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女の子が苦手だった私が、女子校に6年通った話

女の子って、意地悪だしつまらない。
私も男の子に生まれたらよかったのに。

この世に生まれて10年ちょっとの私は、そう思っていた。だから、中高6年間を女子校で過ごすなんて、思ってもみなかった。「女子校育ち」の私が、まさか「女子嫌い」だったとも、誰も思わないだろう。

でも、私は女子が嫌いだった。自分自身が女子であることを、残念に思うくらいには。

これから話すのは、そんな私が中高6年間を女子校で過ごして、社会に出て数年が経った今、思うこと。



はじめに

女子校出身、という言葉だけで、途端に相手の中で私のイメージが作り上げられてしまう気がして、女子校で育った過去は、これまで少し隠してきた。

もっとも、相手が女子校出身者であれば話は別で、「同郷の民」だと分かれば、喜んで出自を明かしてきた。女子校出身者同士であれば、誤解されることはないし、違う学校でも共通点は多い。絶対に仲良くなれるのだ。

でも、女子校に何らかの固定概念(勝手なイメージ)を持っている人が多い気がするので、普段は特に触れないでおこうとしてきた。の、だけれど。

やっぱり、育った環境は大きいし、今の私を形作ったのは女子校で過ごした6年間だと思う。

「同性しかいない環境とか、絶対無理」
「つまんなそう」
「女子同士って陰湿ないじめがあるんでしょ?」
「男の子が苦手だったんだね」

こういう感想を聞くたびに、「違う!」と私は叫びたくなる。実際、それは間違ってはいないと思う。それが当てはまる場合だってあるだろう。でも、私が過ごした6年間は、全く違う。そのイメージとは違う世界がある、と伝えたい。

女子が嫌いだった私が女子校に入るまでと、卒業して今日に至るまでに触れた言葉や考えたことを、少し振り返ってみようと思う。


「私、共学しか行かないから」

兄の影響で中学受験をすると決めた当初、私はずっとこう言っていた。理由はシンプルで、女の子が苦手だったから。自分も女の子のくせに、と今は思うのだけれど、あの頃は本当に女子が苦手だった。

集団行動をしたり、周りに合わせたり。リーダー格の女の子の許可を得なければ動けない女の子たちを見て、私は、ほとほと呆れていた。

私自身、彼女たちからしたら何かと浮いて見えたのだろう。くすくす笑いについていくどころか、私は、ハブられる側になった。そうして私の中で出来上がった女の子への感想は、「女の子って、意地悪だしつまらない」。

意地悪でつまらない女の子で溢れた空間なんて、悪夢だ。女子校が存在していること自体に、私は軽く嫌悪感を抱いてさえいた。

そんな私に女子校をすすめたのは、近所の人だった。私の兄と同学年の娘さんがいる方で、「ひばりちゃんに、もしかしたら合うんじゃない?」と私の母に吹き込んだのだ。

志望校を決めるために「女子校も見てみようよ」という母の提案に、「文化祭に行くだけならいいよ」と、随分な上から目線で頷いた。もちろん、内心は「まぁ、実際に通うことなんかないけど」と思っていた。

けれど、果たせるかな、私の考えは180度変わることになる。

女子校の文化祭は、思ったよりも賑やかだった。明らかに女の子たちばかりなのに、息苦しさはない。それどころか、今までいた世界と何かが違う、とすぐに感じた。

それを言語化することは難しいのだけれど、他で感じたことのない穏やかな空気感に、「自分が受け入れられている」と感じたのだ。

それまで共学の学校を見ていた時には感じなかった直感がおりてきた。はっきりと「ここだ」と思った。女子校になんか行かないとあれほど固く心に誓っていたのに、なぜか心は「ここだ」と決めてしまったのだ。

「絶対、ここに行く」。ちょっと他の選択肢を見せようと思っていた母にとっても、第一志望が女子校に決まるというのは、完全に予想外のことだった。娘の突然の心変わりを、未だに「意味が全然分からない」と言うほどなのだ。

私自身も、自分の決断に戸惑いはあった。でも、自分の直感に従うことは、その頃から私の信条だった。私は、志望校をそこに、女子校に決めた。その日から、私の勉強の目的は、「絶対に行かない」と言っていた女子校に行くことになった。

そして、2012年の2月2日。私は晴れて第一志望の女子校に合格した。忘れもしない、人生で一番嬉しい瞬間の一つだ。

でも、女子校に入学することが決まってもなお、結局男子と遊ぶ方が楽しいままだった。小学校卒業間際になっても、男の子っぽい女の子たちとつるみ、男女一緒に遊んだ。相変わらず、女の子らしい女の子たちは苦手だった。

だから、女子校への入学は、楽しみな反面、不安だった。入学式の予行演習の日には、すでに楽しみより怖さが勝っていたように思う。

初めて同級生たち全員と顔を合わせた時、「いい子たちだ」ということはすぐに分かった。でも、「いい子すぎる」ような気がしたのだ。まるで、あらゆる小学校から優等生を集めてきたみたいだった。この感想は、6年後には完全に崩れ去ることになるのだけれど、この時の私には知るよしもなかった。

この子たちとうまくやれるかな、と、うまくやらなきゃ、が私の中でせめぎ合った。


「スカートで走り回ってもいいんだ!」

女子校に入って数日の私の感想は、これだった。

休み時間や放課後にスカートで勢いよく駆け回る女の子たちを見て、私は女子校を、女の子を誤解していたのかもしれない、と思った。

私が思っていた女子校にいる女の子たちは、静かで、いい子で、大人に好かれそうな子たち……のはずだった。

でも、目の前にいるのは、スカートで走り回る女の子たちだった。共学にこんな女の子はいなかった。皆、もっと格好に合わせた行動をしていた。スカートを履いていれば女の子らしく女の子とつるんで、静かに誰かの悪口でも言っているものだと思っていたのに。

ここでは全員が同じ制服を着ている。でも、必ずしも制服に合わせようとなんてしていなかった。全員が同じように女の子っぽい格好をしながらも、真面目に課題をする子もいれば、静かに読書をする子も、休み時間に中庭に飛び出す子たちもいた。

誰も制服に縛られていなかった。

……なんて書くと、女子校って、けっこう自由だと思われるかもしれない。でも、校則も先生方も、本当に厳しかった。

スマホや携帯は持ち込み禁止(禁止事項をあげればきりがないのでこれ以上は書くまい)だし、制服は鞄や靴下、カーディガンに至るまで全て指定のものがあった。傘やマフラー、髪ゴムの色すら自由ではない。

暑い日に教室や廊下でスカートを仰いでいると「はしたない」と怒られた。けれど、「私たち、気にしません」(男性の先生たちが、目のやり場に困るんです)とか「下に体操服はいてまーす」(そういう問題じゃありません)とか、平気で口答えもしていた。反省はしていなかった。「だって暑いじゃん」が合言葉だった。

不自由ではあったのかもしれない。でも、そんなこと、私は少しも気にならなかった。かわいい傘なんてどこかで盗まれるのがオチだし、マフラーの色になんか、こだわりはなかった。

先生方の仰ることも、大抵は理不尽ではなかった。当たり前かもしれないけれど、世の中に出てからの方がよっぽど、理不尽な言葉に沢山出会っている気がする。

そう、世の中に比べたら、女子校は自由だった。性別から解放された人間の姿がそこにはあった。私たちは女子校に通えるくらい、紛れもなく女の子だったけれど、ひとたび女子校に入れば性別はないも同然なのだ。

みんな、一人の人間として濃すぎるくらいの個性を持っていた。そして、どんな趣味も受け入れられた。むしろ、変わった趣味や独特のキャラを持っている子の方が、愛されたくらいだ。

「女子」である前に、彼女たちも、私も、人間だとだんだん分かってきた。「女の子」という枠で女子を見ることはなくなった。それは、自分に対しても。

初めて、自分らしく存在できる場所を見つけたような気がした。


「私の過ごさなかった6年間で、何が起きた?」

女子校での6年間はあっという間に終わり、大学は、共学に進学した。大学卒業後は、男女が半々くらいのIT企業に就職した。

そこで、私はたびたび首を傾げることになる。「いつから、男子と女子は、こうもはっきりと立場が分かれたんだろう? 私の過ごさなかった6年間で、何が起きた?」

文化祭やイベント、学生生活や社会生活のほんのちょっとした瞬間に、「男性」と「女性」で役割が振り分けられていく様に、私は面食らったのだ。

重いものは男性が、軽いものは女性が持つ、という暗黙の了解に、なかなか慣れなかった。初めて、「男子はこっち、女子はこっち」と役割が振り分けられた時、男女で分かれる合理的な意味があるのかなと思った。

見ていると、女性は、当然のごとく力の弱い方に振り分けられていく。だけだった。

これが普通なのかもしれない。これが、世界の本来の在り方なのかもしれない。でも……、私にとっては、女子校という世界も、本物だった。

文化祭が終われば、全校生徒で片付けをする。机でも楽器でも、大きい看板でも、全部自分たちで運ぶ。運んでくれる男子はいない。女子しかいない学校なのだから。

女子である自分にはこれは持てないかもしれない、なんて思ったことはなかった。だって、隣の女の子は持っているし、もしも持てないなら、それは「私」と「その子」の差だ。性別の差ではない。

でも、女性しかいない空間から一歩踏み出すと、私は「私」として扱われず、「女性」と認識されるらしい。それが、私には違和感でしかなかった。

社会人になってからのことだけれど、同じく女子校で育った友人が、職場でやりたい仕事を主張した時、「その仕事は女性だとちょっと……」と難色を示されたという。

彼女は、令和にもなってこんなことを言われるなんて、と怒りながら言った。

「女子の方が力が弱いのは分かるよ。でもさ、スポーツとかやってた子にも同じこと言うわけ?って思っちゃった。確かに、私は体育会系の部活に入ってなかったから文句は言えないのかもしれないけど。でも、(その仕事に対して)やる気のない男子と私がいたとして、それでも私は、女子だからその仕事はやれないってことになるのかな?」

帰宅して、この話を母にしたら、母は驚いていた。「その仕事は女性だとちょっと……」と彼女に言った会社に対してではない。彼女に対してだ。

「その子、そんなに強い子だったっけ」

別に「強い」わけではない。彼女は「普通」だ。「普通のこと」を言っただけだけじゃないか、と私は思った。


「別学出身者って、偏ってるよね」

学生時代、共学出身者にそう言われた。男子校出身者や女子校出身者は、異性との距離感を分かっていないし、とにかくコミュニケーションが下手な人が多いよね、と笑われたのだ。

「やっぱり、6年間同性しかいない空間にいて、異性と関わってないから、ダメだよね」

何がダメなんでしょうか、とは思った。でも、異性との距離感が分かっていないのも、コミュニケーションが下手なのも、私の場合は当たっていた。何も言い返せなかった。

男子校出身の私の兄も、異性との関わりは見事に下手で、悲しくなるくらいコミュニケーション下手だった。言い返す材料は、手元になかった。

女子校で過ごした6年間をブランクみたいに笑われたことに対する違和感や怒りを、どう表現していいかも分からなかった。

ただ、自分はマイノリティなんだなと思った。

そう、確かに私は女子校出身だ。実際に、マイノリティだと思う。自分の「普通」が普通ではないと、うっすら意識している。

あの共学出身者は、自分のことを「普通」だと思っていたのだろう。だから、「普通」を知らない私を笑えたのかもしれない。でも、あなたは女子校を知らないでしょ、と今は思う。

私は男子校を知らない。私は(小学校6年間と大学の4年しか)共学を知らない。あなたも、本当には男子校を知らない。女子校を知らない。知らないことで笑われるなら、あなただって笑われるべきだ、と今なら言い返すだろう。

確かに、偏っているのかもしれない。見てきた世界が、違うのかもしれない。でも、他人の育った環境を「偏っている」の一言で一蹴する方が、偏っているんじゃないだろうか。

まだ、日本には女子校がある。男子校がある。そこで育った人がいる。共学出身者の知らない世界を知っている人がいる。

別学出身者が社会に放たれることで保たれる多様性もあるんじゃないか、と私は思う。


さいごに

これで女子校の全てを語れたとは思わない。
これは、2012年から2018年までの6年間を、自分で選んだ女子校で過ごした人間の、一つの感想にすぎない。

女子校が向いていなかった子もいる。親の意思で入学した子もいる。12年女子校に通った子もいる。男の子が嫌いで、女子校を選んだ子もいる。大学も女子大に進学した子もいる。彼女たちは、また別の感想を持っているはずだし、時代は変わった。女子の制服は、今やスカートだけではない。

でも、少なくとも私が「女子」として育ってきた間は、「女子」であることを息苦しく思う要因がいくつもあった。

たとえば高校の頃、私は科学部に入っていた。オープンキャンパスだか文化祭だかで、科学部のブースに来場していた女の子のお父さんが、呟くように言った。

「今はやりのリケジョってやつだねぇ」

「何だそれ」と思った。女子しかいない科学部で「リケジョ」という言葉が発せられたことはない。新聞やテレビで見るたびに、「女の子だけど」理系が好き・得意、みたいな言葉で変だよなぁ、と思っていた。

それを面と向かって言われたことで、自分が物珍しい存在になったような気がした。

それと似た経験は、他にもある。

私は幼い頃、水泳をやっていた。
新体操をやっていた。
ラグビーをやっていた。
……と、多くの人がここでツッコむ。「え、女の子なのに?」

こういう誰かの小さな発言が、私が「女の子ってつまらない」と思うようになった一因のように思う。女子校と出会う前の10歳ちょっとの私は、「女の子はできることが少ない」と、周りの人の発言からすでに結論づけていたのかもしれない。

そして、枠から外れた私を、女の子たちも奇異の目で見ていたのだろう。……でも、それは人間の本来の姿ではないはずだ。

「女子なのに」とか「女子だけど」とかいう枕詞なしに、何だってやっていいはずだ。女子校で、「女子なのに」とか「女子だけど」なんてことを言う人はいなかった。「普通」に考えて、馬鹿げた言葉だからだ。

男女別学は、多様性からかけ離れた空間として、やり玉に挙げられる。

実際、女子しかいない空間を「多様だ」と言い張ることはできない。たとえ、それぞれの個性がきちんと認められ、性差を感じることのない空間だとしても。

でも、多様性は、皆が同じ場所で同じことを経験すればいいってものではない。むしろ、自分の普通が他人にとっては普通ではないと常に自覚すること、育った環境の違いを認め合うことから、多様性への理解は生まれるんじゃないのか。

そもそも、全員が同じことを経験する、なんて不可能だ。私が怪我している時に「かわいそう」って遠巻きにしている人に、「あなたも同じ目に遭えば気持ちが分かるのに」とは言わない。けれど、「痛いよね」って同じ立場に立って寄り添える人を私は尊敬する。同じ経験をできなかった分、私たちは分かり合おうとするんじゃないだろうか。

私にとっての「普通」を語ることに、迷いはあった。こんなにも当たり前の、私が見てきた平凡な世界を語ることに、意味があるかは分からない。

でも、私の「普通」もあなたの「普通」も決して普通ではない。お互いに語らなければ分からない、別世界の話なんだと思う。

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