人類が「言葉」を得た代わりに失ったもの
[world]-[l]=[word]
[主]+[口]-[l]=[言]
この[l]または[L]とは一体なんだろう。
言葉を得た代わり、というよりも、「何か」を失った代わりに言葉を得たというべきか。すぐに思いつく単語としては以下のものがある。
Light : 光明、灯台、道標、視力、理解、輝き、希望、だろうか。
Left :rightの逆:弱さ、価値のなさ、少数派、革新派、などへの寛容さのことだろうか。もしくは皮肉にも左脳(分析、言語能力)のことか。
Learn : 学ぶこと、導き、経験を積むこと、つまり謙虚さだろうか。
Lead : 導き、大綱、リーダー、つまり「大道や規範」のことか。
Leave : 固定すること、許し、休暇、残しておくこと、卒業、手を付けずそのままにすること、死去すること。つまり真心と潔さか。
Life : 生命。生活。生気。生きがい。
Link : 繋がり、絆、輪、連結、和。
Leaf : 葉(同化器官)、太陽の恵みを受ける器官。つまり、真の生産性、肥沃な大地、生命の基盤のことだろうか。
「生命の葉」を失うことで「情報の葉」を得たとしたらなんとも皮肉なことのように感じる。
[l]だとすれば、それは主軸、根幹。
[1]だとすれば、それは一体感、絶対性、完全性、あるいは神性という見方もできる。
かつて地球上の様々な言語の源「言の葉の幹」を探求した学者があった。
ならばこの「言の幹の根」は一体どこからその養分を吸っているのだろう。この[L]がなんであれ、かつてはあったはずの「何か」が今では無くなっている、もしくは消費され続けているであろうことは疑う余地がない。
言葉という技術〔生命〕を使用するとき、発声するとき、創造するとき、思考するとき、我々はそこに偉大なる根源を感じざるにはいられない。
そして我々が[world][世界][完全無欠の全体]を語らんとするとき、人々は全力を挙げて失われた[l]を補完する必要が出てくる。
一般に言葉の扱いにおいて人間以上に長けている生き物はいないとされる。
しかしこれは、人間が進化して言語を獲得したともとれる反面、人間以外の生物が言葉の過使用が生体に及ぼす悪影響を避けるような進化を続けているともとれる。
我々は何をするにも不完全だ。代償に臆して無謀になって、変革・改悪・堕落を繰り返し、完結しない物語の途上で、どれほど気を付けていたって頽落してしまう。
命の納期は延びていく一方で、意気地のないことに、思わぬ幸福や不慮の事故を期待してしまう。
ゴールや目標、成功なんてどれも正気になればマッチポンプで虚しいだけだ。
理解も満足なんてもういらないし、永遠の平和や安息が欲しいわけでもない。あらゆる欠乏を抱えながら、失われた[l]を捜し求めて、死ぬまで生きよう。ここに言葉を残す代償として。
あーあ、どっかにいい[l]落ちてないかなぁ
※worldの語源は古英語weoroldとする説があるため、その場合は企画倒れになってしまうのだが、まぁこれはこれで一つのフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。
引用、参考:『言の葉の幹を捜す』田響隆仁著
を紹介されていたgooブログの記事からhttps://blog.goo.ne.jp/spiraldragon/e/e7b9de387631a998f5ce91e1e6720bad
https://blog.goo.ne.jp/spiraldragon/e/a2b9a95434180ddfa306710d202894d4