が進められる。
【長女絢音(あやね)】秘密裏にシェルターの建設・販売の仕事に関わる。実際に役立つかどうか怪しいシェルターを巡って、繰り返される刃傷沙汰。内心穏やかではないが、姉としてのリーダーシップとの間で揺れ動く。
【次女花音(かのん)】小学生時代の同級生良平と再会。良平の子は5歳。デッドエンド判明後に生まれた。良平の思いを理解し親しくする花音。シェルターの資料をこっそり渡すが、次の日に良平は自ら命を断つ。
【三女音(おと)】姉2人とは腹違いの子。そのため、突然一緒に暮らし始めた姉2人には遠慮がある。そんな中、偶然出会った酒飲みサークルの面々と楽しく過ごすが、ある日メンバーは集団自決を敢行。大きなショックを受ける。
熱病で倒れた音の夢と小学生時代の姉2人のイメージが交錯する。姉2人はノストラダムスの予言を信じ方舟を探す旅(家出)に出ている最中だ。手をつないだり、喧嘩をしたり、抱き合って泣いたり…2人の関係性を本当の意味で理解する音。姉2人もそんな妹を本当の姉妹として受け入れる。
ラストカットは沈む夕日をバックに、3人のシルエットのみが浮かぶという絶品の長回し(劇中の会話はアドリブ!)。来たるべき終末はひたすら穏やかだったとの余韻を残し物語を締めくくる。
超絶美しいラストカットだけでなく全編を通して感じられるのは、画面をいっぱいに使った表現の美しさ。テレビドラマ的なカット割り、画面構成、リズム感をそのまま映画に持ち込む作品は多いが、同作は違う。“映画ってのはこれだよ”と教えてくれる気がする。
大橋隆行監督は実は10年ほど、ウェディング映像の仕事経験(メイキングディレクター)があるのだとか。なるほど納得。(※SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022:インタビュー)
ぶっちゃけSF?
ぶっちゃけ、彗星が激突しても何も終わらない。人の世はデッドエンドかもしれないが、巨大隕石が原因とされる恐竜の絶滅を例にとるならば、生命の歴史すら終わらない。さらに、宇宙レベルの歴史を考慮しても、惑星と小惑星の衝突などほんの些細な日常茶飯の出来事に違いない。そんな積み重ねで宇宙の歴史は続く。
デッドエンド判明後に子供を生んだ良平夫妻に対し、絢音が「普通じゃない!」と怒るシーンがある。しかし、犬だって猫だって、馬、羊、牛、虫や植物を含めたすべての生き物が同じことをするだろう。死ぬまでは生きることをやめない。もっと言えば進化の歩みすら止めない。それが普通。たとえ絶滅が明日だとしてもだ。
また、研究によると、巨大隕石衝突後、数百年生きた恐竜がいた可能性もあるという。つまり、大変化とはいっても、スイッチオフ、一瞬ですべてが終わるわけではないのである。
以上のツッコミ事案を考えていくと、『とおいらいめい』はどうもSFには当たらない。やはり三姉妹にフォーカスした人間ドラマなのだ。彗星衝突に終末感演出のための舞台設定という以上の意味はない。当初は2人姉妹の話だったそうだが、三姉妹に変更したことでぐっと厚みを増している。
極論、明日世界が終わるとしたら何食べる?的な、わずかながらの幸せ感が同作の大きな中心テーマだと思う。焼き牡蠣はうまそうだったし。ワタシ的には花音ちゃんの味噌汁を味見してみたかったけどね笑
もともと舞台作品から映画作品へと大きく変貌を遂げた同作。自主制作からスタートした監督が手掛けたということもあり、大スペクタクルではなく人間ドラマで勝負した一面もあろうか。結果的にすべてプラスに作用したと思う。
もしかすると、三姉妹の口喧嘩やゆったりした時間の流れがかったるいと感じる方がいるかもしれない。ただ、純粋に映像美を楽しみたい方にはぜひ、ラストカットまでじっくりご覧いただきたい。
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