見出し画像

どうかカラダの存在を再び忘れないで。

先生、お陰様で膝が痛いのが無くなりました。ありがとうございます。

そう言葉を掛けられて???ってなってしまった。

その言葉を伝える相手はぼくで間違いないですか?って。

だって一度も膝が痛いって相談されたことが無かったのだから。


整体指導をさせていただいているうちに

頭痛薬を手放せて

睡眠薬を手放せて

肩が上がるようになったのは確認してたけれど

膝のことは一度も聞いたことが無かった。



聞いたことが無かったのでお礼を言われてもピンと来ないよね。

そもそも治したんじゃなくて

全体が整ってきたら治っちゃったんだから。

カラダが整体に近づいてきたら不調和が消えてしまった。

治してくれたのはカラダの仕事。

だからお礼を言うのならば是非自分のカラダに対して声を掛けて欲しい。


花粉症などでも、治りましたってお礼を言われることがあるんだけど

事前に相談されたことがないので

ぼくが治したって実感など無い。

みなさん最初はもっと深刻なことで相談をしてくる。

カラダが整ってきたら勝手に不調和が無くなったってだけ。

治してくれたのはカラダの仕事。


不調和が無くなったきっかけが整体指導であれば

どうしてもぼくにお礼を言いたくなってしまう気持ちはよく分かる。

だとしても、直接不調和の解消に働きかけてくれたカラダにも注意を向けて欲しいんです。




ほとんどの不調和は本人の心身の使い方に問題がある。

自然治癒力が働かないように扱っていた結果

いのちを運営している無意識運動に滞りが出てきているだけなの。

いのちの営みは100%無意識運動に依って運営されている。

無意識運動はカラダから湧き起こる自発的要求に従っている。

だからこそ自分の中で芽生えた要求や、感じとった違和感を拾い上げて

それらに則って行動していくだけでいいの。

自分の内部で生じたものたちを

行動して外の世界に表現していくと

必然的に脳内でのぐるぐる思考の材料が無くなっていく。


ふだん健康に暮らしているとき

ぼくらはカラダに意識を向けることはほとんどない。

歩いている時でさえ意識をスマホに向けていれば

もうほとんどカラダには意識は向けられていない。


カラダに意識を向けるきっかけが病気だった人は多いでしょ?


抱えていた痛みが無くなっても

悩まされていた症状が無くなっても

カラダが教えてくれる自分の本音、違和感を拾い上げて

どうか再びカラダのことを忘れずに日常を過ごされてくださいね。



※あわせて読んでみて欲しい記事









いいなと思ったら応援しよう!