「持続可能性」と『真理のことば』

【諸行無常】
「一切の形成されたものは無常である」と明らかな智慧を持って観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

【一切皆苦】
「一切の形成されたものは苦しみである」と明らかな智慧を持って観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

【諸法非我】
「一切の事物は我ならざるものである」と明らかな智慧を持って観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

(『ダンマパダ』第20章 道 277,278,279節)

314節
悪いことをするよりは何もしないほうがよい。悪いことをすれば、後で悔いる。単に何かの行為をするよりは、善いことをするほうがよい。なしおわって、後で悔いがない。

317節
恐れなくてよいことに恐れをいだき、恐れねばならぬことに恐れをいだかない人々は、邪な見解を抱いて、悪いところにおもむく。

第26章 バラモン
400節
怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、欲を増すことなく、身をととのえ、最後の身体に達した人ーかれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。

408節
粗野ならず、ことがらをはっきり伝える真実のことばを発し、ことばによって何人の感情をも害することのない人ーかれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。

412節
この世の禍福のいずれにも執著することなく、憂いなく、汚れなく、清らかな人ーかれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。


少しでも心に迷いのある人は、聖書よりもこれを読んだ方がいい。
これまでの生活の一切を恥じる覚悟があれば理解は容易い。

読まず、恥じないならば、恥じ続けることになるであろう。


何かを信じたい人は聖書を読むがいい。

何を信じるべきか知りたい人はブッダを読むがいい。


人々は、今日も相変わらず悪いところに向かっている。

しかし、それはいつの時代も同じこと。


人と人とが「人々」や「国民」などと呼ばれるようなときは、

人と人とは各々の正しい道を知らず、共通の邪な道を進まされる。


日々、八正道に気を付けて暮らしている者は、

生きていて生きていないような者だから、

あまり注目を浴びず、参考にもされないだろう。


それでいいのだ。

道は外にあるのではない。

道の形も見え方も1人1人違うのだから、

進度を比べられるようなものでもない。


だから、ただ気を付けていればよい。

むしろ、それ以上の心がけは重荷でしかない。

さらに言えば、身体さえもいらない。




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