ピラミッドの本当の頂点は【地球の中心】で、人はみなその底面に”生えて”いる。-柔軟体操その3-

円盤がどれだけ回ろうと、その中心は変わらない。

球体がどれほど回ろうと、その中心は変わらない。


さあ、心の眼で見よ、

円も球も無数のピラミッドでできているではないか。


円、球はその中心を頂点とした三角形、または角錐の集まりだ。


ピラミッドの頂点は権力の象徴であって、力の中心でなければならない。

ならば、その上に「天」や「空」があってはいたたまれないではないか。



地上に生えた岩の塚がなんだ。
あんなの爆弾ひとつで崩れ去る。
その後には、岩の上に石のひとつも見つけられないだろう。

社会的権力の階層構造がなんだ。
そんなの民衆の気分しだいで移り替わる。
その後には、金も貨幣も 鉄クズ ほどの価値もなくなる。



ピラミッドは角錐だと思われいるが、それでは不十分だ。

真のピラミッドは『湾曲した底面』からなる角錐だ。

そして、それはわれわれの足の下に絶えず存在する。


あの有名なモニュメントはわれわれを

上へ上へと競い高ぶらせるためにではなく、

その矮小さを知らしめるために作られたに違いない。

「人間はすべて、その足の下にそびえる壮大なピラミッドの底辺に生える存在である」と。


しかしながら、われわれの足元の偉大なピラミッドは、
そこに裸の足と、清き知覚と、明き意識が存在して初めて、
その存在感と効力を発揮することができる。

いかなる偉大な存在であっても、
そうと知らぬ”モノ”にとってはそれを踏み躙るのは容易い。

深く愛し合う者たちを、
そうと知らぬ”チカラ”が引き裂くのが容易いように。

古から伝わる貴重な風習を、
そうと知らぬ”コトワリ”が断ち切るのが容易いように。

私が知る限り、今日の人間が「満足に」人間であることができるのは、いかに恵まれた者であっても、その人生のうちのごくわずかだ。

だから悪魔だの神だの、超人、卓越、名誉、幸福などといった観念や御託を並べることになるのだ。

人にはいつも 何か が足りない


あなたは それ を知りたくないか。


「この世の万物の正しい”使い方”」を、


「万象の正しい”関係性”と”あり方”」を、


「われわれの認識がどれほど間違っているのか」を、


認識を疑え

意識を疑え

言葉を疑え

理解を疑え


疑イヨウノナイ 澄ミ切ツタ闇ヘ 進メ

ソコニ 何カ ガ 無キニシモ非ズ




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