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いのちの運営には「わたし」は不要です。
「なんでこんな動きをしているのか分かりません!」
ぼくにそう声を掛けてくれたのは
初めての活元運動指導で自分のカラダが自分の意思とは無関係に動き出していたからだった。
今まで60年以上生きてきて初めての経験。
ほとんど全ての人は、「わたし」が生きていると思い込んでいる。
頭で考えてカラダを動かして、
カラダにいいと思ったことをやってみて
心身に不調があると更に頭で考えて
カラダにいいことをしようと躍起になる。
ところが「わたし」という自我意識はいのちの運営に関わっていない。
そりゃそうだよね。
「わたし」が関わっていたら睡眠時に「わたし」という自我意識が消失したら死んでしまう。
「わたし」が乗り込む前から、卵子の時代からいのちは営まれている。
「わたし」が関わっているのはせいぜい上肢や下肢や表情や呼吸の意識動作くらい。
それらの動作だって、意識して動かしている部位を裏で支えている意識しない全体のサポートがあって初めて可能になっている。
いのちを営んでいるのは無意識運動。
だから心身に不調が現れてきたのであれば
無意識運動に滞りが出てきていることを示している。
異常や疲労を感じると
発熱などを起こして回復しようと働き出す。
その働きは意識で行うことが出来ない。
有難いことに無意識が運営してくれているから
ぼくらは意識する必要が無いの。
この無意識運動を滞らせる最大の要素が大脳緊張。
不安や恐怖などのネガティブな脳内の会話ってやつ。
だからこそ無意識運動の訓練である活元運動という
カラダがやりたいことを自らが動き出す運動が出てくる要件が
頭の中を空っぽにするってことなの。
頭がポカーンとすると活元運動が出てきやすい。
冒頭のセリフをぼくに投げかけてくれた女性は
ご自身のコンサート前に整体指導を受けに来られるようになったプロのヴァイオリニストの方だった。
演奏家がゾーンに入っているとき
頭の中は空っぽになっている。
全身で自分が響かせている音色と混然一体となっている。
それは「わたし」が無い体験でもある。
音色に自分を委ねるという頭を空っぽにする体験があったので
活元運動指導の初日にカラダが動き出してくれた。
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「わたし」が操縦席から退席して
いのちを運営している無意識運動に操縦席を明け渡せば
カラダは動きたいように
自らを調整したいように動き出す。
とってもシンプル。
「わたし」にとっては衝撃の事実。
「わたし」は要らないんです。
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