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生きている間に、カラダの声に気づいてあげよう。

最初の整体指導の依頼はHPからメールでぼくの手元に届く。

依頼内容がとくに問題もなく、病気でもなく、風邪も長らくひいていない

なんて文言が入っていたとしたら

ぼくの経験上、風邪もひかない健康体ではなくて

ほぼほぼ風邪もひけなくなったくたびれきったカラダと見ていい。

野口先生が無病病と呼んでいた在り方。

ぼくは不感症と呼んでいる在り方。

異常や疲労があれば、感じることでホメオスタシスが動き出す。

そのホメオスタシスがまったく働いていないカラダ。

風邪というのは病気ではなく、回復するために動き出したホメオスタシスの現れであることが多い。


実際に来室されて触れて確認すると

背骨に弾力があって本人の内的感覚が心地いい在り方などではなく

背骨は弾力を失ってくたびれきっているカラダであることがすぐに分かる。

当然、内的感覚には心地よさなどはない。

不快感さえも感じないように適応していて、鈍り適応を完成させてしまっているカラダ。


現代の日本においては鈍り適応で生き延びているカラダはとっても多い。

本来ないはずの生理痛があるひとが半数を超えてしまっている。

今目の前にある現実じゃない情報に囲まれて思考が刺激されて

他者との比較を勝手に促されてしまいやすい環境にいるので

ほぼ全員が脳内がザワザワして生きている。


特に問題ありませんと言っていても

本来無いのが自然である生理痛があるのであれば異常だし

平熱が35℃であれば

恒温動物である人間にとっては間違いなく異常になる。

ここで言ってる異常とは

整っていないってこと

ホメオスタシスが働かない状態

その人本来の力を発揮できない在り方と言い換えてもいい。


先日、ふだんの平熱が35℃台の方が初めて整体指導を受けられて

翌日に体温が36℃台になったと驚かれていた。


平熱が35℃ってことは、心身の在り方が異常で不整体。

恒温動物にとって36℃台であることが自然なのだから

35℃であることの方が本来ならば驚くべきことだよね。


体温を35℃にしてくださいって命令されたって出来ないでしょ?

依頼されたって、ぼくもどうやったら35℃に誘導できるのか頭を抱えてしまう。

仮に実現できたとしたら

氷水に飛び込んでみたり

真冬の山で薄着で遭難しかかったりしなければ実現できない。

深部体温が35℃以下になれば、もはや低体温症と診断されてしまう。

めちゃくちゃ難易度の高いミッションでしょ。


だから自分が35℃台を保っているのなら

控えめに言って、自分自身を虐待している。

自分のカラダが発しているメッセージを無視しつづけなければ到底達成不可能なミッションなのだから。


そもそも異常なのに問題ないと言えてしまうのは

異常を感じられていないから。

「感じない」麻痺が拡がっているから、問題ありませんと言えてしまうわけ。

だからリハビリはカラダの声に気づいてあげることから始めなきゃ。

仕事後に硬張っている目、肩、前腕。

今、〇〇を食べたい。

今、トイレに行きたい。

カラダから湧き起こってくる欲求。

いずれも分かりやすいカラダの声。

無意識運動の訓練である活元運動などはカラダの声そのもの。

何と言ったって、カラダ自体が行ないたいことをカラダにやらせてあげるのだから。


生きているあいだ、ずっと一緒であるカラダ。

人間体験が出来るのはカラダがあるから。

カラダより大切な道具などひとつだって在りゃしない。

その大切な道具が発してくれているメッセージに耳を傾けることをお勧めする次第です。



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