男惚れする格好いい男たち⑥ vol.118
俺がこれまで積み上げた人生や読書感からくる、格好いい人間像について語ってみたい。
再び、正岡子規。
真之がアメリカに留学する時の話。
真之が子規宅を訪れ、暫しの別れを往来したことがあった。
子規は真之の華やかさを羨望しつつ、見送った後、一人蚊帳に泣いた。
だが、前段で子規は日本人の気質というものに触れている。
如何にも子規らしい発想で、俺はその子規らしさゆえに、心底俺は心を躍らせた。
100年以上も前の歴史舞台で、二人の若者が交わしたやり取りが、どれほどの信憑性をもって再現されうるのか、体面上小説という形式を取るこの作品の中で、それこそ核となる史実以外は、当然、行間を読む形で筆者の意訳や想いが入らないはずはない。
だとすれば、ここで交わされる二人の会話は、おそらく筆者の強い願いそのものと言えるかもしれない。
それほどのメッセージを子規は後世に伝えている。
子規「淳さん。日本人はな、サル真似の民族と言われているが外国に行っても卑屈になってはいかんぞな。西欧とて模倣を繰り返し、ようやくサル真似が終わったところじゃ。イギリスもフランスもドイツもロシアも、真似し合い、盗み合うて文明を作り上げた。西欧はそれを15世紀にやって、日本は19世紀にそれをやったというだけの違いじゃ。」
真之「アメリカはそういう連中の吹き溜まりじゃ。」
子規「そうやって呑んでかかればええ。サリ真似のどこが悪い。日本人がいかに素晴らしい消化力と吸収力を持っているか、あしらは十分に誇ってええんじゃ。日本には大きくてそして深い皿がある。その皿に乗っかるものがいろいろあるっちゅうのが、日本の面白さよ。」
真之「そういう国を滅ぼしてはならん。」
子規「国が滅びるっちゅうことは文化が滅びるっちゅうことじゃ。淳さん。あしはあとどのくらい生きられるかわからん。じゃがあしが、死ぬまでにやり遂げようとすることを無駄にならんようにしておくれ!」
真之「よし、引き受けた!」
サル真似を恥じるな。むしろサル真似できる順応性と瞬発力、そして消化力と吸収力を誇るべきであるとしている。
事実、先人たちはその柔軟性があったからこそ、現在の我々の系譜に繋がっている。
我々はこれらの時代認識について、誇ることはあっても、決して卑下することはない。
それはたとえ歴史に負い目を感じていてもである。(終)