自然が自然を自然だと思うことってあるのかなぁ

(消化不良から始まる雑記)


思考が変なところで立ち止まってしまった。
ポケモンの「なぞのばしょ」みたいだ。
暗闇の中、主人公だけが1人ポツンと、意識の光に照らされた惑星のように佇んでいる。
なんとこれは一体どうしたものか。


生きることに目的や理由が必要でないことくらいわかっている。

何であれ、本能が何とかしてくれることも知っている。

私にとって必要なことは私に任せておけば悪いようにはならない。


それにしても寒い。


地球にロックされた月、

絶えず同じ面を地球に向けている。

公転周期と自転周期が同じだからとかなんとか。

いやそれ理由になってるのかい。ただの説明じゃん。


神秘に理由はない。

現象に理由はない。

存在に理由はない。

そもそもこの世に理なんてない。とも言い切れない。

言うなれば、理であることを疑われないものだけが理だ。

こんな風に、何ごとに関してもある程度の「説明」はできる。


ならここでひとつ、こんなにも寒い訳の説明を試みよう。


、、理由、、ない。


なるほど、これは理だったか。。

この感覚は純粋な神秘であり、超純粋な現象であるということか。

なるほど、

なんとも報われない。


いや、ここはもう少し遠回りして考えてみよう


落葉樹が紅葉する際、その葉は赤く染まるのではなく、葉緑素等が抜けるから色が変わるのだという。

氷河時代を生き抜くための方法、巡り合わせ、定め、だとかなんとか。

つまり、この時期はそこそこ寒くて当然なのだ。

いや、それにしても何かおかしい。。


地球の表面がいい感じに温かいのは温室効果ガスが熱を留めてくれているからだという。

なんと恵まれていることか。

いや、恵まれているというのは語弊がある。
今のところ、これしかないのだから何がどうあれ受け入れるしかない。

それは私の身体や境遇とて同じこと。

恵まれていると言ったのは癖である。ある種の慰めだ。


なるほど、私はこの型の肉体とこの大気しか知らない。

ならば、その状況下で経験するであろう知覚の範囲をすべて「普通」と定義しよう。


先ほどまで感じていていた「寒さ」は普通よりも寒いか否か。

、、、、寒い。

なるほどこれは困った。

つまり、私は今、大気の外側にいるらしい。

あるいは、違う型の肉体、より寒さに敏感な知覚体によって大気を、あるいは大気以外の外気に接しているということか。


もう訳が分からない。

たぶん、私はこの感覚について説明する気も、理解する気もあまりないのだろう。

それなのに、このように駄文をこねてしまうこの空々しさが「寒い」のだと思う。


なるほど、

肉体が外気ではなく、冷たい「内気」に触れたということだろうか。

しかもそれは真冬の夜より寒々としていると、、


なるほど、これは十分にありうる。

いままでに内気の構造を観察、測定し、一般化した人を私は知らない。

そこに無尽蔵の空間があり、霊素(魂素、思素)が密でないならば、その温度の低さは計り知れない。

それに、内的な空間の広さにならなんとなく自信があるし、熱源となるものも人より少ない気もする。ここ2、3日は特に少なかった。

だからきっと、私の内気は「寒い」


なんと、解決できてしまった。


さらに、内気の寒さを「普通」の定義内に再設定することで、

私はいま、未体験だった寒さを許容することができた。

       

         **


書き出すことってすごいなぁとしみじみ思う。

しかし、思いのほか、長くなってしまったので

ここから主題について論じるつもりはない。

たぶん、自然の定義を明確にさえすれば意外と簡単に説明できるはずだから。



それにしても、私の内気とこの世の外気はどちらがより広いのだろうか


これもまたその時々の気分と定義に任せるとしよう。


以上です。お付き合いいただきありがとうございました。


(締めの一言:腸内環境を大切に)




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