終戦77年 兵は帰っても馬戻らず 資料館開設の佐々木さん 動物にも及んだ愚かさ指摘
終戦から77年。石巻市北村の自宅に私設の平和資料館を開設している元女川高校校長の佐々木慶一郎さん(75)は今年、「戦争と軍馬」をテーマに収集品を企画展示した。日中戦争から太平洋戦争までに戦地に送られた軍馬は50万頭。兵隊は復員できても、馬はごくわずかな例を除いて帰ることはなかった。軍に徴発された農耕馬も多く、佐々木さんは動物に及んだ戦禍の愚かさと伝える大切さを説く。
「次世代に聞かせる義務ある」
50年以上かけて集めた約4千点の収蔵品の中から、軍馬に関係した約100点を1カ所に展示。口輪や鞍(くら)、あぶみといった馬具や乗馬用長靴、さらには騎兵隊や陸軍獣医の大礼服、軍馬に関する雑誌、写真などがある。企画展示は終了したが、連絡(0225-73-4057)すれば随時、無料で公開する。
展示品の中には、太平洋戦争で戦死した石巻市和渕の庄子誠吾氏が、生前に家族へ宛てた軍事郵便がある。誠吾氏は志願兵で、大農家の7人きょうだいの次男。兄も徴兵されており、はがきには「今度は農家として一番の頼みな馬までが徴発とか。何もかも国の御為です」と記し、母親を気遣う。
佐々木さんは「馬は農家を支える働き手。それを持っていかれると残された親やきょうだいに負担が来る。郵便は検閲されるから国の御為とあるが、内心は異なるだろう」と読み解く。
召集令状はいわゆる赤紙であるが、青紙の「馬匹徴発告知書」は馬にとっての召集令状。軍馬には兵隊を乗せる「乗馬」、荷物を載せて運ぶ「駄馬」、荷車を引く「輓馬(ばんば)」があり、農耕馬は「駄馬」や「輓馬」にされたと推察される。
よく働き、忠実な軍馬は将兵の戦友であったが、50万頭のうち帰って来られたのは、岩手県産の勝山号など数頭だけ。「物言わぬ昭和の証言者」たる戦争資料や遺品を収集する佐々木さんは、「物言わぬ戦友」であった馬たちに思いをはせる。
農村支えた働き手
前谷地駅近くには、明治から戦後までの馬頭観世音碑や「出征軍馬武運長久」と記された碑が並ぶ。佐々木さんはそこで、珍しい軍馬戦死の碑を見つけた。飼い主の手元を離れた馬がどこに行ったかは軍の機密事項のはずが、戦死の場所や日付が記されていた。
「戦場で輝かしい功績を残し、飼い主を思って逝ったことだろう。飼い主が建立した供養碑一つ一つが物語る」と佐々木さん。農家にとって馬は家族同然であり、かつては集落ごとに事故などで死んだ馬を供養する馬頭観音碑が建てられた。今や農作業は機械化され、その習慣も忘れられつつある。
佐々木さんは「第二次世界大戦は人のみの戦いではなく、活動兵器として動物にも及んだ戦禍だった」と総括。犬もハトも戦争に用いられた。ウクライナが戦禍にある今、「戦争は何も生み出さない。愚かな戦争を繰り返さないために、次の世代に聞かせる義務がある」と語った。【熊谷利勝】
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