棲み分け、役割分担、異種共存の中に「格差」はあるか。あるいはそれは「融和」であるか。
格差とは「気まずさ」を有する差異である。
双方気にしているのに離れがたく、近寄りがたいあの感じ。
他方、「気まずさ」なき差異は「融和」の礎である。
◆格差とは思春期の恋愛、両片思いだ。
それはこの上なく初々しい。
経験不足、知慮不足、器量不足かつ
妄想過多、憶測過多、情報過多だ。
これは、想像に現実が伴っていない。
「格差を問題にする人は、恋愛下手だったに違いない。」
それはいかにも動物的で人間じみている。
◆格差とは肉体的若さを愛し合っていた中年夫婦だ。
契約という社会的関係性は固く静的で、
愛情という精神的関係性は柔く動的だ。
生物学的に異性でありながら惹かれ合わないのなら、
それらは(その時点において)同種ではない。
これは、感情に現実が伴っていない。
「格差を問題にする人は、目に見えるものしか信じない。」
それはいかにも人間的で動物じみている。
互いに(あるいは一方的にでも)現実を知り、
現実を受け入れ、現実に忠実であれば、
そこに「気まずさ」が付け入る隙はなく、
いかなる差異も「格差」とは呼ばれない。
《認識を現実から遠ざけるもの》
◆「気まずさ」なき差異は「融和」の礎である。
”私は”対立よりも融和を好むから、その筋で話を進める。
現実の素晴らしき点のひとつは、
いかなる個"人"にも共同"体"にも「属さない」ことである。
悔しくも【仮想現実】は人類あるいは”その”知性に帰属し、
惜しくも【認識や想像や感情】は人体に帰属する。
だから仮にも物質的な個人や共同体は、
共通の【現実】に属することでしか融和の道を歩めないのである。
(むしろ、そういう質のものを私はここで「現実」と呼んでいる。)
悪魔的な結果を招く悪魔的な思想では1は2に「分裂」「進化」「発展」し、2は4に、3は6にと、「別々」の道を歩むらしいが、
全体性を愛する私は”数値”を数と認めるわけにはいかない。
(むしろ、愛するに値するものを私はここで「全体性」と呼んでいる。)
これまでに〈認識を現実から遠ざけるもの〉として
【感覚、認識、想像、感情、経験、主体、嗜好、帰属、分裂、進化、発展】
を挙げた。
ほかにも日本語だけで何十もあるだろうが、
それらすべてに共通して言える点は、
共通言語として、時空間的にある程度固定された意味をもった「単語」であるということだ。
単語(言葉)の意味はその語義(語意)に属し、
語義(語意)は話し手と聞き手の”経験”に「帰属する」。
おわかりいただけただろうか。
悲しいかな、言葉は【現実】的でないのだ。
言葉は真のプラットフォームにはなりえない。
つまり、共通言語と呼ぶに相応しい言語はわれわれの中には存在せず、
現実に属するあらゆる”存在”こそがわれわれの共通言語であり、
しかもそれすらも時空間的に移ろいゆくモノであるから、
現実に「気まずさ」を感じ、
それを「格差」と呼び危ぶむ人も、
それに適応して「融和」を目指す人も、
【現実】という言語の語彙の一部
ということになる。
なんと困った。
これでは言語のフラクタル(無限入れ子)構造ではないか。
しかし、これは言葉というツールで現実を「診た」場合の必然の結果とも言えよう。
《まとめ》
あらゆる人が認識に要するあらゆる言葉は、当人の経験的言語に属する語彙のひとつであり、それは現実と認識の間に「気まずさ」を生じさせる。
また、あらゆる人は”【現実】における存在”という共通言語に属する語彙のひとつであるため、おそらくここでいう【現実】もメタ的なナニカの語彙のひとつであろう。
《結論》
こんなことを現実で顔を合わせて言おうものなら
確実に恋愛下手だと思われる。
その点、言葉だらけのこの場所は現実より「現実じみている」
と言うのもここだけの話。
ただただ、融和のために。
こんなの真理でも何でもない。
ただの私の趣味嗜好。
Q&A
◆日本語に属する言葉の語義の変化速度はいかほどだろうか。
「それは現実に依存してマチマチだ。」
◆現実に属する存在の変化速度はいかほどだろうか。
「きっとそれは、、、変化とは比較対象がなければ語れない。われわれはずっと現実の中にいるのだから、その質問は気まずさを生むだけだ。さては恋愛下手だな。」
◆現実の上のナニカとは何か、そのまた上は何か。
「それを知ったら現実がただの語彙に成り下がり、現実が現実とは異なる性のものたちと関係を持つことになる。それは長年慎ましく暮らしていた親がハッスルし始めるのと似ていて気まずい。できれば知りたくないけど、そういう場合も無きにしも非ずということで、ナニカの上は『ナキニアラズ』でどうでしょう。」
◆似た記事はありますか。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます!
では、よい言葉を