カラダに書いてあるココロ
ココロは直接見ることはできない。
けれどもパッと見て
悲しんでいるな
怒っているな
嬉しそうだなって
感じることが出来る。
そのときぼくらは何を見ているんだろう。
表情
目つき
顔色
息づかい
息のリズム
息の強弱
声色
世界に誇る声の芸術に文楽の義太夫がある。
声楽の世界だったら声のピークは30代にきてしまうが
義太夫は40,50は鼻たれ小僧
芸の花が開くのは70と言われている世界。
それを可能にしているのは声を肚から出しているから。
ある程度、声を鍛錬して
腹から声が出せるようになって
名人と言われているひとの口調をまねて
声を出していくと
不思議なことに感情が揺さぶられてくる。
実際にぼくの泣ける動画でもある藤原竜也さんの弔辞
声からも彼の悲しみが伝わってくる。
彼の呼吸を真似て言葉を話し出すと
あっという間に涙が込み上げてくる。
でも、それは技術として表現しているのであって
ぼくが本当に悲しんでいるんじゃない。
言葉で悲しいと言っていても悲しいとは限らない。
実際に酷いニュースを見て
悲しいとか
腹が立つと
言葉で言っていたとしても
涙を流していたとしても
本当に悲しいかどうかは実は分からない。
ただのコミュニケーションとして表現しているだけだったりする。
だから悲しいと言いながら
普段通りの食欲で食事をしていたり
スイーツを頬張ったりできてしまう。
それは本当に悲しいんじゃない。
けれどもカラダに変動が起こっていれば
本当に悲しいし
本当に怒っているってことになる。
それは触れれば分かってしまう。
腹直筋が強張っていれば
文字通り腹がたっている。
何が起こったの?と聞いていみると
自転車でぶつかってきた老人が何も言わずに立ち去ったんだそう。
そりゃ、腹立つよね。
いつもよりみぞおちが凄く強張っている。
ものすごくショックを受けていて
いったい何が起きているのだろうと気になる。
親友が亡くなったんだそう。
心痛って、
こんな風にカラダが表現するんだって教えてくれていた。
いつもよりお腹が強張っている。
何か急に頭を使うようなことをしているのか尋ねてみると
帰宅して子供を寝かしつけてから
資格試験の勉強をしていたんだそう。
婚約解消をしたひとの
まったく気の通らない頭部調律点は
押さえているぼくの親指のはらが
痛くて真っ赤になるほどの異常を表現してくる。
脳内で自分責めが止まらないカラダの表現。
言葉で嘘を言うことはできても
カラダで嘘をつくことはできない。
カラダにはココロも表現されてしまう。
※カラダに書いてある感情