恋愛と政治体制の関係:一夫一婦制について、不倫と浮気の違いとか
<政治体制の推移>
政治において、盛衰(成功、堕落)ごとに体制が変わることはよく知られている。アリストテレスによるとこんな感じ↓。
{→王制(→僭主制)
→貴族制(→寡頭制)
→国制(→民主制)→}
「すべての卵を同じかごに入れるな。」という諺さえある。
分散投資の基本らしい。
これに対して恋愛(異性関係)はどうも都合が異なる。
<恋愛に求められるセンスは王制のそれ>
現代の常識:一夫一婦制。不倫はダメ絶対。
互いに決まった相手1人に満足し合うのが理想らしい。
伴侶に対してのみ「名君」に、その他に対しては「暗君」に
なんという高度な技術だろう。
いくら努力したところで誰でもすぐにできることではない。
これを「スタンダード」と捉えるのはリスキーで理不尽だ。
このような暴力的な常識を振りかざす人たちにはぜひとも歴史書を渡してみたい。
彼らは健全な王制の維持がどれほど難しいことかを知る必要がある。
<恋愛的な呼称と政治的な呼称>
王制:理想 僭主制:亭主関白、かかあ天下
貴族制:浮気 寡頭制:不倫
政治体制:モテモテ 民主制:遊び人
男は浮気ガチで、理性的でなく、自制心がない。という風潮
その原因は女性側が君子的でないからだ。
女は金好きで、面食いで、裏では腹黒い策略家。という風潮
その原因は男性側の頭が空っぽだからだ。
恋愛において、相手を否定し蔑むことは自らの非を認めることに等しい。
民が政治に無関心であっても、恋愛に真面目であれば人間的に問題はないが、
民が恋愛に無関心であれば、政治的に成功する見込みはなく、
民が自分に無関心であれば、恋愛はうまくいかず、家政は崩れる。
儒教の基本的な政治観:「修身、斉家、治国、平天下」とはこのことだ。
(身を修め、家庭をととのえ、国を治め、天下を平和に導く)
家のあり方などの文化的要因からして我が国で王制的一夫一婦制を「理想」とするのは妥当である。しかし、一夫一妻制を取るのであれば、
多少の浮気や不倫は覚悟し許容せねばならない。
さもなくば、民衆は恋愛に尻込み、人格的に成長する機会を失い、家々は廃れ、国は崩れる。
人の不倫を許し、さらに気を引き締めて自分の恋愛に集中する。
それが大国における男女のあり方であろう。
<名言集>
「男は天下を動かし、 女はその男を動かす。」ー山本五十六
「一生涯ひとりの異性を愛することは、一本の蝋燭が生涯燃えることと同じである。」ートルストイ
「本来、恋愛とはすべて理性的である。本能的な恋愛と呼ばれるものは劣等感の表れにすぎない。」ー私
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