制作日記ー娘よ、ここが長崎ですー
8月9日
昨夜は青空文庫で芥川龍之介の「大川の水」を読む。
20代の時、芥川のこの随筆を読んで隅田川に憧れを抱いた。
久しぶりに読んで、芥川のみた大正時代の両国での隅田川と今の自分がみている千住の隅田川とは様相が異なるが、五感と彼の追慕、豊富な含蓄をもって美しく捉えていると思う。
ついついまた熟読してしまった。
宮沢賢治も隅田川の詩を詠んでいるけれど、いかにも心象風景という感じで
あまり川そのものの特徴は感じられない。
北上川を歌ったら簡潔でもうまいのに。
ずっと住んでいるか、愛着があるかの違いだな。
腹部の痛みで目が覚める。
時計をみると3時45分。
まじか。。。と思うが、腹が気になって眠れん。
生理痛で早朝起きるとき、いつも心にこだます童歌。
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ
4時半にすごすごと起きたら、後ろですぐに娘も目を覚ました。
もう少し寝るように言って、作業開始。
朝散歩。
鷺が飛ぶ風景をみて、「君たちはどう生きるか」の鷺のはためきは、本当によく出来ていたな、動きも時間把握もピッタリだな、と思う。
トンボをみかけたり、カモメが魚を見つけ狙う、飛ぶ進路方向からクッと直角に近い形で曲がって、水面へ降下してゆく羽ばたきなど、面白い光景がみれた。
戦闘機がクッと曲がって狙いを定める動きとよく似てるな、と思った。
この動きはアニメや映画なら出来るけれど、漫画ではうまく表現できない。
嗚呼、夏休み。
昨日から久しぶりのおかーさん、おかーさん攻撃‼️(゚o゚;;
早くも心がもげそうになりつつ、
宿題をみたり家事をしたり、子供の土産話を聞いたりして過ごす。
作画もしつつなので、集中できず気が遠くなる。
切り貼り作業に久しぶりにペーパーセメントを使った。
自由研究は、15日までに子供が何をしたいのか自由に決めさせて、幾度か発案してもらうことにした。
期日までに内容が決められない場合は、有無を言わさず「阿波和紙の紙漉き」についての研究にする、と伝える。
娘は調べることが好きではない。
個性なので仕方がないが、百均ビーズで遊ぶとか、ぬいぐるみが観光地に行く、とか、
「それは研究なんですか?」と突っ込みたい発案ばかりしてくる😇
学校はそこまで自由研究を重視してはいないので、ビーズ遊びでもいいのだけれど、クラスの皆は結構気合の入った結果を提出しているのは一年生の頃から見ており知っている。
三年になると、研究を提出する子も増えるだろう。
その中で、本当に百均ビーズでいいのですか❓とついつい問うてしまう‼️
親のエゴだが、
「拙くてもいいから研究しようよ」
「または、数日かかるような工作を作ったらどう❓」
「課題に忠実で、出すもの出せばそれでいいのだよ。。。」
と切に思う。
2時間お昼寝したら少し元気になった。
午後も少し作画。
子供にお使いを頼み、豚バラを買ってきてもらう。
お夕飯は焼きそばと、茎わかめと油揚げの炒め煮。
実家にいる主人からFaceTimeが入り、義父の病気について知らされる。
ビックリしたが、お顔を拝見すると元気そうだし、お年をめした男性の多くが保有する病気である。
そこまで心配はいらないと勝手ながら思ったが、80年一度も大病をしたことがないご本人はさぞ不安なことだろう。。。
「別に死ぬのは構わないんだけど、治療で遊びに行けなくなるのが嫌だ」
ということを伝えきき、義父らしいな、と思った。
夜、寝る前に暫く黙祷する。
6年前亡くなられた谷口稜曄さんには10代の時にお会いしたことがある。
「果たして、この方は背中を焼かれ抉られて以来、心から笑われたことがあるのだろうか。。。」
と子供ながら感じた。
ニュースで今年旅立った深堀好敏さんのことを伝えていた。
あの場所にいた語り部が次々に役割を終えて旅立ってゆく。
残されたものは茫然とする気持ちは隠せないが、過去を知り、各々が出来る分野で、次世代に伝える役割は日本人には託されていると思う。
10代からずっと私の精神的支柱となっていたのは、永井隆博士である。
昭和26年に白血病で亡くなられたが、氏の著作や生き様は、困難な状況に立ったとき、次に進む底力となった。
クリスチャンでもないし、平和を大事に、と聞くとどこか薄ら淋しい、気恥ずかしい心持ちになるが、確かに、ずっと、ぐっと深い心の奥で支えにしていたのは会ったこともなく、自分が生まれる何十年も前に去った永井博士であった。
なぜか強烈に惹かれるのである。
将来に悲観しつつあった無職の23歳の時、一人如己堂を訪れた。
忘却されつつある畳二畳の小さなお家の軒先に座って、藪蚊に刺されながら何も考えず無心で数時間過ごした。
そのあと、おくんちを観て帰ってきた。
以前に感じたのと同じ、長崎の人は優しかった。
ただそれだけだったが、そのあと深層の奥で何かがカチッと回り始めた気がする。
四年前に希死念慮に苛まれたときも、
「ちょっと待って。博士は生きたくても死なざるを得なくて、一番悔しいと思ったのは幼い子供を遺してゆくことだったんや。
うちの場合は、生きていけるのに物事がうまくいかんだけ。たったそれだけ。
それで死んで子供おいてくって。。。違くない❓
個人の夢が破れただけで死ぬって。。。違う、これでは博士に顔向けできん。。。」
と、永井博士の置かれた状況と、自分の甘っちょろさを比較し、(博士には顔向けどころか会えないんだけど)いったん念慮は置いといて、粛々と子供の保育園のお迎えに行き、何事もなく接していた。
その後もオットー・ヴァイトやミープ・ヒースといった、死戦をくぐり抜ける中で人間としてどう生きるかをあの時代に体当たりで立ち向かっていった「市井の人」に強烈に惹かれるようになったが、永井博士も穏やかさの奥に、彼らと同じ苦境でも動じない強い克己心を秘め持っていたと感じる。
生きているひとたちより、この世にいない人たちと対話をするのが好きだった。
自分は未来に夢を語る方ではなく、忘却されうる過去の出来事を次へ繋ぐ一伴走者になろうと決めた。
その後押しをしてくれた場所が、二畳の小さなお家だった。
だから長崎は、私にとって古き東京と同じくらいの、鼈甲色の陽光がまろやかに広がる様な大切な心のふるさとである。
🌳🕊️本日の制作時間。。。4時間30分
🩵グッドシングス
🌱めんどくさい背景が1ページ終わった‼️