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あなたは『祈る』をしたことはありますか?

今の日本においては宗教団体に所属していて、熱心に信心しているひと以外で日常のなかで祈るための時間を持っている人ってどれくらいいるんだろう。

ちなみにぼくは家は浄土宗だけど、なんらお参りや活動などしていない。

「気」を用いてひとの心身の調整を行っていて、

神仏研究家・桜井識子さんの本やブログを読んだ影響で神さまと話せるようになりたいと思っていて、気の通りのよい神社の空間が好きで神社仏閣を参拝しているくらい。

家に神棚を祀っていて、まいにち仏壇にお供えをしていた祖父母。

祖父母が生活の中でよく手を合わせたり読経していた姿を思い出す。


幕末に来日した外国人が日本人をみて驚いたのは

日の出に礼拝するという習慣だった。

そう、日本はおてんとうさま、天照大御神に象徴される

太陽礼拝の国だったわけ。


神さま霊能力が開花して神仏と会話ができる桜井さんが昔のひとの祈願の内容で一番多いものはなんだったのですかと神さまに質問したら

治癒祈願だったそうです。

確かに古い寺社には境内にお百度石が置いてあったりする。


現代より多くの祈り、礼拝が日常に浸透していた暮らしがあったことは容易に想像できる。


立花大敬さんは、坐禅の会の幹事の方が癌になったとき

願掛けで延命十句観音経を三千回唱えたと言っておられた。


祈りとはこのように、

自分でできることがない場合に

最後の手段として

何か見えない大きな存在、神さまや仏様に「祈る」ことだと思う。


もちろん実際に神仏が助けてくれるケースもあるだろうけど

この『祈る』行為自体にも力があると思ってます。

祈っている在り方が、

外の世界に影響を及ぼしている要素もあるってね。

そのように言い切れるのは

遠隔でも他者へ気を通すことができるのを

自分で体験しているから。


もう10年ほど会っていない父方の伯母が

危ないと連絡が入った。

遠方だし、今は家族でも時節柄面会が厳しい。

そのような状況で自分にできることといったら

選択肢は2つしかない

遠隔愉気か

祈るか。


原理はよく分からないが気は遠く離れたひとに通すことができる。

相手がこちらに意識を併せてくれればカラダの変化を実感してもらうことができる。

ただし伯母は意識不明だとのこと。


遠隔愉気も祈りも

相手に意識で捉えるという視点では

自分の感覚では同じような気がしている。


とにかくそれが自分にとっての唯一の選択肢なので

悔いが残らないようにやってみようと思う。



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